落語家のようなもの 立川こしら | 噺新聞(874shimbun)

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落研の後輩だった人からメールが入った。

○○先輩へ

こんな落語家がいます。立川こしら。
変な落語家ですよ。
いちおう古典落語を演じる落語家らしいのですが。
しかし、その落語ははたして?、落語なのか?
新作ではもちろんありません。かといって古典落語なのでしょうか?
立川志らくの一番弟子。しかしながら師匠の志らくも「お前はかってにしろ!」と匙を投げだした逸材です。
志らくがいくら稽古をつけても師匠の指導の通りにはやらないのです。しかもそれは古典落語のようで古典落語ではない。古典落語のようなものを演じます。
例えば「初天神」。親子で初天神に出掛け屋台の店の前で子どもが親にあれ買ってくれこれ買ってくれと駄々をこねる正月の定番古典落語。こしらの「初天神」には父親と子だけではありません。おかみさんも一緒に初天神に付いてくるのです。そして三人であれこれ大もめにもめる「初天神」となってしまうのです。およそ彼は従来の古典落語ではない、立川こしらの古典落語をやってしまうのです。それだけではありません。
「その落語家、住所不定」の冒頭は、
「わたし、家、ないんです」
から始まります。衣類はどうするかというと、「タンスはアマゾン」と言い切ります。
かといって貧しいかというとそうではない。彼はIT企業の社長でもあります。落語家の収入よりIT企業のほうがはるかに見入りはいいといいいます。
こんな落語家、いままでいたでしょうか?
とにかく変わった落語家ですが、彼の生き様を今後とも見てみたいと思います。

○○より

 

○○先輩へ

立川こしら師匠の考え方や生活のあり様などは「その落語家、住所不定」にてよく分かります。
IT企業の社長ですが、彼はパソコンを持っていません。パソコンは海外にあるサーバーを利用します。
持ち運びに困らないしそれで充分。だいだい彼は家がないのでリュックに入れると重くて仕方がない。また彼の財布は特注です。移動が多いため置き忘れる可能性が大いにあります。そこで特注でGPS内臓の財布を作りました。(さすがIT企業の社長)その財布がスマホに連動しています。もし失くしても何処にあるかすぐ分かる仕組みです。
IT企業を始めたきっかけはネット通販です。これで一儲けします。詳しくは上記著書にて。このネットの世界は世界規模です。
成功の一つはここで蚊取り線香を売り出します。外人向けに忍者の必需品としての蚊取り線香を忍者の恰好で販売したのです。それも殺虫剤のサイトではなくアンティークのサイトで。商品は蚊取り線香三巻きで100ドルの定価。(およそ1万三千円くらい)。日本の売価で考えますとべらぼーに高い。しかし、外国人にとっての忍者蚊取り線香です。しかも顧客は世界中です。彼はこれでめちゃくちゃ儲けます。そこから海外の顧客からの繋がりで外国での落語会開催となっていきました。海外での落語会は、オーストラリア、フィリッピン、ハワイ、台湾、アメリカ、フランスなどもう全世界、グローバルです。
このような話しなら、上記著作です。
しかし、彼の落語がどのようなものであるかを知るなら「落語家のようなもの・立川こしら論」です。この本の著者の出身が和歌山県とうことで和歌山県立図書館より取り寄せて読んだ次第です。立川こしらの落語がいかなるものかを知るには最適だと思います。
まあ、お暇なときにでもお読みになれば退屈しのぎにはなるかと思います。
日々、寒くなってまいりました。お身体お大事にご自愛なさってください。

○○より

 

 

○○さま

北海道新札幌で毎年「喬太郎北伝説」という会が9年間開催されていて、毎回新札幌まで通いました。
この主催者は地元の高校の先生です。

この方が立川こしらの会も開催していて、こしらの名は知っていましたが、聴いたことはありません。
なかなかユニークな方のようですね。

 

ブン屋もどき

 

 

 

立川こしら、この噺家のことを知るには「落語家のようなもの立川こしら論」を読み終わって一番理解ができたようだ。

噺家になるには真打の落語家に弟子入りし、師匠に稽古をつけてもらう。三編稽古といって、師匠が面前で噺を三回喋り、それを覚える。これが常道とされているようだが、噺を録音して覚えるということも今はなされているようだ。

 

柳家の一門だった立川流では最初に学ぶ噺が「道灌」。こしらの師匠立川志らくから「道灌」を教わったのだが、稽古をつけた最初から師匠に匙を投げられ、「好きにしろ」と言われ、こしらは落語全集を読み、この噺はこんなあらすじと理解、そして自分なりに噺を解釈し自分の都合のいい噺にしてしまう。噺によってはまったく別の噺になってしまう。古典落語の改作、創作というのが「こしらの落語」というのかもしれない。

 

「落語家のようなもの立川こしら論」の著者、南葵亭樂鈷が書いている。

立川流家元の談志が「江戸の風」と言い出して、立川こしらは自分流の解釈と勝手な仕草で噺をするのだから、江戸の風など吹きようがない。こしらはそれでいい。それがこしらの落語で一代限りのものだ。と。

落語家、立川こしらは稀有な存在だ。

こしらの落語が面白い、楽しいといって、素直に喜んでいるのは、こしらの落語が認められているということだ。落語ではなく「落語のようなもの」、落語家ではなく「落語家のようなもの」であるとしても、立川こしらは落語家だ。その稀有な存在は、いまのところ生(ライブ)で見るしかない。

 

この本を読み終わり、amazonを検索していたら、立川こしらの高速落語R-30 vol.1のCDを見つけた。

一席3分、三十席の噺が収録されている。vol.2とvol.3もあるらしいが、とりあえずvol.1を手に入れ、届いたそれを聴きながらこのブログを書いている。

3分に集約されている噺、噺ぶり、これはこれでなかなかユニークなCD。1の寿限無から15の禁酒番屋まで聴きながらこのブログを書き終えた。

 

4月4日にこしらの集い 東京 立川こしらトークライブ+落語が内幸町ホールで開催される、もう一度足を運んでみるか、という気持ちになってきた。