歳忘れ 三人会 | 噺新聞

噺新聞

「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

仕事で関東の大学の落研に声をかけ、「関東大学落語選手権」なるものを開催したことがあった。

昭和60年だったので1985年、いまから35年も前のことだ。参加した大学は40校を超える数になり、その当時東陽町に5代目三遊亭圓楽が造った寄席 若竹があり、そこを借切り5日間の予選会だった。

予選会で勝ち上がった5校が本戦に出場という選手権で、第1回の優勝者は日大経商法落研の4年生、今の柳家喬太郎師匠だった。この会は3年間続けられたが、喬太郎師匠の他に、当時武蔵野美大の落研所属で、今の林家たい平師匠も参加していた。

 

そんな落語がとりもつ縁で寄席 若竹の支配人とはその後もお付き合いが続き、今でも年賀状をやり取りする仲となっている。

その方から「歳忘れ三人会」の案内ハガキが届いた。元若竹の支配人以外、どの方も面識がない方ばかり、素人が集まった落語会ではあるが、覗いてみましょうとお江戸日本橋亭に足を運んでみた。

入場前にはお客さんの検温をしっかりしていた。

50年前の大学、落研にもわずかながら女性部員が入部してくることがあったが、令和のこの時代にも落語に取り憑かれた若い女性がいることが、ちょっとうれしい。

プログラムにあった小噺&盆踊り、小噺は「道灌」を盆踊りは「ソーラン節」と「東京音頭」を披露してくれた。

 

元若竹、本牧亭支配人の寺田博明さんは、芸能のことについての隋談だった。

芸人は少なくとも15分、聞き手、お客さんを楽しませことができる人のことをいう。ただたんに熱湯に飛び込んでみせるようなまねは、芸人にあらず、芸 NO人だと。

長年芸人の世界を知り尽くしている方だけあって、芸能の蘊蓄、面白かった。

この会のトリは寝床家道楽の「御神酒徳利」。

この方、この日が誕生日で86歳になったと高座で言っていた。

いやービックリ。人間国宝の柳家小三治が81歳、本職の落語家でもこの歳で元気に高座を務める人は少ないであろう。

舞台でスポットライトを一度浴びた歌手は、その光を忘れられず歌の道を永く歩み続けるというようなことを聞いたことがある。

高座の座布団に座り、客を相手に噺を語たった人は、本職、素人にかかわらず、高座の味が忘れられず落語の世界にハマってしまうのですね。