どうしますか? | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

そういえば、子宮全摘手術を受けるとき

手術室という場所に初めて入って、いよいよ

痛いとウワサの硬膜外麻酔ってヤツに臨もうって段階になって

医師だか看護師だかに訊かれた。

 

「卵管、どうします?取りますか?」

 

え、それ、今訊く??

 

医師も看護師も「痛いよ」「痛いよ」と散々脅した

硬膜外麻酔の直前で、訊くこと??

 

もっと早く言ってよ…

 

いやもう、別にあってもなくても関係ないでしょ多分。

卵管とか…子宮取るのに…

 

深く考える余裕もなく、

「えーと…取っちゃっていいです」

とか答えちゃって。

 

こっちの頭の中は「痛い」と散々聞かされた

硬膜外麻酔とやらで頭がイッパイなんだってば。

 

でもその硬膜外麻酔ってのが

麻酔科医がゴッドハンドだったのか

全然、痛くなかった。

 

あれ、思ったほどじゃない。

というか抜歯のときの麻酔の方が百倍、痛い。

 

そのあと、吸入麻酔が入って、すぐ落ちた。

 

硬膜外麻酔が思ったほど痛くなかったのは良かったが

まさか手術室に入ってから、

卵管を取るかどうか聞かれるとは思わなかった。

 

 

術後、1日半程度はしんどかったが

その後は段々、ラクになった。

何より、上げ膳据え膳という、天国。

 

だが、天下の毒母育ちであるわっちはまぁ、

落ち着かなかった。

 

ベッドに座っていて、食事を出してもらえる。

下膳にしたって、廊下に出てちょっと先のワゴンに

返却するだけである。

無論、洗う必要もないわけで。

 

あぁもう、すみません…

ありがとうございます、ご馳走様でした

 

その一心である。

術後、食べられなかった食事が2回くらい

あったような気がするが、

それ以外はすべて完食して下膳した。

 

食べられなかったメニューが惜しい。

 

我が父が膀胱ガンで入院していたときと

同じ病院へ入院していたわっちであるが

当時、我が父は

「病院のゴハン、美味しくない…」と嘆いていた。

抗がん剤の影響も大きかったと思われるが

当時の食事は確かに、お世辞にも「美味しい」とは

言えなかった。

 

その記憶があったので、

食事には期待していなかった。

 

ガンではないものの、

我が父と同様、内臓をいっこ出すことになったわっちは

「お父さんと同じ病院で(子宮を)取ろう」

と思った。

 

ところが、だ。

 

ゴハン、美味しいよ?

 

たしかに器こそプラスチック製だが

和洋中と、様々の献立で

品数も多く、味も良い。

 

そして何より、作っていただいて

出していただいて

わっちは食べるだけ、というお殿様気分。

 

最高。

 

いきなり「卵管どうしますか」という衝撃の質問も

退院の頃にはすっかり薄らいでいたが

今思い出すと、ちょっと笑える。