何ができるか | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

ほとんど放送されない、パラリンピック。

 

わっちは毎朝、4時ぐらいには起きるので

そこから1時間半、某国営放送で申し訳程度に中継している

パラリンピックを観るのが最近の日課である。

 

オリンピックのときは、昼間に30分くらいのハイライト放送とか

人気がありそうな競技を午後のまとまった時間を使って

録画放送していた。

 

パラリンピックは、言いたくないが

放置である。

 

まぁ、これが現実だよな。

うん…

 

なんか、納得出来ないけど。

まぁ、世の中、そんなもん、だよな。

 

 
ひとり、ちまちまと文句を言うことしか出来ない。
 
発信力も影響力も、何も持たないわっちは
それでも、ブログに気持ちを綴ってみる。
 
どれだけの人が見るかはわからないが、
言わないままでいるよりは、まだマシだろう。
 
車いすテニスの小田凱人選手が、快進撃を続けている。
彼が、SNSで言うことには
「テレビ中継がない」ことを、嘆いていた。
こういうスポーツがあることを、
広く知らしめたいのだ。
 
メダル云々ではなく、知ってほしい
というのが、彼の強い思いだということは
ヒシヒシと伝わってきた。
 
そして、願ったところで
オトナのジジョウがある、ってことも
彼は重々、わかっている。
 
まだ、18歳のコに、
そんなこと言わせてるメディア。
Google●ixelとかのCMには起用するのに
本職の試合はスルーである。
 
何でなんだろうなぁ、と素朴に疑問を持つ。
パラだなんだっていう以前に、
単純におもしろいのに。
 
そして、こういう言い方は良くないかもしれないが
ハンデがあっても、
スポーツをしたい、やってみたい人って
結構いると思うのだ。
 
でも、自分が何をしたいか、してみたいか、
もっと言えば、何ができるか
そういうことに「気づく」きっかけって
なかなか出会えないことも、あるかもしれない。
 
パラアスリートが時々口にするのは
「この競技を見て、カッコイイと思ったから」
「この障害を持っても、コーチが迎えてくれたから」
ということである。
 
「知る機会」が、極端に少ないんじゃないだろうか。
 
日本でも、もっとパラスポーツがオープンになって
ハンデを負っているコや、ハンデを負ってしまったコが
真剣にスポーツにのめり込んでもいいんじゃないか。
 
 
東京五輪のときに話題になった、「ボッチャ」。
 
脳性まひのような障がいのある方がプレーしている
カーリングのような競技である。
 
幼い頃から、わっちの身の回りには
ボッチャの選手たちのような人たちがいた。
従兄が福祉ボランティアをやっていたから
一緒にくっついて行って、よく遊んでもらった。
 
会話するにしても、発音のままならない人が多かったが
わっちは普通に聞き取れたので、
兄さん姉さんたちに可愛がられた。
 
わっちが小学校低学年の頃だから
40年も前の話である。
福祉の意識も薄かった。
 
みんな、わっちには良くしてくれたが
それぞれに苦労があった。
 
家で疎ましく扱われている人も
障害年金目当てに家で「飼われている」ような
悲惨な状況の人も、いたという。
 
わっちは兄様がいた分、まったくココロに垣根もなく
みんながかまってくれるもんだから
あっちに行ったりこっちに行ったりして
キャッキャしていた。
 
みんなで海水浴に行ったり
ボーリングに連れて行ってもらったり
わっちも家ではさせてもらえないような経験が多くて
それはそれは楽しかった。
 
わっちが小学校高学年の頃だったろうか
その脳性まひの方が
ひとり、神奈川へ行く、と言う。
 
家で相当疎ましく扱われていたようで
いくらか福祉が充実している場所で自活するという。
 
運動機能障害はあったが、
兄様と違って精神発達には問題ない人だったので
思い切ったのだろう。
 
ボッチャの試合を観戦していると、彼を思い出す。
元気で暮らしているだろうか。
大変な苦労もあったろうが、幸せであってほしいと思う。
 
「知る」ことは、大事なことだ。