気味の悪い名称の法律だと、ずっと思っていた。

 

「優生保護」

優れたものだけを、残すってことなのだろう。

わっちの頭の中では、ナチス政権下でのホロコーストに直結する。

 

この法律が、つい最近まで

ほんの28年前まで日本の法律として生きていたのだ。

 

それを考えれば、日本の障がい者福祉が遅々として進まないのも

ある意味、納得である。

 

 

兄様のオムツ交換をするとき

毒母は兄様のオシモのお手入れをしながら

「何にも役に立たない」

と、時折つぶやいていた。

 

オトナになってからそういう言葉を聞いたときは

「ちゃんとちっこ出来てるんだからいいんだよ」

と、わっちは兄様に代わって反論したものだ。

 

だが、旧優生保護法の訴訟問題を時折ニュースで見るようになって

やっと気が付いた。

毒母が「役に立たない」と言った意味。

 

兄様の下腹部には、横一文字に10センチ程度の手術痕がある。

 

わっちがまだ幼かった頃、毒母は兄様のオムツ交換をしながら

「これ」

と言って、その傷を撫でた。

「何にもわかんないで、ね」

 

当時のわっちは、兄様は大きくなった赤ちゃんだから

どこか悪くて手術ってなっても

兄様自身はよくわからなかったんだろうな、と理解した。

兄様が健常ではないとわかった時点で様々の検査等があって

その一環でなにか手術を受けたんだろうな、と思っていた。

 

物心ついたときから両親と兄様を見ていたわっちは

いちいち細かく訊ねることはしなかった。

幼いながら、言いたくないことや聞かれたくないことも

あるだろうと、本能的に察知していたのだろう。

 

面会時、兄様のオシモのお手入れをわっちがするようになって

「あぁ、“役に立たない”と毒母が言ったのはそういうことか」

と思った。

 

旧優生保護法が施行されている真っ只中での兄様の存在は

まさにその「対象」であったのだろう。

 

だが、わっちは父からも毒母からも

はっきりと、そういう手術を受けさせたとは、聞いていない。

ふたりとも、最後まで口をつぐんで、この世を去った。

 

それは兄様に手術を受けさせて

しなくてもいいような痛い思いをさせたことに対する

懺悔か、後悔か

はたまた親としての保身か。

 

兄様の妹として思うのは

せめて懺悔と後悔が強くあってほしい、ということ。

 

兄様が上腕部を骨折し、入院して

骨折箇所をボルトで繋ぐ手術を受けたとき

毒母は異常なほど動揺し、父と交代で病院に泊まり込み

懸命に看護していた。

 

あのときの異常とも思える動揺と憔悴ぶりは

懺悔と後悔の表れだったのかもしれないと

今になって推察する。

というか、表れであってほしい。

 

その反面、オムツ交換のときに時々つぶやく

「役に立たない」

という言い方に、無性に腹が立つ。

 

役を絶ったのは、アンタだろ。

 

そして、わっちに向かって何百回と言い放った、

「どこの男にケツ貸してきたんだ」

という言い方も

兄様からその機能を奪った後ろめたさから来る悪態だとしたら

 

ふざけんなよ、毒母

 

しか、言いようがない。

 

兄様のカラダを傷つけて

わっちのココロもメッタ刺しにして

満足してるか、毒母よ。

 

兄も妹も、良いようにして満足か。

毒母の一存で、

兄様のカラダに傷をつけて

わっちのメンタルを徹底的に仕込んで追い込んで

これで不満だと言われても

 

もはや、知ったこっちゃない。

 

で、やっぱり思う。

 

わっちが死んだとしても

三途の川の向こうで、毒母には会いたくない。

 

生きている間に、精一杯やったんだ。

 

これからのわっちの人生と

死んでからのことにはもう、絡んでほしくはない。

もう、わっちが毒母に対してしてやれることは

何ひとつとして、ない。