思い出話をする。

 

モラハラ元夫と同居を開始する頃には、

わっちのココロはヤツから完全に離れていた。

 

もともと、くっついていた試しはないのだが

生理的拒否反応に近い状態を起こしつつあった。

 

だが毒母がもう「一緒に住んだら」という前向き前のめり状態

正直、いろんなモノから逃げ切れる気がもう、しなかった。

 

わっち自身、「いったん立ち止まりたい」という気持ちが

圧倒的に強くなってきたとき

「別れたら、お父さんとお母さんが悲しむんじゃないの」

先にモラハラ元夫に先制攻撃を喰らった。

 

わっちの外堀を、ここでモラハラ元夫は完全に埋めた。

 

コイツはもう、わっちの親を味方につけて

無敵状態になっている。

 

そしてわっちも、毒母の完全洗脳下にあった。

 

兄様を大事にするお婿さんと結婚して

きょうだい児であっても

「幸せ」になれることを具現化する

 

そのためには、わっちは全部併せ飲むしか、ない。

 

わっちが「我慢」すれば、万事、うまくいく。

 

だが、当初に覚悟を決めた「我慢」とは比べ物にならない

過酷な日常が待っていた。

 

思い込みというか、刷り込みというのは

本当に恐ろしいものだ。

 

毒母から「きょうだい児の“幸せな結婚”」という

デカいノルマを、わりかしガキの頃から

話の中に盛り込まれてきていた。

 

今なら、思う。

「“幸せな結婚”って言うけど、

あんたの“幸せ”じゃないよね?」

 

周り(親きょうだい)が幸せを感じられるように、

状況的幸せを“演出”する

ってのが最大の任務だった気がする。

 

わっちの、わっち自身の“幸せ”なんてものは

結局、誰も考えてくれてはいなかったってことだ。

 

モラハラ元夫も、毒母も、

自分の幸せだとか、状況的幸せだとか、

そんなことしか考えていなかったんだろうな。

 

ずいぶんと

尽くして尽くして尽くして

それこそ、「あしたのジョー」の最終回みたいに

 

燃え尽きたよ…

真っ白な灰に…

 

ってくらい、吸いつくされた。

 

メンタルのエネルギーじゃなくて

余分な脂肪を吸い取って欲しかったんだが。

 

いったい、誰がわっちのことを思って

心配してくれたんだろう。

 

みんな、わっちを使いたいだけ使って

搾れるだけ搾って行った。

 

すでにメンタルをがっつりヤラレていた頃

毒母がまだ寝たきりになる前だが

身の回りの世話や家のことをしながら

「いいように使ってよ」

と、わっちは言うようになっていた。

 

仕事も結婚も離婚も、全部

家のためであり、毒母のためだった。

そしてそれをきちんとわかってくれる人も

わっちには居なかった。

 

「働けど働けど、我が暮らしラクにならざり」

とも、つぶやいた。

 

家のため、親のため、兄様のため

働けど働けど、何にも、ラクにはならなかった。

 

心の中で叫んでいた、

「頑張れ、わっち!」

という言葉も、クチを突いて出ることもあった。

 

クッタクタのときに、毒母から

「アレして」「コレして」と言われたとき

 

「あいよー良いように使ってー」

 

と返事をしたとき

毒母が言った。

 

「そういう言い方やめてよ」

「そぉ?ごめんね」

 

自分が言われてイヤなことは、言うんだ。

毒母よ、アナタがわっちに吐き散らした毒は

こんなもんじゃないだろう?

 

わっちがココロを振り絞って

「言わないで」

って言ったことは、更に辛辣な言葉に代わって

わっちを突き刺してきたというのに。

 

毒母が逝って2年経つというのに、

まだ、ココロに刺さったままだ。

 

「子どもが死んだのは

あんたのせいだ」

 

それでも、わっちは言わなかった。

 

先天的に染色体を欠損して生まれてしまったがために

今の状態にある兄様のこと。

 

先天的な障がいなのだから、

毒母のせいだと言ってもいい話である。

 

だが、兄様は、兄様。

わっちにとってはどんな姿であれ、

大事な存在なのだ。

 

言わなかった、というより言えなかったのかもしれない。

「兄様第一主義」を徹底的に毒母に仕込まれたからではなく

わっちの「意思」として、兄様は

わっちにとって、大事な存在なのだ。

 

何より、毒母のように

他者を徹底的に追い込むようなことは

わっちには出来ない。

 

ましてや、相手の弱いところ

弱っているところを狙ってメッタ打ちにするとか

人間の所業とは思えない…

いや、生きている人間だからこそ

為せる業か。

 

もはや金縛りだとか

ちょっと普通、見ないようなものを見たとしても

正直、驚かない。

 

生きている人間の方が

よっぽど、恐ろしい。