人間椅子 | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

わっちの中学生から高校生にかけてが、

いわゆる「バンドブーム」で

テレビでも「イカすバンド天国(通称イカ天)」という番組が

放映されていた。

 

いろんな個性的なバンドが数多く出てきた中で

わっちが強烈に魅かれたのは

「人間椅子」というバンドだった。

 

当時のわっちはザ・ストリート・スライダーズというバンドに

どっぷりハマっていて、他のバンドになんてほぼ目もくれない

「スライダーズフリークス」って感じだったのだが

人間椅子だけはちょっと違った。

 

ギターの和嶋さんが赤のSGを使っていたり

ワウファズを使っていたのも大きく影響していたかもしれないが

その骨太なサウンドに大きくココロを揺さぶられたものだ。

 

そこから30年以上経って

毒母をフル介護していたとき

たまたまYouTubeで見つけた。

 

え、人間椅子って、あの人間椅子?

 

めちゃくちゃ感動した。

 

人間椅子のロゴも、昔のまま。

わぁ…あれから30年以上。

わっちが知らないだけで、続いていたことに嬉しくなった。

 

そして聴いた曲が

「杜子春」。

 

お父さん黄泉路の国でお達者でしょうか

 

杜子春はつらいのです

この世が暗いのです

 

ちょっと待って、今のわっちのための曲?

 

「無情のスキャット」も効いた。

 

報わることない労苦背負い

日陰に佇むこの私に

天翔ける日は来るだろか

 

悪態とセットで毒母のフル介護をするわっちには

もう“わっちのための曲”だとまで思った。

 

初めて人間椅子に触れた15歳の頃から

実は繋がっていたんじゃないか、と思ったほどだ。

 

ねずみ男は僧侶になり、

SGのギタリストは和装になり、

ドラマーはダボシャツになっていたが

 

間違いなく、あの人間椅子だった。

 

試しに、わっちが初めて聴いた「陰獣」

検索して聴いてみた。

 

すごい、全然変わっていない。

 

喋るとやっぱりなんとなく津軽弁

なんだか気持ちがほわっとするのだが

音楽面では30年以上、変わらないスタイルでずっと

ここまで続けていて下さったことに

わっちは心から感謝した。

 

35年前の、世の中のバンドブームの折

テレビでも特集番組が組まれて

人間椅子のベース、鈴木研一さんの帰省にも

密着するような企画があった。

 

わっちはそれをリアルタイムで観ていたのだが

「戦慄するような曲、作りたいっすねぇ」

という一言を覚えていた。

 

言ってることと、顔の表情が

まるで釣り合っていないのだ。

穏やかな、にこやかな表情で、「戦慄」と言う。

 

カッコ良すぎだろ…

 

当時のわっちは思った。

 

何度も言うが30数年ぶりに聴いた人間椅子は

まるであの頃のままで

その30数年の間にわっちが経験したことや

わっち自身の成長も相まって

なおココロに沁み込んで来るような

染み付いてくるような楽曲を生み出していた。

 

生で観たいなぁ。