“本人が出来ることを減らさない”という

一般的な介護の鉄則に則って、わっちも

毒母が「頑張れば何とかやれること」は

極力、本人にやってもらうようにしていた。

 

時間がかかってもいい、やることに意味がある。

 

わっちは感情を能面のようにして見守り、

危険がないように手を貸すところは貸していたのだが。

 

思うように動かない自分の身体にイラついているのか

はたまためんどくさくなったのか

ただ傍に付いているわっちにムカついたのか

毒母は定番のセリフを繰り返すようになった。

 

「あんたは冷たい、思いやりがない、あったかみがない」

 

最初のうちは聞き流した。

 

次の段階で、

「手伝うこともできるけど、そうしたらお母さん

自分で何も出来なくなっちゃうんじゃない?」

と、やんわり言った。

これを数回繰り返したところで、次の定番のセリフ。

 

「減らず口ばっかり叩いて!」

 

…はい、わかりました。

 

わっちの中で終了のゴングが鳴った。

 

毒母とはいえ、一応わっちの親だから

やれるうちはやった方が本人のためだよなぁ

なんて思って我慢してきたが

 

もう、いっか。

 

本人に歩く努力をさせて支えてやる方が

よっぽど時間もかかるしわっちの体力も削られる。

それなら、毒母の脇の下から手を突っ込んで胸を抱えて

引きずって布団に連れて行く方が

よっぽど安全だし、早い。

 

なんでやらなかったかといえば

毒母が毒母自身のこともやらなくなったら

本当に終わりだな

と思っていたからだ。

 

と、もしあの時わっちが毒母に言っていたとしても

「自分がやりたくないからでしょ」

ぐらいのことを吐き捨てることは容易に想像できる。

 

やらなきゃないことが山積みの状況で

焦らず怒らず、毒母を見守るというのは

はっきり言ってわっちにとっても

相当なストレスだった。

 

わっちがやれば早いことを、我慢して堪えて

ただ見守るというのはかなり根気が要ることだった。

 

本人も焦ってるんだろうな、と思って

どうでもいい話をだらだらと話しかけたりしながら

いかにも苦にしていない雰囲気で見守り続けたら

案の定、噛み付かれた。

 

まぁ、いい。

 

毒母本人が「生きるための作業」を完全放棄した。

 

正直、想定内…どころか

多分こう言うだろうな、と思っていたのと

おもしろいほど同じことを言ったので、

逆にものすごく冷静になってしまった。

 

最期まで、わっちの気持ちが毒母に通じることはなかった。

 

オッケー、あとは全部わっちがやる。

腹を決めた。

 

だが本心を言えば

「全部やってあげる」ことこそ

わっちにとっては本当に毒母を

「切り捨てる」ことだった。

 

こういうのを、“価値観の相違”っていうのかな。

 

わっちにとってはむしろ

毒母を完全に切り捨てる行為なのだが、

毒母はそれを「思いやり」とか「あったかさ」だと

捉えるのだから、それはそれでいっか。

 

というわけで、わっちのフル介護生活が始まったのだ。