1ヶ月 | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

毒母が亡くなるまでの1ヶ月の話をしていこうと思う。

 

何故なら、この1ヶ月間はわっちにとって

モラハラ元夫との離婚が成立するまでの1年半に

匹敵するほどの30日間だったからだ。

 

離婚成立までの期間は精神的圧力が

双方向(元夫と毒母)からかかっていて、

よっぽど構えていないと

まともに日常生活を送れないくらいだった。

 

それに対して、毒母のフル介護期間は2年に及んだが

夜は自室に引きこもれた分、ギリギリで乗り切れた。

 

最後の1ヶ月は夜も一緒に寝ていたので

24時間体制で毒母と向き合っていた。

 

寝たきりではあったが、口は最後まで達者だったので

まぁキツかったよね。

 

精神的にも体力的にも

だいぶ削り取られていた分、

離婚成立までの1年半に匹敵する1ヶ月だったな、と。

 

今になって思うのは、わっちは

体力的な疲れよりも精神的な圧力の方が

よっぽどコタえるタイプなんだなってことだ。

 

食事、入浴、トイレの介助

お肌のお手入れ、足のマッサージや爪切り

 

自分でも驚くほど苦にはならなかった。

全部兄様にしてあげていたことだったし

毒母が寝たきりになった頃にはすっかり痩せてしまって

体位変換も兄様のときほど気も遣わず

スイスイやれた。

 

いくら毒母が認知症の傾向あり、と言われても

わっちにとってはさして問題ではなかった。

とりあえず言葉が通じればいい。

 

オムツ交換にしたって、毒母から

「替えてくれ」

と言ってくれるんだから楽なものだ。

兄様は言ってくれないから、そろそろかな、と思って

オムツを外してみても

「出てなかったぁ~…」

というガッカリ感と危なくないように気を遣いながら

再度お着換えをする労力とで体力を奪われる。

 

それを考えたら、毒母は言葉が通じる分

はるかに楽ちんだ。

 

「交換するね、ズボンとパンツ(オムツ)脱ぐよー」

と言えば、少し腰を上げてくれるので

そのスキに“サッ”と下げてしまえばいい。

 

オマタをふきふきした後も

「気持ち悪いとこない?」

と聞けば

「ない」

と答えてくれる。

 

兄様の場合はこうはいかないから

丁寧にあちこちフキフキして、

ベビーパウダーをパタパタして

さらに力ずくでズボンを引き上げる。

多少の体位変換でいくらか労力を省いたとしても

正直言って、息が上がる。

必死こいてお着換えを済ませても、兄様は

こちらのことなどお構いなしに

手元のおもちゃで遊んでたりするわけで。

 

それを考えると毒母の場合はオムツ交換をすれば

「ありがと」

ぐらいは言う。

 

「はい、どういたしましてー」

と、わっちも軽いもんだ。

 

毒母がピンピンしてて、わっちがいくら手を貸しても

それこそ揚げ足を取るように悪態をついていたのを思えば

ぶっちゃけ、「へ」でもないのだ(笑)