菩提寺の話 | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

わっちの菩提寺との繋がりは、我が息子が他界したときに始まる。

 

亡骸となった我が子を火葬するにあたって

当時、菩提寺のなかった我が家に

葬儀屋さんから紹介していただいたのが今のお寺さんだった。

 

寺院名と住職さんのお名前を聞いて

わっちの両親がふたりして「えっ??」となった。

 

「このお寺さんと住職さんの名前って」

「兄様が小さい頃にボランティアでウチに来てたあの人だよね」

 

その話、わっちも聞いていた。

 

兄様が子どもの頃、ボランティアに来ていた大学生がいた。

彼は毒母が少しでも自分の時間が持てるように、と

兄様を連れて近所の公園で遊ばせたりしてくれていたそうだ。

その後、彼は福祉において先進的であったドイツに留学するため

ボランティア活動から離れた、ということだった。

 

当時に聞いていた実家のお寺の名称、そして住職さんの苗字

 

間違いない。

 

肌が粟立ったのを覚えている。

 

我が息子の顔立ちが、とても兄様に似ているなと思ったこと

からの

兄様が幼き頃ボランティアをしてくれていた学生さんが

今、住職さんになって、我が家とまた、繋がる。

 

偶然といえば偶然なのかもしれないが

わっちには、兄様と我が子がタッグを組んで

巡り合わせてくれたのだとしか、思えなかったし

今でもそう思っている。

 

守られているのか、導かれているのか

いやもう絶対、両方でしょ。

こんなことってあるのか。

 

おまけにわっちの物理学上のツガイ的存在は

知ってる道路のはずなのに道に迷って

火葬に間に合わなかった。

 

最期の姿を、オマエにだけは見せねぇ!

 

っていう我が子の「気合」みたいなものを感じた。

 

我が家にある「墓地使用許可書」には

埋葬されている人の氏名等が記載されているが

我が子の欄には

 

柴田真帆の胎児

 

と記されている。

死産だったのだから当たり前といってしまえば

それまでなのかもしれないが、わっちは

 

息子はあくまでも、「わっちだけの子」として残った。

自分が去ることになっても、ツガイの存在は決して残さず

その一方で兄様と関わっていた住職さんとの繋がりを残した。

 

我が息子ながら、いったいどんだけ

親孝行すれば気がすむのよ…っ!

 

そして兄様は、実質的には何も出来ないようでいて

こういう縁を残してわっちに繋げて来てくれたんだと

思っている。

 

わっちの周りには、偶然だとか、たまたまだとか

そんな感じで片付けられないことが結構あると思っている。

 

守ってもらってるなぁ、と

助けられてるなぁ、と思うことが

本当にたくさんあるのだ。

 

我が子にも兄様にも、

わっちを守り助けてくれる存在にも

日々、感謝している。