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311を経験しています
能登の震災後
3月に地震が多く
気持ちが塞ぎます
自分の気持ちを整理する為に
吐出しブログです
いつもはテキトーに書いていますが
311の事は
記録してあるので
当時の我が家の記録です
変わり果てた地元
自宅から小学校
普段買い物をするモールまでの道が
ビックリするほどの被害であった事に
衝撃を受けた
小学生の息子と
中学生の娘
特に息子はかなり怖くなったのか
小学校へ避難しようと懇願します
街であったクラスメイトは
お昼は自分の内のお片付けをして
夜は小学校に行くんだ
と
自分の通う小学校でお泊りできた事が
嬉しかったみたいで
得意げに息子に自慢
私は昨日小学校に避難出来たのか
羨ましいなとおもいつつ
昨日けんもほろろに
キャパオーバーと
学校の先生に断られているし
今朝も避難物資も貰えなかった
子供の通う学校からの仕打ちを
息子に伝える気にはならないけど
私も困ってしまって
とりあえず
車内で手廻しラジオで
情報を求めます
ラジオを回すのは
娘
近所の地震被害の
大きさにショックを受け
何かをしないでは入られない模様
ラジオを手で
回すのも大変な作業ですが
娘が担当してくれます
そんな時に大ニュースが
福島の原発事故
チェルノブイリ原発事故を知らない
子供たちにはピンとこないようですが
私は焦って夫に報告
ちなみに夫は
3月12日は土曜でお休み
阪神大震災の時
朝大丈夫だった建物が
夕方倒れた事を記憶していて
マンションの自宅に私と子供が
入るのを嫌がりました
マンションが倒壊したら
死ぬのは
自分だけで良い
イヤイヤ
家のお片付けなんて
しなくて良いのですが
夫も死んだらダメでしょうと
娘は怒っていますが
夫も何か体を動かしていないと
精神状態が保てないのだと
昨夜も午前4時まで
手廻しラジオを回していました
同じ情報のリピートだから
やめなよと私が言っても
止められない
途中海岸から内陸10kmまで
津波に注意と言われ
私は高台に移動しようと伝えても
今度は
ココは大丈夫と移動しない
なんなの?
被災時って
混乱して
正常な判断が出来ません
後にあの夜
高台に逃げなかったのは
自分の間違いだったと
謝罪を受けました
被災時って
その時の判断ミスで
命を落とします
でも人間はじめて命の危険にあった時
上手く行動出来ません
正常性バイアスが働く
自分は大丈夫と思ってしまう
心理も解ります
小学校への避難
原発事故があり
個人で避難の判断をする事が難しいと
何かあったら情報が得られる
小学校へ避難しようと
夫に提案します
夫は体育館での雑魚寝は
娘が心配だと煮え切らない
それでも先ほど
街の壊れっぷりを見た
息子の
小学校に行きたい
小学校に行きたい
に折れ
小学校の校庭に車を移動し
小学校へ避難を申し入れました
避難申請を受け付けて下さったのは
昨日の様に小学校の先生ではなく
ボランティアの方
私は自分と同じ様に被災した方が
災害の翌日に
ボランティアに回って下さる事に
感謝しつつも
申し訳ないのですが
自分と年が変わらない男性が
とても横柄な態度であった事が
嫌でした
書式に家族の個人情報を書いただけで
自分で行動しなければなりません
なのに
ボランティアの方に
始終思いっきり
上から指示を出され
同年代の夫は
その方の物の言い方に
ピキピキ
怒っています
体育館で場所を見つけて
避難して下さいと
何か毛布や段ボールが
支給される訳でもなく
勿論食料や水も貰えません
昨日あぶれた体育館の避難所に
空きがある訳でもなく
3月12日です
何日かかるか見当もつかない被災生活
みな自分の場所を大きく取りたい様で
少し詰めるとか
そんな譲り合いの
行動に出て下さる方はいませんでした
先ほどのボランティアの方に
廊下に場所をとっても
良いですか?と確認したら
NG
イヤイヤ消防法に違反する位
体育館に
人がいるし
座るとこなんてないのに
どうしたらいいのー
結局
小学校の校庭に移した
車でまた一夜を過ごしました
譲り合いの精神は
災害の時は無くなってしまうのか
災害の2日目の
小学校のボランティアの方の
威張り散らす行動に
早めに支配層になった方が得と
判断されたのかなと
穿った見方をしてしまいました
備えましょう
首都圏に住んでいる方は
1週間分の食料を
備蓄しましょう
仙台では
親戚に農家がいるからと
お腹を空かす心配がないと
楽観的な方が多かったです
それでもお人家族7点まで購入の
コンビニや
ドラッグストアで
他人の振りをして
離れて並ぶご家族等
ズル工夫して食料を
手に入れていました
私は近所の方がズルをして
買い物をする姿を
我が子に見せたくなくて
買い出しは一人でしていました
ルールを守ると食料は手に入りません
3月14日の朝には
お腹が空きました
それが東京であったら
当時仙台の人口は100万
横浜は350万都市でした
食料の奪い合いが起こると
思いました
被災後は食欲もありませんが
水分補給は必要です
中学生の娘は状況を理解し
私や夫が
「食べなさい」と促しても
自分はお腹空いていないと
自分にあてがわれた食料も
私や夫に食料を回そうとしました
小学生の息子は
食欲が落ちなかったので
被災後は
辛かったかもしれません
お菓子はコンビニや
スーパーで買えたのですが
タンパク質は中々
手に入らなかったので
備蓄しています
特に調理なしで
即食べられる物は必須です