かつて人は、僕をエセ霊能力者と呼んだ。
そう呼ぶのは同業者で、僕を蔑んだ言葉だったのだろう。
だが僕は、この蔑んだ呼ばれ方を、とても気に入っていたのだ。

エセ霊能力者どころか、自分で自分をエセ0能力者と呼ぶ程だったのである。

自分の実力は自分でよくわかっているし。
蝶々は、自分が蝶々と呼ばれているのを知らないが、蝶々は蝶々として自由に飛んでいる。

本当に大切なのは、自分が自分として生きることだと僕は思う。

以前、青い太陽のある会員が、コミュにコメントを入れる度に、必ず自分の仕事の報告をしていたことを思い出す。
今、夜勤から帰ったとか。これから夜勤に行くとか。彼は言っていた。

コミュにコメントをするばかりではなく。よっぽど自分を主張したいのだろうか、同じような内容を、僕に直メでも言って来るのである。
そちらにも、同じように、夜勤から帰ったとか仕事の報告をしていたのだ。

何故、わざわざそんな報告を他人にするのか?僕は全く理解出来なかった。
そういった報告は、我々に対して、自分はよく働く人間だと主張しているようにも感じる。

これは多分、その方は、自分の人生に満足しているから。なのでは無いだろうか?
僕は、何となくそんな気がした。
羨ましい限りである。

もしも、僕のお母さんが、今でも生きていたとしたら。
僕も同じように、頑張った報告をしてみたいと思うことはある。

子供の頃の、ある思い出を、僕はよく思い出している。

あれは、僕が幼稚園児の頃だったと思う。
夜、僕は母と一緒に星空を見ていた。
あの綺麗な星々に手が届きそうな気がした。
あの星は、この手に掴めるんじゃないか?って、本当にあの時に思った。

お母さんに聞いた。
宇宙は何処まで続いているの?
母は、宇宙はもう果てしないの。
と答えた。

母のその言葉に、僕はとして不思議な気持ちになった。
果てが無いって、どんなことなのだろうか?
宇宙の偉大さを感じながら。それでも僕は、どうしても、あの星空に手を伸ばし、あの星々を掴もうとしてしまうのである。

そんな幼稚園児は、そのまんま大人になったのかも知れない。
大人になって、超能力を身に付け、やがて第一回青い太陽交流会を開いた。

やっと、星に手を伸ばし始めたのである。

僕は、そのことを母に報告したかった。
でも、僕はどうしても母に、そのことは言えなかった。

まだダメだ。
もっと自分が大きくならなければ、母にはこんなことは報告は出来ない。
僕は、そう思ったのである。

だが、交流会の三日後、母は急死したのであった。
僕は、生涯、自分の功績を自慢出来る人を失ったと思った。

母が亡くなり、やがて僕は妻と別居をしなければならなくなった。

その頃は、家のローンが3つもあり。経営している会社は火の車。
僕は莫大な借金を抱えていた。
それでも、別居した妻や子供たちの養育費を支払わなくてはならない。

毎月、自分の手元に残る生活費は、五万円にも満たなくなってしまった。

だが僕には、何の不安も無かった。
人の金運は、お金の使い道で決まる。
収入は潜在意識に任せ、僕は使い道だけを考えることにした。

使い道だけを考える。
使い道が正しければ、お金はその分入るはずだ。

まさか、青い太陽の会員から月謝を取る訳には行かない。
青い太陽は、無料であることに意味があるからだ。

金に綺麗じゃなきゃ、男になれねえ。
ある親分の言葉を思い出す。

今だから言えるが、僕は、会員から金を取るどころか。金に苦しむ会員には、自分の生活費をそっくり渡したものだった。
それでいて、今月はニ百万、来月はまた百万と、借金をしてでも、僕は会社を経営する為に、金を作らなければならない。

その頃、僕は、既にスピリチュアルカウンセラーとしての名前が売れ始めていた。
正直、これだけは、自分として情けないことだったのだ。

何故、困っている人たちから、お金を貰わなければならないのだろう。
先生と呼ばれ、多くの方々に喜ばれながらも、彼らから収入を得なければならない。
僕はこんな生活をしてしまう。自分の運命を呪ったのである。

この能力は呪いだ。
これは、自分にかけられた呪いなんだ。

だが、いくら自分がそれを退けようとしても、ご相談者は後を絶たない。
助けてくださいという声に対して、見て見ぬふりも、僕には出来なかった。
そして不思議なことに、足りない収入の分だけ、ご相談は来るのである。

僕は、自分の生活とカウンセラーの仕事が、切り離せない運命の中に居た。

カウンセラーの仕事を避けても、その分、生活費は無くなるようになって行った。
どうしても、受けるようになってしまう。
だから僕は、運命に身を任せることにした。

とても情けない話であるが。僕は当時、場末のスナックなどでカウンセリングを行った。

夜の飲み屋街に出没する。ドサ回りの霊能力者である。

カラオケか鳴り響く、飲み屋の片隅で、霊能力者先生は、カラオケに負けない大きな声で、ご相談に乗っている姿があった。
噂を聞いて、他の飲み屋からも、僕の相談を受ける方もいた。

ご相談者の多くは、社会からドロップアウトした方も多く。
その中には、殺人者やソープ嬢、ヤクザなども多くいた。

皆、僕の能力や存在を賛美はしてくれるが、僕のやっていることは、人として生きる自信を無くすのに、じゅうぶんであったのだ。

こんな姿。亡くなった父や母には見せられない。
他人の悩み事を食い物にするなんて。
自分が情けなさ過ぎる。
父や母への思い出は、僕の心の中から遠退いていったのである。

俺は、金の為にやってんじゃねえ。
たまたま、彼らが居るから助かってはいるが、金銭を請求したことなど、俺には一度も無い。
頼まれるから、無視は出来ないんだよ。

言い訳か?

でも、この言い訳にも意味がある。
父や母には顔向け出来ず。
この、エセ0能力者としての自分の姿は、自分を傲慢にすることも無く。
また、ご相談者への、感謝の気持ちを自分の中に養って行くことが出来たと思う。

その頃、青い太陽の会員が、突然うちに転がり込む形で、内弟子となった。

さあ、大変だ。
一人でも食いぶちに事欠く有り様なのに、この貧乏屋敷にもう一人、人が増えてしまった。

内弟子になった彼女に、最初に言った言葉はこうである。

俺は、孤独を愛する人間だから。

この言葉は、自分の経済状態を悟られない為に、自分と弟子の間に線を引きたいが為に、出て来た言葉であった。

武士は食わねど高楊枝。

貧乏は隠せないと言うが、僕は彼女に、上手く自分の貧乏を隠すことが出来たと思う。
後年、彼女は、あの時の僕の姿を見て、ケチな人だと思っていたと言われた。

ケチに見せていただけだ。
本当の僕は、ケチとは正反対の性格なのである。

あの頃の、彼女との良い思い出を一つ挙げるとしたら、これだ。

お前、俺を殺す気かよ!

この、僕が言った一言だ。
(笑)
今、思い出しても、この台詞は楽しかった。
これは、あまりにもカウンセリングの予約が詰まったスケジュール表を見て、彼女に対して言った僕の暴言である。

僕が、霊能力者として愚痴を言ったのは、後にも先にも、これ一度だけである。

カウンセラー、霊能力者と言っても、僕は昼間は会社の経営者だ。
岡山講演会以降、最近では、割と楽な社長業務をこなしてはいるが。依然はもっと僕の仕事は過酷だった。

例えば、真夏の炎天下で労働をし、夜はカウンセリングをしなければならない。
急いで家に帰り。急いでシャワーだ。
シャワーで汗を流すと、もうドット疲れが出て、全く動きたくない。
でも、1時間後には、ご相談者はやって来る。

人間は、不思議なもので、やらされていると思うと疲れるが、自分から進んでやると疲れない。

他人の責任で働くと疲れるが、自分の責任で働くと疲れないのである。
僕は、自分の責任として働いたから、体力は持ったのだと思う。
だが、カウンセリングは時間が長く、そして眠い。
2~3時間の睡眠で、また早く起きて、昼間は労働をしなければならないのだ。

病院に入院し、自分の睡眠状態を検査すると。僕の熟睡時間は、わずか数分であった。
僕は、睡眠障害と慢性疲労になっていたのである。

こんな状態だったので、一度位、僕は他人に愚痴を言って見たかったのである。
だから、弟子が出来たので、僕は始めて他人に愚痴を言ってみたのだ。

愚痴を言う。
他人に甘える。
凄く楽な行為ではある。

だが、言ったら言ったで、弟子はとても困っていた。
それを見て、僕は彼女に申し訳ず。
僕はもう、誰にも愚痴は言えない運命であることを、悟ったのである。

もう、愚痴は言わない。
どんなに頑張っても、自分のしたことを、他人に評価してもらうこともやめよう。

今日も夜勤です。なんて言いたいときは、僕にだってある。
仕事が辛いって、言いたいときも、やっぱり僕にもあるのですよ。
でもね、そんなときは、父や母のことを思い出している。
今まで、自分を支えてくれた人たちや、多くのご相談者たちのことも、僕は思い出している。

花は、土が無ければ咲けない。
水が無くても、花ば咲けないんだ。
自分、一人で大きくなった顔をするな。

今のお前があるのは、周りの人たちが、土や水になってくれたからじゃないか?
それなのに、他人に愚痴を言ったり、頑張った自分を評価してもらおうと思うのは、自分を咲かしてくれた多くの人たちに対し、感謝をしていない証拠なんだぞ。

社会がお前を育てた。
その社会に、これ以上何を求めると言うのだ。

お前が自力で、一人で大きくなったのなら、他人に自分の苦労を愚痴れば良い。
頑張った評価を他人に求めれば良いだろう。

だがな、他人に育てて貰った恩があれば、傲慢にもなれないはずだし。
その分、黙って社会に対して恩返しをするべきじゃないのか。

もう一人の自分は、こんなことを僕に言って来る。
社会に対して音を返すなんて、自分としても大袈裟なんだけど、自分の中にはこんな声があり。
僕は、その自分の声に、正直に従って生きて来たのである。

これは、あまり知られていないが。僕は精神的に疾患を抱えている。
他人との、コミュニケーションが、とても苦手なのである。

正直、電話に出るのも怖い。
メールを開くのも怖い。
他人と接するのが、とても怖いんだ。
だから、カウンセリングの待ち時間も、どんな人が来るのか、とても心配だし。カウンセリング中も、強いストレスを抱え、他人にそれを知られないように隠して来た。

僕は今、自分として、とても苦手な生き方を選んでいる。
それを選んだのは、小学生の時だ。
確か、小学3年生の時だったと思う。

子供の頃の僕は、他人とのコミュニケーションが取れず。
自分の世界に入ってしまい、なかなか他人と打ち解けられない毎日が続いていた。
学級で作った。花壇などを2階の教室の窓から投げたり。学級で扱う品々を窓から投げて、自分の存在をクラスにアピールしたりした。

そんな僕だったから。学級で何か問題があると、僕はよく皆に疑われていたのだ。
だが、疑われても、コミュニケーション能力に乏しく、僕は誰にも何も言い返せないのである。

言い返せない代わりに、文句を言う相手の口を見て、蝶々や恐竜の姿を想像してしまう。
相手とか関係無い、別の次元に行ってしまうのだ。

この子は、普通学級は無理です。特殊学級に入れましょう。
僕に対する。先生たちの見解は、こうだった。
これが、3年生の時である。

父や母にも言われたが、僕はどうしても普通学級にいたかった。
僕は、学校に行くと、学校の校門に僕の名前をチョークで書くことにした。
学校の生徒全員に、僕の名前を覚えてもらう為である。
そして、名前の下に、天才児と書いたのであった。

誰が何と言おうと、俺は本当は天才なんだ。
皆、そのことをわかってくれ。

僕は、特殊学級行きを免れ、天才として生きる決意をしたんだな。
(笑)
大袈裟だけど、それが今の自分を作ったのだと思う。

だから、あの時から、僕は自分のコミュニケーション能力の至らなさと向き合っている。

自分を育ててくれた。この社会に恩返しがしたい。
こういった台詞は、大袈裟なのだが、社会に対して愚痴を言わず。評価を求めないのは、確かな事実である。

年に数回行われる。僕の講演会は、恩返しのつもりでも無いのだが、皆さんに惜しげも無く知識を提供しているつもりだ。
姿を見せ、露出度を上げることは、ファンサービスの一貫でもある。

この講演会。以前は、僕の話など、あんな話は誰でも出来るとか、随分と悪く言われて来たが。今は誰もそんな人は居ない。
何故、皆さんに僕が自分の知識を分けているのかを、薄々感じているのだろう。
僕の思いがわかった人は、誰も僕の話を悪く言わず。
僕の思いを受けとめ、皆さん、食い入るように話を聞いてくれている。

この講演会も、そして日々のカウンセリングも、半分は僕が自分への挑戦状なのだ。
コミュニケーション能力に欠けるという。精神的な疾患と、僕は真っ直ぐに向き合って来た。
これは、僕に与えられた使命と言っても良いだろう。

岡山講演会以降、社長業務が楽になったと言ったが。
あの講演会が、僕の人生の分岐点となった。

ここまで書いて来たように。僕は、他人の悩み事で飯を食う生き方を恥じていた。
金が無いからでは無く、助けてほしいと頼まれたから、やって来たのだが。それでも、やっぱり父や母には、胸を張って自分の生き方を示すことは出来ない。

母には、第一回青い太陽交流会の報告も出来ず。
両親供に亡くなり、自分がやったことを、評価して貰える術を失っている。

お母さん、僕は正しいのだろうか?
こんなこと、たまには聞いてみたい。
たが、甘えだよ。
僕も誰かに甘えたい。

岡山講演会は、かつて無い程に、とても辛い講演会となった。
それと同時に、かつて無い程、楽しい思いをさせていただいた。

というのは、岡山講演会の一週間前。
僕は長崎にいた。
長崎に旅行に行っていたのだ。
長崎のホテルから見る夜景は、それはとても綺麗だったのだが、同行した相手はとても行儀が悪かった。
僕を、眠らせてくれないのである。
移動中も、きちんと座ることは無く。半分は僕の席にまで座り、僕の足に自分の足を乗せて、何が楽しいのか?ずっと話し続けている。

何処かで眠らせてくれよ。
あんた。元気が良いのは良いけどさ。

長崎から帰ったら、僕はグッタリである。

僕は、深い海の中に生きる貝になりたい。
いつもそう思っている。
誰とも、口を聞きたくないのだ。

あまりにも体調が悪く、夜中、救急病院に行くと、僕はインフルエンザと診断された。

岡山講演会まで、あと数日。治さなければならない。

だが、この数日間こそ、僕は生まれて始めて楽しい気持ちを感じることが出来たのだ。
インフルエンザで、どんなに体が辛くても、他人と接しなくて済むのである。

自分はやっと孤独になれた。
生きることに、こんなにもストレスを感じていたことを、僕は始めて知ったのだ。

そして、岡山講演会の日が来た。
体調はかなり悪い。
だが、気持ちは晴れ晴れしている。
あまりにも体調が悪い為に、僕は講演会で何を話したのか覚えていない。

だが僕は、無我夢中で、自分自身を正直に表現することが出来たのだ。

俺はついにやった。

講演会は、辛かったのだが、これを良くは説明は出来ないんだけど、自分自身の生き方に、ここでけりを付ける事が出来た気がした。

誰とも接しない自分自身も、それはそれで良い。
インフルエンザになり、そのまま寝ていて、岡山講演会が中止になっても、誰も文句は言わなかっただろう。

それでも僕は、喜んで自分は岡山に行った。

辛くても、自分は気持ち良く話が出来、ちゃんと自分自身を表現してるじゃないか。

これこそが、俺らしい生き方なのだ。

岡山空港での話。

岡山空港に、鳥人幸吉という男の記事があった。
聞けば、岡山の人しか知らないような奇人らしい。

幸吉は、江戸時代の人で、白い鳩を研究し、人間用の翼を作り実際に空を飛んだと言う。
それが本当なら、ライト兄弟よりも、百年も早く人が空を飛ぶ羽を作ったことになる。

だが、当時の日本での幸吉は、変人扱いをされ、岡山から京都に所払いの刑を受け。
また、京都でも空を飛び、京都でも所払いの刑を受けたと言う。

僕は、この記事を読み。心の中で笑った。

ここにも、エセがいるじゃないか。
こんなにも、立派なエセがいたぞ。

本当なら、ライト兄弟よりも凄かった奴が、その時代にはエセ扱いされていた。

でも、蝶々は蝶々と呼ばれていることを知らなくても、蝶々は蝶々として、自由に空を飛んでいるのである。
僕は、誰に何と言われようと、幸吉が自由に空を飛んでいる風景を思い描いた。

エセ0能力者。
俺、生まれ変わっても。
多分、この生き方をまた選ぶだろう。


岡山から帰宅し、僕はとにかくベットに潜った。
もう、完全に力が尽きていたのである。
すると、部屋に誰かが入って来た。

僕の足元に、誰かが立っている。
誰だろう?

たった一言だった。
僕の名前を呼んでいる。

それは、紛れもなく。
第一回青い太陽交流会の直後、急死した母の声だった。

僕は、ベットから這い上がり、母の姿を追った。
だがもう、足元には誰も居なかった。
呼んでも返事は無い。
でも、僕にはわかっていた。
母の言わんとしてることが。

僕の名前を呼んだ一言に、母の気持ちが感じられた。

僕は、やっと母にも認められたんだ。

一番、認めてほしかった人は、実は、ずっと僕の生き方を見ていてくれていたことも、僕はこの時にやっとわかった。

もう果てしない、この宇宙。
だが、そこに、手を伸ばそうとする素直な気持ち。
あの時の素直な気持ちを、僕は、まだ持っているのだろうか?

でも、思い出は残っている。

今がどんな生き方をしていても良い。
あの時の思い出は、母と一緒に、今も心の中にずっと残っているのだ。



一月程以上前になるが、骨折をしました。
僕にとって骨折は、生まれて初めての経験でしょうか?
空手をやっていた頃は、骨にヒビが入ることはよくあったが、ポッキリと折れることは、初めての経験だと思う。

何処の骨を折ったかと言うと、尾てい骨である。
不思議なことに、僕が骨折をしたと言っても、何処の骨を折ったかを誰も聞かない。
だから言いますが、僕は尾てい骨を折りました。


一月経ってもまだまだ痛い。
座ることが辛いのです。
だから、寝てばかりです。

尾てい骨は金運の場所ですよ。
ここに変化があれば、金運にも変化がある。

尾てい骨が右に傾けば、金が抜けて行き。
左に傾けば、金が入らない仕組みになっている。

では、折ったらどうなるのだろうか?
僕は現状を観察してみました。
金運絡みで、何かが起こるはずです。

そしたら、結果が出て来ましたよ、金運に大きな変化が。

それは、結果的に言うと、僕は金額にして8桁の損をしてしまいました。

28才から、ゴツゴツと貯めて来た貯金。どんなに苦しくても、最低月に4万は貯めて来ただろう僕の貯金。何もかも、全部無くなり、僕は一文無しになりました。
(笑)

神様は、僕に何を学ばせたかったのだろうか?

以前、貧乏神の話をしましたっけ?
貧乏神って何でしょうか?
神様ですよね?
神様が何で人間を貧乏にするのでしょう。

それは、人間にお金の執着を捨てさせ、お金以外の価値を教える為に、貧乏神は人を貧乏にするのです。


僕は、貧乏神に憑かれたのかな?
だったら、何を学べば良いのだろうか?

結局、一文無しになっても何も変わらない。
逆に、この余裕は何なんだろうか?
僕はいくらでも、0からスタート出来る自信がある。

自分を信じ、自信を持つことが人間にとって、とても大切なことでは無いだろうか?

自分に自信を持てる人は、他人を信じることが出来る人だ。
他人を疑う人は、自分に自信を持っていない人だと僕は思う。

それは、自分に自信を持てない人は、過去に自分が決めたことまもらず。何かを失敗して、出来なかった経験があり。
そういった。自分が自分を裏切った経験が、自分が自分を信用出来なくなっている。

そういった思いは、他人対しても向けられる。
自分が自分を裏切った経験がある人は、他人も自分を裏切るのではないかと思うのだ。

信じることは、力だと僕は思う。
自信は力なんだ。


よく、若い女性が好きだという男性がいる。
僕もそうだ。若い女性はとても好きだ。
でも、僕は実際には、あまりパートナーの年齢は関係無い。

だって、女性に惚れるということは、何十年も好きでいられるという想いでしょう。
それがパートナーへの愛じゃないかな?
愛した女性は、どんなに若くても、いずれはお婆ちゃんである。
愛に年齢は関係無いでしょう。

それとは別に、生体能力として、若い女性は子供が産め易いから、男性が若い女性に好意を持つのは動物として当たり前でもありますよね。
でもね、自分に自信が無い男性程、若い女性が好きなのも事実なんだ。

つまり、自分の精神年齢が低いから、若い女しか自信を持って接することが出来ない奴もいるんだよ。
そういう男は、年相応の女性を愛せない。

精神的にレベルが低くて、凄い年上か、凄い年下しか相手に出来ないのね。
まあ、男として最低かも知れないね。

そういったことは、男性にだけ当てハマることでは無いと思う。
男も女も、やたらと若作りする奴がいますよ。

ファッションとして、中年の男がロン毛や、中年女のミニスカート好き。というのは別なのだが。
若作りの男が自分に自信を持ない奴が多く。
ミニスカートの若作りした女性程、男に引っ掛かり易いことも事実なんだ。

実際、ファッションとしてというのは、別の話ですよ。
それはまた、自分の価値観があり。精神的に大人だと思う。

でも、ただ単に若く見せたい人はね。若い頃の自分にしか、自信が持てない奴が多いんだ。
だから、若い頃の自分でしか生きられず。
年相応の、普通の格好が出来ない人もいるんだよね。

若作りても、年相応でも、何でも行けるのが理想じゃないかと僕は思うな。


ここで、とても若作りした女性の話をしたいと思う。
彼女は四十代だが、見た目年齢不詳だ。

まあ。
オッサンにもオバサンにも、若僧にも見える。

何と言うかな?
要するに、一般的な格好が出来ないわけだね。

彼女は、とても心配性な女性でした。
心配性なので、何か変わったことがあると、直ぐに相談に来ました。

そんな彼女。
ある時、家の物置から、奇妙な箱が出て来たそうだ。
古い木箱で、開けると怖いモノが入ってそうなので、開けられないと僕に言う。

だったら、開けなければ良いでしょう?と言ったのだが、彼女はそれはそれで怖いと言うんだ。


そんなことで、霊視なんかしたくないですよ。だから簡単に答えました。
中身は、ただの古い巻物か何かだから、心配する必要は無いです。

そしたら、彼女は安心して、その箱を開けたそうだ。
そしたら、本当に古い巻物が出て来たと言う。


僕はまた。つまらないモノを霊視してしまったようだった。


彼女は、非常に借金が多く。生活保護を受けている。
そして、ある時、借金の相談に来たこともあった。

いつになったら、借金が無くなるのでしょうか?

また、心配の虫が出て来たんだね。
それは、家の2階の押し入れに、何か平たいモノがあるから、それを見付けたら、借金は無くなるかも知れないよ。


これもまた。適当に答えてしまいました。

そしたら、早速、彼女は2階の押し入れの中のモノを、全部だして見たそうだ。
そしたら、本当に、平たいモノが出て来たと言う。
それは、古い半紙の束だったそうだ。

半紙の中身は、その家の三世代前の、ご先祖の借用書だったのである。

何枚もあったらしい。
これぞ、家系の因縁だ。

彼女は、先祖の借金の因縁を背負い。その為に貧乏な生活を余儀無くされていたのである。


先生、この借用書、どうしたら良いのですか?と彼女は僕に聞く。

先祖の借金なのです。
あなたが受け継げば先祖の供養ですよ。
今までの貧乏は、それに気付かせる為に起きていました。
自分がそれを受け入れ、先祖の代わりに返す覚悟をしたら、先祖に守られて借金は直ぐに返せますよ。
あなたの借金は、簡単に無くなるでしょう?

いえ、私は先祖の借金まで返したくありません。
自分の借金ですら大変なのに。

いやだから、その借金はね、気付きですよ。
気付けば、自分の借金も無くなります。
気付きの方が大切ですから。
あぁ、でも良いや。
先祖の借金すら、返したく無いのなら、そんな借用書なんか燃やしてしまえば良いじゃないですか。


そしたら、本当に彼女は借用書を燃やしてしまいました。


それから、数日後のことです。
彼女は、事故にあいました。
歩いている所を、車に跳ねられたそうです。

まあ、その。慰謝料というのかな?毎月、結構な金額が入りまして。
彼女は、自分の借金を、全額返すことが出来ました。

借用書なんて、燃やして良かった。
先生、ありがとうって感じです。

あんた。身体は大丈夫なの?って思いました。
ああ、成る程。仮病なんだな?


半年が経ち、いよいよ示談です。
彼女が貰える示談金は数百万円。
ところがここです。またここで問題が発生しました。

彼女は生活保護ですから、数百万円もの示談金は貰えません。
それを貰う為には、彼女は生活保護を打ち切らなければならない。

生活保護を打ち切れば、彼女はいずれ働かなくてはならなくなる。
でも、今は数百万円は欲しい。
苦汁の選択ですよ。


貧乏神の話じゃ無いですがね。
人は、お金を、何故に欲しいと思うのだろうか?
そもそも、人間って本当にお金を必要としているのでしょうか?

何かを買うために、お金が必要なら。本当は、その何かが欲しいだけなので、欲しいのはお金ではありません。
欲しいのは物です。

欲しい物が、全部揃う環境にいたなら、答えはハッキリしますよね?
物が全部あれば、お金は必要が無いのです。

お金が無いと安心が出来ないと言うのなら、安心が全部揃えば、お金は必要無くなってしまうでしょう。

つまり、人間は、本当に心が欲しているのは、お金ではありません。

心が何かを得たいと思っているだけなのです。

何かを得たいという。心の源は何なんだろうか?

何で、何かを得たいと心は思うのでしょうか?

それは、人間は自分を愛しているからなのです。
自分を満足させてあげたいと、誰もが願っているのですよね。

じゃあ、どうやったら。
人間は、自分を満足させられるのか?


悩みの根元は、願いにある。

彼女も、今まで自分を満足させる為に、お金で苦労をして来たのですね。
満足させたい欲が、そうさせていました。

先祖の因縁もありますが、根本は自分が可愛いから、お金で悩んだのです。


彼女は、生活保護を打ち切るか迷っていました。
自分は社会復帰して、やって行けるのだろうか?

ですから、僕はこう言いました。
僕は、あなたを信じていますよ。


人間は、なかなか自分に自信が持てません。
人生の中で、多くの失敗を重ねて来たから、なかなか自分に自信が持てないのです。

期待はずれな自分を、自分が一番よく知っているからですよ。

だから、人間は誰しも、他人に期待をされていたいのです。

他人に期待されたら、期待外れな自分を、他人の言葉が補ってくれるでしょう。

人間は、一人では生きて行けません。

僕、あなたを信じている。
この僕の一言で、彼女は胸を張って、生活保護を打ち切りました。

人を信じ、自分を信じ続けられたら、金が無く無くても。
人は0からやり直せる。


あとは彼女に、なるべく年相応な格好をしてほしい。
僕は、そう思いました。



一月程以上前になるが、骨折をしました。
僕にとって骨折は、生まれて初めての経験でしょうか?
空手をやっていた頃は、骨にヒビが入ることはよくあったが、ポッキリと折れることは、初めての経験だと思う。

何処の骨を折ったかと言うと、尾てい骨である。
不思議なことに、僕が骨折をしたと言っても、何処の骨を折ったかを誰も聞かない。
だから言いますが、僕は尾てい骨を折りました。


一月経ってもまだまだ痛い。
座ることが辛いのです。
だから、寝てばかりです。

尾てい骨は金運の場所ですよ。
ここに変化があれば、金運にも変化がある。

尾てい骨が右に傾けば、金が抜けて行き。
左に傾けば、金が入らない仕組みになっている。

では、折ったらどうなるのだろうか?
僕は現状を観察してみました。
金運絡みで、何かが起こるはずです。

そしたら、結果が出て来ましたよ、金運に大きな変化が。

それは、結果的に言うと、僕は金額にして8桁の損をしてしまいました。

28才から、ゴツゴツと貯めて来た貯金。どんなに苦しくても、最低月に4万は貯めて来ただろう僕の貯金。何もかも、全部無くなり、僕は一文無しになりました。
(笑)

神様は、僕に何を学ばせたかったのだろうか?

以前、貧乏神の話をしましたっけ?
貧乏神って何でしょうか?
神様ですよね?
神様が何で人間を貧乏にするのでしょう。

それは、人間にお金の執着を捨てさせ、お金以外の価値を教える為に、貧乏神は人を貧乏にするのです。


僕は、貧乏神に憑かれたのかな?
だったら、何を学べば良いのだろうか?

結局、一文無しになっても何も変わらない。
逆に、この余裕は何なんだろうか?
僕はいくらでも、0からスタート出来る自信がある。

自分を信じ、自信を持つことが人間にとって、とても大切なことでは無いだろうか?

自分に自信を持てる人は、他人を信じることが出来る人だ。
他人を疑う人は、自分に自信を持っていない人だと僕は思う。

それは、自分に自信を持てない人は、過去に自分が決めたことまもらず。何かを失敗して、出来なかった経験があり。
そういった。自分が自分を裏切った経験が、自分が自分を信用出来なくなっている。

そういった思いは、他人対しても向けられる。
自分が自分を裏切った経験がある人は、他人も自分を裏切るのではないかと思うのだ。

信じることは、力だと僕は思う。
自信は力なんだ。


よく、若い女性が好きだという男性がいる。
僕もそうだ。若い女性はとても好きだ。
でも、僕は実際には、あまりパートナーの年齢は関係無い。

だって、女性に惚れるということは、何十年も好きでいられるという想いでしょう。
それがパートナーへの愛じゃないかな?
愛した女性は、どんなに若くても、いずれはお婆ちゃんである。
愛に年齢は関係無いでしょう。

それとは別に、生体能力として、若い女性は子供が産め易いから、男性が若い女性に好意を持つのは動物として当たり前でもありますよね。
でもね、自分に自信が無い男性程、若い女性が好きなのも事実なんだ。

つまり、自分の精神年齢が低いから、若い女しか自信を持って接することが出来ない奴もいるんだよ。
そういう男は、年相応の女性を愛せない。

精神的にレベルが低くて、凄い年上か、凄い年下しか相手に出来ないのね。
まあ、男として最低かも知れないね。

そういったことは、男性にだけ当てハマることでは無いと思う。
男も女も、やたらと若作りする奴がいますよ。

ファッションとして、中年の男がロン毛や、中年女のミニスカート好き。というのは別なのだが。
若作りの男が自分に自信を持ない奴が多く。
ミニスカートの若作りした女性程、男に引っ掛かり易いことも事実なんだ。

実際、ファッションとしてというのは、別の話ですよ。
それはまた、自分の価値観があり。精神的に大人だと思う。

でも、ただ単に若く見せたい人はね。若い頃の自分にしか、自信が持てない奴が多いんだ。
だから、若い頃の自分でしか生きられず。
年相応の、普通の格好が出来ない人もいるんだよね。

若作りても、年相応でも、何でも行けるのが理想じゃないかと僕は思うな。


ここで、とても若作りした女性の話をしたいと思う。
彼女は四十代だが、見た目年齢不詳だ。

まあ。
オッサンにもオバサンにも、若僧にも見える。

何と言うかな?
要するに、一般的な格好が出来ないわけだね。

彼女は、とても心配性な女性でした。
心配性なので、何か変わったことがあると、直ぐに相談に来ました。

そんな彼女。
ある時、家の物置から、奇妙な箱が出て来たそうだ。
古い木箱で、開けると怖いモノが入ってそうなので、開けられないと僕に言う。

だったら、開けなければ良いでしょう?と言ったのだが、彼女はそれはそれで怖いと言うんだ。


そんなことで、霊視なんかしたくないですよ。だから簡単に答えました。
中身は、ただの古い巻物か何かだから、心配する必要は無いです。

そしたら、彼女は安心して、その箱を開けたそうだ。
そしたら、本当に古い巻物が出て来たと言う。


僕はまた。つまらないモノを霊視してしまったようだった。


彼女は、非常に借金が多く。生活保護を受けている。
そして、ある時、借金の相談に来たこともあった。

いつになったら、借金が無くなるのでしょうか?

また、心配の虫が出て来たんだね。
それは、家の2階の押し入れに、何か平たいモノがあるから、それを見付けたら、借金は無くなるかも知れないよ。


これもまた。適当に答えてしまいました。

そしたら、早速、彼女は2階の押し入れの中のモノを、全部だして見たそうだ。
そしたら、本当に、平たいモノが出て来たと言う。
それは、古い半紙の束だったそうだ。

半紙の中身は、その家の三世代前の、ご先祖の借用書だったのである。

何枚もあったらしい。
これぞ、家系の因縁だ。

彼女は、先祖の借金の因縁を背負い。その為に貧乏な生活を余儀無くされていたのである。


先生、この借用書、どうしたら良いのですか?と彼女は僕に聞く。

先祖の借金なのです。
あなたが受け継げば先祖の供養ですよ。
今までの貧乏は、それに気付かせる為に起きていました。
自分がそれを受け入れ、先祖の代わりに返す覚悟をしたら、先祖に守られて借金は直ぐに返せますよ。
あなたの借金は、簡単に無くなるでしょう?

いえ、私は先祖の借金まで返したくありません。
自分の借金ですら大変なのに。

いやだから、その借金はね、気付きですよ。
気付けば、自分の借金も無くなります。
気付きの方が大切ですから。
あぁ、でも良いや。
先祖の借金すら、返したく無いのなら、そんな借用書なんか燃やしてしまえば良いじゃないですか。


そしたら、本当に彼女は借用書を燃やしてしまいました。


それから、数日後のことです。
彼女は、事故にあいました。
歩いている所を、車に跳ねられたそうです。

まあ、その。慰謝料というのかな?毎月、結構な金額が入りまして。
彼女は、自分の借金を、全額返すことが出来ました。

借用書なんて、燃やして良かった。
先生、ありがとうって感じです。

あんた。身体は大丈夫なの?って思いました。
ああ、成る程。仮病なんだな?


半年が経ち、いよいよ示談です。
彼女が貰える示談金は数百万円。
ところがここです。またここで問題が発生しました。

彼女は生活保護ですから、数百万円もの示談金は貰えません。
それを貰う為には、彼女は生活保護を打ち切らなければならない。

生活保護を打ち切れば、彼女はいずれ働かなくてはならなくなる。
でも、今は数百万円は欲しい。
苦汁の選択ですよ。


貧乏神の話じゃ無いですがね。
人は、お金を、何故に欲しいと思うのだろうか?
そもそも、人間って本当にお金を必要としているのでしょうか?

何かを買うために、お金が必要なら。本当は、その何かが欲しいだけなので、欲しいのはお金ではありません。
欲しいのは物です。

欲しい物が、全部揃う環境にいたなら、答えはハッキリしますよね?
物が全部あれば、お金は必要が無いのです。

お金が無いと安心が出来ないと言うのなら、安心が全部揃えば、お金は必要無くなってしまうでしょう。

つまり、人間は、本当に心が欲しているのは、お金ではありません。

心が何かを得たいと思っているだけなのです。

何かを得たいという。心の源は何なんだろうか?

何で、何かを得たいと心は思うのでしょうか?

それは、人間は自分を愛しているからなのです。
自分を満足させてあげたいと、誰もが願っているのですよね。

じゃあ、どうやったら。
人間は、自分を満足させられるのか?


悩みの根元は、願いにある。

彼女も、今まで自分を満足させる為に、お金で苦労をして来たのですね。
満足させたい欲が、そうさせていました。

先祖の因縁もありますが、根本は自分が可愛いから、お金で悩んだのです。


彼女は、生活保護を打ち切るか迷っていました。
自分は社会復帰して、やって行けるのだろうか?

ですから、僕はこう言いました。
僕は、あなたを信じていますよ。


人間は、なかなか自分に自信が持てません。
人生の中で、多くの失敗を重ねて来たから、なかなか自分に自信が持てないのです。

期待はずれな自分を、自分が一番よく知っているからですよ。

だから、人間は誰しも、他人に期待をされていたいのです。

他人に期待されたら、期待外れな自分を、他人の言葉が補ってくれるでしょう。

人間は、一人では生きて行けません。

僕、あなたを信じている。
この僕の一言で、彼女は胸を張って、生活保護を打ち切りました。

人を信じ、自分を信じ続けられたら、金が無く無くても。
人は0からやり直せる。


あとは彼女に、なるべく年相応な格好をしてほしい。
僕は、そう思いました。