昔ありました。
イエスカードだか、最後のカードだか。
青い太陽の、何年か前の技術でしたが。
人間、人生にはバイオリズムがあり。
良い事と悪い事は交互にある。
一日の内でも、良い事と悪い事は交互にあって。
最後に良い事で終われば、次の展開は良い方に流れている訳だね。
よくわからないけど、人生は最後に選んだカードによって、次の運勢は変わるらしいですよ。
慈愛君の理論ではね。
最近の事ですが、ある会員二人が、破門と絶縁になりました。
そしてまた最近、この二人の破門と絶縁は、やっと解かれましたよね。
僕は、それをとても嬉しく感じました。
仲間内で、破門とか絶縁て、それは酷いと思いますよ。
だからと言って、幹部たちが決定した事に、反対する訳では無いですが。
破門、絶縁にするのは、幹部の立場なら当たり前の事だったと僕も思います。
それに、その決定は、二人に対しての、幹部たちの情けでもあると、僕は感じていました。
人間、本音と立て前はありますから、立て前を大切にするなら、それなりの処分は当たり前なのです。
ですが、人道的に言ってしまえば、辛い話もあります。
ですが、その決定の裏には、幹部たちの優しさもありました。
何がどうあれ、僕は、その二人の行く末を信じ。
また、幹部たちの決定も信じました。
これを期に、お互いに良い方向に進んでもらいたい。
実は僕も、その昔、全く違う団体ですが、破門になった事があります。
その処分は、今でも解かれていません。
破門と言われたら、最後なのです。
目の前が真っ暗なのですよ。
今までの、お仲間とのお付き合いは、破門されたら全く出来なくなりますから、それはそれは、かなり辛いものですよね。
昨日の友は、今日はもう友では無く、自分は誰からも相手にしてもらえません。
ですが、その経験は、今となってはとても良い経験だと感じてますし、人生を好転させたのだと、僕は思っています。
ですが、もし僕が破門になった事で、誰かを恨んでいたとしたら、今の人生は無かったとも思います。
僕は、誰も恨まなかったので、今の幸運を掴む事が出来ました。
何故、恨まなかったかと申しますと。
それは、全ては自分の責任だと知っていたからです。
本来は、自分の責任なのに、破門と言う形だけで、問題を終わらせて戴いた事に、僕は逆に感謝をする事にしました。
もしも今、僕の破門が解かれたらどうでしょうか?
当時の人たちは、昔のように付き合ってくれるのだろうか?
答えは決まっています。
僕は、破門が解かれても、誰からも相手にされないでしょう。
それだけの事を、やったのだから仕方が無いのです。
逆に、破門という形で、事態を終わらせてくれたのは、武士の情けだったのだと、今ではよくわかっています。
破門にならず。そこにそのまま残されたとしても、僕は誰からも相手にされなかったと思います。
これは、破門になるよりも辛い事です。
破門という形ではありましたが、逃げられない状況の中で、去って行く理由を与えて頂いた事は、本当はとても有り難い事だったのです。
そういった。人間同士の人情を、僕がわからなかったらどうだっただろうか?
きっと、逆縁になったかも知れません。
僕は、破門になったと言い触らし。
皆さんに、自分とは付き合うなと言いながら、相手方の悪口を言って、逆に自分の仲間に取り込もうとしたかも知れない。
人の情け。人情というモノがわからない奴は、そういう事をやってしまうのです。
破門を武器にして、逆に相手に仕返しをする。
こういった行為は、自分の非を省みる事が出来ない、犬畜生よりも劣る行為とみなされ。
やがて、自分自身の身を滅ぼしてしまうでしょう。
人生は、それ程甘くは無いと思います。
僕は、会員二人が、破門と絶縁になった時に、この事は絶対に、部外者には隠すべきだと思いました。
これは、彼らの名誉に関わる事だからです。
破門や絶縁は、あくまでも仲間内の事で、関係無い人にまで、それを伝える事は、彼らを生須に刻むような事になったいでしょう。
今、本当に彼らの破門と絶縁は、解かれました。
それでも、繋がってくれる人がいるかどうか?
それこそが、本当の彼らの真価の見せどころだと僕は思います。
破門や絶縁になったから仲間が居ないと言って、自分のやった事への責任を、こちらに預
ける事は、もう出来ないのです。
今、そこにある状態こそが、彼らが今までやって来た事の結果であって。
それを目の当たりにし。これから自分がどう生きるかは、本人次第となりました。
ここからが、彼らの正念場です。
僕は、彼らの行く末を見ています。
決して悪く思わず。
ずっと応援をしていたいと思っています。
これは、辞めた会員、全員にも言える事です。
僕は、殆どの退会者に対し、ある一定期間は連絡を取っています。
一定期間だけですがね。
お互いに遺恨を残す事は、お互いに、次の展開を悪くする事になるからです。
僕は、多くの会員に退会されても、それ以上に仲間は増えていますが、それは退会者を、悪く思わず。彼らの幸せを、願っていたからだと思っています。
たった一定期間でも、連絡を取り。遺恨を残さないようにし、お互いに感謝をし合って別れたからだと思うのです。
時には、色々と悪く言ったりはしました。
かなり、キツい言葉も吐きました。
ですがそれは、表面上で、相手のした事に対しての対応をしたまでです。
言わなければ、相手の立場が無かったし、お互いの立場からの対応で、腹には全くありませんでした。
本音と立て前を、ハッキリさせていますので、僕の本音には、嫌いな人は無く。皆さん心の中では仲間だったのです。
顔で笑って、心で泣く事は、僕の中では大有りでした。
本音と立て前を、分けていなければ、人は不幸になる場合が多いと思っています。
例えば、未成仏霊を浄霊する時です。
未成仏霊の殆どが、生前、立て前だけで生きて来た人たちです。
本来、人は、本音と立て前を連動させて生きなければなりません。
わかり易く言うと、一つの行動に対し、思考と想いが連動していなければならないのです。
例えば、思考だけを優先したら、損得勘定の計算した生き方になりますし。
想いだけを優先したら、損ばかりするかも知れません。
ですから、思考と想いは、両方知りつつ、バランス良く生きなければなりません。
未成仏霊の殆どは、生前は立て前だけで生きて来て、死んだ後に本音で苦しめられている霊なのです。
果たせなかった想いの、未練を残している訳です。
では、想いを優先すべきなのか?
ある意味で、在るがまま、心のままにも良いのですが。先程も言いましたように、人間は思考と想いのバランスです。
在るがまま、心のままに。それだけでは、一般の社会には付いて行けないし。周りの人たちも大変です。
在るがまま、心のままにで生きる事は、現実には、一般社会で普通に生きて行く上で、とても苦労をする生き方となるのです。
だったら、本音と立て前を知り、自分でバランスを取りながら区別し、世の中に合わせた生きた方をした方うが、簡単で生き易い生き方になるのです。
未成仏霊の多くは、本音だか立て前だか、中途半端に生きたから、後悔をして成仏が出来ていない事が多いです。
日頃から、本音と立て前の線引きをして生きていないから、死んでも中途半端になりました。
ですから、自分の中で、日頃から本音と立て前を使い分けて生きる必要があるのですよ。
破門になりました。
腹いせに、相手の誹謗中傷をする。
でも、後になって申し訳無かったと思う。
人間は、ある時はこの考え。またある時は、この考え。
または、この気持ち。
または、相手の立場を思ってみたり、自分を省みたりしながら。
自分の中で、思考や心をコントロール出来なければ、生き方のバランスが崩れて、自由には生きられないと思います。
色々な思考や思いがあり。
片寄れば、どれかが不自由になります。
どれにも片寄らず。思考や想いの真ん中で、自分自身が生きていなければ、本当の自分らしさは現れない。
青い太陽では、認知的不調和という人間の心癖に注目しています。
認知的不調和とは。
例えばです。
誰かが会社をクビになったとします。
クビになった人は、自分が悪かったと思いたくは無いものです。
心の中で、不調和が生じてしまうからです。
ですから、自分のクビを正当化する為に、会社が悪かったと思ったりいたします。
ですから、こう言います。
あの会社は、自分に合って無かった。
あの会社は、ダメな会社だったので、辞めて良かった。
これは、会社では無く、自分に問題があると知る事で、精神的にストレスが掛かるので、ストレスを避ける為に会社を悪く見ているだけなのです。
エスカレートしますと、その会社が潰れてほしくなります。
潰れる事で、辞めて置いて良かったと。自分が辞めた事を正当化したくなるのです。
青い太陽の退会者にも、そういった人たちはいました。
自分が辞めて、それでも青い太陽が他から良く評価されていたら、都合が悪く感じるのです。
青い太陽が、世間から良く思われたら、自分が退会した事を、間違いだったと感じてしまうからなのです。
青い太陽が、悪い組織だと思われる事で、自分が挫折した事を正当化したいのですよ。
逆に言って。僕自身も、退会した会員を、青い太陽に居なくて正解だったと思いたくなる時はありました。
特に、今回の様に、破門や絶縁にしますと。罪の意識から、破門、絶縁は当たり前だったと思いたくなるのです。
二人を破門、退会にしなければ、もっと事態は悪化していたと感じてしまう。
でも、実際にはどうだろうか?
悪化したのか、しなかったのか、それは誰にもわからない事なのです。
ただ言える事は、相手そのものを、悪く思ったら絶対にダメなんですよね。
自分たちの判断も、悪く思ったら絶対にダメです。
きちんと反省をした上で、相手は良い奴だったし、お互いにこれで良かったのだと思うべきなのです。
こう思いたい。
これも、認知的不調和ではありますが。
思考は選び、コントロールするものなのです。
悪く思えば、それは次の人間関係にも、繋がって行くのですよ。
金運というモノを考えた時にですね。
まず、金運を上げたければ、絶対にお金の入り口を考えてはダメなのです。
どうやって、お金が入るのか?
給料が上がるとか、ボーナスが上がるとか。
宝くじが当たるのか。
とか。
それを考える必要は、全くありません。
お金の入り方は考えず。
入り方は、運に任せます。
入り方を考えたら、その入り方でしか、お金は入らなくなるからなのです。
入り口を狭めては行けません。
お金は、思考や想いと連動しているモノで、思考や想いによって金運は変わるのです。
お金の入り口は考えず。
思考しなければならないのは、お金の出口なんですよね。
例えば、今月は一万円貯金をしよう。
そう思うと、一万円の出費が出てしまいます。
二万円を使わないでおこう。
そう思っても、友達の結婚式やら、誰かの葬式が重なって、使わない事にしていた二万円は、何故か出て行く事になるのです。
何故かと言うと、先程も言った様に、思考や想いと、金運は連動するからなのです。
逆に言って。この例えはわかり辛いですが。
どうしても、二万円必要だと思うと。
手元に無かったはずの二万円でも、何とか出来上がってしまうのですよね。
不思議です。
二万円がどうしても必要。
でも、入って来る見込みは無い。
でも、どうしても必要だったら、手元に無くても入って来てしまう。
使わないと思う金額分、人は損をし易く。
使おうと思った金額分、人は得をするように感じます。
これは、何故でしょうか?
この言い方は正しいかどうか、わかりませんが。
ケチった分だけ、人は損をし。
ケチれない分だけ、得をする訳ですよ。
ケチるもケチらないも無いよ。
幾ら幾ら、払わなくちゃなんねぇ。
と言って、ケチりながら金策をしますと、それは今度は、その分の借金になります。
よく考えてみますと。
金運は、そのような思考の法則に従って、上がったり下がったりしているようですよね。
ですから、コントロールしなければならないのは、出口の方の思考や想いなのですよ。
どうやって、お金を使うか?を思える事が大切です。
また違う話をしますと。
人は、損をすると、損した金額分の損を繰り返します。
一万円、パチンコで損をしたな。
そう思うと、また何処かで一万円、損をする事になります。
欲しいと思って、これを二万円で買ったけど、これは一万円の価値しか無いな。
一万円分、損をしたと思うと、また一万円分の損を何かでする事になります。
ケチった分。損をした分。
人は、同じだけの損をするのですよね。
ケチと損の、思考や思いをエネルギーで考えますと、それはマイナスエネルギーになるでしょう。
金運は、マイナスエネルギーにすると、下がるわけですね。
だったら、プラスエネルギーにしたら良いのです。
でも実際、金運を、プラスエネルギーだけにして置く事は不可能なんです。
何故なら、プラスとマイナスは、交互に来てるわけですからね。
プラスとマイナスが交互に来ますが。
人によっては、常にプラスに見える奴も中にはいます。
でも、まずは、金運をマイナスからプラスに変える方法を話しますね。
例えば、今週は金が無いから、食事は外食は止めて、家でご飯を炊こう。
節約すっぺ。と思ったとします。
この段階では、ケチってますし、外食は損をすると思っています。
損とケチですから、当然マイナスエネルギーで、金運は下がる訳です。
でもここで、一食分の得をしたと思うとどうでしょう。
ケチよりも、損よりも、思考は得を選ぶ訳ですよ。
しかも、思考の最後に、得を選んだ事に意味があるのですね。
最後に思考する事に、意味があるのです。
人間というのは、最後の言葉が印象に残る訳なのです。
誰かに例えば、メールをしたとして。
あなたは、バカだから絶縁になったけど、僕はあなたを良い人だと思ってます。
と言うのと。
僕はあなたを良い人だと思っていますけど、バカだから絶縁になりましたね。
と、二つメールしても、同じ内容ですが、片方は良い人が印象に残り、もう片方はバカが印象に残ります。
ですから、最後の思考や思いが大切なのですよ。
ぶっちゃけて言いますとですね。
損は誰でもするのですよ。
でも、その損を、得に変えて思考を止めて置くことが大切なのです。
そうしますと、得をした状態が、その後も続く訳です。
損をしたと思ったままだと、次の段階まで損を持ち越すことになる訳なのです。
ですから、金運が高い人は、思考を得で止めた人で、金運が低い人は、損で思考を止めて、損の思考が長く続いた人なのです。
人生、良い事もあるし、悪い事も、誰にでも交互にあるのですよね。
悪いで終わらせる人は、次の運が来るまで、悪い事が続きます。
そして、どんなに悪い事でも、良い所も必ずありますよ。
その良い所を見付けるのは、自分の中にある、良い心を使って見るしかありません。
人間には、様々な思考があり。様々な思いがある。
これを、選ぶのは自分自身なのですよね。
損を見付けてしまうのは、ケチな心が見付けてしまうのです。
相手の悪い所を見付けてしまうのは、自分の悪い心が見付けています。
皆、仲間という心で見たら、ずっと皆さん仲間ではないのでしょうか?
心の操作って、瞬間冷凍見たく出来ると思いますよ。
恨みとか、感謝とか、誰にでも色々な気持ちがあって。
一番、自分にしっくり来る感情があったら。
そこで、思考を瞬間冷凍してしまうのです。
嫌な気持ちで、瞬間冷凍していたら、次の運までそれは溶けません。
良い気持ちで、瞬間冷凍しても、次の運まで溶けないのです。
最後に残した心が、人生を作ります。
仲間が増えないってのは、自分の心の問題ですね。
人情で見なければ、人の人情も見えません。
お金が無いのも同じです。
本当は人間て、様々な見方が出来て、様々な思考や想いを使い分ける事が出来るのです。
今の自分を作った。最後に選んだ思考や想いは、何だったのだろうか?
自分は今は、最後に選んだ思考や想いで生きています。