昔ありました。
イエスカードだか、最後のカードだか。
青い太陽の、何年か前の技術でしたが。

人間、人生にはバイオリズムがあり。
良い事と悪い事は交互にある。
一日の内でも、良い事と悪い事は交互にあって。
最後に良い事で終われば、次の展開は良い方に流れている訳だね。

よくわからないけど、人生は最後に選んだカードによって、次の運勢は変わるらしいですよ。
慈愛君の理論ではね。


最近の事ですが、ある会員二人が、破門と絶縁になりました。
そしてまた最近、この二人の破門と絶縁は、やっと解かれましたよね。

僕は、それをとても嬉しく感じました。
仲間内で、破門とか絶縁て、それは酷いと思いますよ。

だからと言って、幹部たちが決定した事に、反対する訳では無いですが。
破門、絶縁にするのは、幹部の立場なら当たり前の事だったと僕も思います。
それに、その決定は、二人に対しての、幹部たちの情けでもあると、僕は感じていました。

人間、本音と立て前はありますから、立て前を大切にするなら、それなりの処分は当たり前なのです。
ですが、人道的に言ってしまえば、辛い話もあります。
ですが、その決定の裏には、幹部たちの優しさもありました。


何がどうあれ、僕は、その二人の行く末を信じ。
また、幹部たちの決定も信じました。
これを期に、お互いに良い方向に進んでもらいたい。

実は僕も、その昔、全く違う団体ですが、破門になった事があります。
その処分は、今でも解かれていません。

破門と言われたら、最後なのです。
目の前が真っ暗なのですよ。

今までの、お仲間とのお付き合いは、破門されたら全く出来なくなりますから、それはそれは、かなり辛いものですよね。

昨日の友は、今日はもう友では無く、自分は誰からも相手にしてもらえません。

ですが、その経験は、今となってはとても良い経験だと感じてますし、人生を好転させたのだと、僕は思っています。
ですが、もし僕が破門になった事で、誰かを恨んでいたとしたら、今の人生は無かったとも思います。


僕は、誰も恨まなかったので、今の幸運を掴む事が出来ました。

何故、恨まなかったかと申しますと。
それは、全ては自分の責任だと知っていたからです。

本来は、自分の責任なのに、破門と言う形だけで、問題を終わらせて戴いた事に、僕は逆に感謝をする事にしました。


もしも今、僕の破門が解かれたらどうでしょうか?
当時の人たちは、昔のように付き合ってくれるのだろうか?

答えは決まっています。

僕は、破門が解かれても、誰からも相手にされないでしょう。
それだけの事を、やったのだから仕方が無いのです。
逆に、破門という形で、事態を終わらせてくれたのは、武士の情けだったのだと、今ではよくわかっています。

破門にならず。そこにそのまま残されたとしても、僕は誰からも相手にされなかったと思います。
これは、破門になるよりも辛い事です。

破門という形ではありましたが、逃げられない状況の中で、去って行く理由を与えて頂いた事は、本当はとても有り難い事だったのです。

そういった。人間同士の人情を、僕がわからなかったらどうだっただろうか?

きっと、逆縁になったかも知れません。

僕は、破門になったと言い触らし。
皆さんに、自分とは付き合うなと言いながら、相手方の悪口を言って、逆に自分の仲間に取り込もうとしたかも知れない。

人の情け。人情というモノがわからない奴は、そういう事をやってしまうのです。
破門を武器にして、逆に相手に仕返しをする。

こういった行為は、自分の非を省みる事が出来ない、犬畜生よりも劣る行為とみなされ。
やがて、自分自身の身を滅ぼしてしまうでしょう。
人生は、それ程甘くは無いと思います。


僕は、会員二人が、破門と絶縁になった時に、この事は絶対に、部外者には隠すべきだと思いました。
これは、彼らの名誉に関わる事だからです。

破門や絶縁は、あくまでも仲間内の事で、関係無い人にまで、それを伝える事は、彼らを生須に刻むような事になったいでしょう。

今、本当に彼らの破門と絶縁は、解かれました。

それでも、繋がってくれる人がいるかどうか?
それこそが、本当の彼らの真価の見せどころだと僕は思います。

破門や絶縁になったから仲間が居ないと言って、自分のやった事への責任を、こちらに預
ける事は、もう出来ないのです。

今、そこにある状態こそが、彼らが今までやって来た事の結果であって。
それを目の当たりにし。これから自分がどう生きるかは、本人次第となりました。

ここからが、彼らの正念場です。
僕は、彼らの行く末を見ています。
決して悪く思わず。
ずっと応援をしていたいと思っています。


これは、辞めた会員、全員にも言える事です。

僕は、殆どの退会者に対し、ある一定期間は連絡を取っています。

一定期間だけですがね。

お互いに遺恨を残す事は、お互いに、次の展開を悪くする事になるからです。

僕は、多くの会員に退会されても、それ以上に仲間は増えていますが、それは退会者を、悪く思わず。彼らの幸せを、願っていたからだと思っています。

たった一定期間でも、連絡を取り。遺恨を残さないようにし、お互いに感謝をし合って別れたからだと思うのです。

時には、色々と悪く言ったりはしました。
かなり、キツい言葉も吐きました。
ですがそれは、表面上で、相手のした事に対しての対応をしたまでです。
言わなければ、相手の立場が無かったし、お互いの立場からの対応で、腹には全くありませんでした。

本音と立て前を、ハッキリさせていますので、僕の本音には、嫌いな人は無く。皆さん心の中では仲間だったのです。


顔で笑って、心で泣く事は、僕の中では大有りでした。
本音と立て前を、分けていなければ、人は不幸になる場合が多いと思っています。

例えば、未成仏霊を浄霊する時です。
未成仏霊の殆どが、生前、立て前だけで生きて来た人たちです。

本来、人は、本音と立て前を連動させて生きなければなりません。
わかり易く言うと、一つの行動に対し、思考と想いが連動していなければならないのです。

例えば、思考だけを優先したら、損得勘定の計算した生き方になりますし。
想いだけを優先したら、損ばかりするかも知れません。
ですから、思考と想いは、両方知りつつ、バランス良く生きなければなりません。

未成仏霊の殆どは、生前は立て前だけで生きて来て、死んだ後に本音で苦しめられている霊なのです。
果たせなかった想いの、未練を残している訳です。

では、想いを優先すべきなのか?

ある意味で、在るがまま、心のままにも良いのですが。先程も言いましたように、人間は思考と想いのバランスです。

在るがまま、心のままに。それだけでは、一般の社会には付いて行けないし。周りの人たちも大変です。

在るがまま、心のままにで生きる事は、現実には、一般社会で普通に生きて行く上で、とても苦労をする生き方となるのです。
だったら、本音と立て前を知り、自分でバランスを取りながら区別し、世の中に合わせた生きた方をした方うが、簡単で生き易い生き方になるのです。

未成仏霊の多くは、本音だか立て前だか、中途半端に生きたから、後悔をして成仏が出来ていない事が多いです。
日頃から、本音と立て前の線引きをして生きていないから、死んでも中途半端になりました。

ですから、自分の中で、日頃から本音と立て前を使い分けて生きる必要があるのですよ。


破門になりました。
腹いせに、相手の誹謗中傷をする。
でも、後になって申し訳無かったと思う。

人間は、ある時はこの考え。またある時は、この考え。
または、この気持ち。
または、相手の立場を思ってみたり、自分を省みたりしながら。
自分の中で、思考や心をコントロール出来なければ、生き方のバランスが崩れて、自由には生きられないと思います。

色々な思考や思いがあり。
片寄れば、どれかが不自由になります。
どれにも片寄らず。思考や想いの真ん中で、自分自身が生きていなければ、本当の自分らしさは現れない。


青い太陽では、認知的不調和という人間の心癖に注目しています。

認知的不調和とは。
例えばです。
誰かが会社をクビになったとします。
クビになった人は、自分が悪かったと思いたくは無いものです。
心の中で、不調和が生じてしまうからです。

ですから、自分のクビを正当化する為に、会社が悪かったと思ったりいたします。
ですから、こう言います。
あの会社は、自分に合って無かった。
あの会社は、ダメな会社だったので、辞めて良かった。

これは、会社では無く、自分に問題があると知る事で、精神的にストレスが掛かるので、ストレスを避ける為に会社を悪く見ているだけなのです。

エスカレートしますと、その会社が潰れてほしくなります。
潰れる事で、辞めて置いて良かったと。自分が辞めた事を正当化したくなるのです。

青い太陽の退会者にも、そういった人たちはいました。
自分が辞めて、それでも青い太陽が他から良く評価されていたら、都合が悪く感じるのです。
青い太陽が、世間から良く思われたら、自分が退会した事を、間違いだったと感じてしまうからなのです。
青い太陽が、悪い組織だと思われる事で、自分が挫折した事を正当化したいのですよ。

逆に言って。僕自身も、退会した会員を、青い太陽に居なくて正解だったと思いたくなる時はありました。

特に、今回の様に、破門や絶縁にしますと。罪の意識から、破門、絶縁は当たり前だったと思いたくなるのです。

二人を破門、退会にしなければ、もっと事態は悪化していたと感じてしまう。
でも、実際にはどうだろうか?

悪化したのか、しなかったのか、それは誰にもわからない事なのです。

ただ言える事は、相手そのものを、悪く思ったら絶対にダメなんですよね。
自分たちの判断も、悪く思ったら絶対にダメです。
きちんと反省をした上で、相手は良い奴だったし、お互いにこれで良かったのだと思うべきなのです。

こう思いたい。

これも、認知的不調和ではありますが。
思考は選び、コントロールするものなのです。
悪く思えば、それは次の人間関係にも、繋がって行くのですよ。


金運というモノを考えた時にですね。
まず、金運を上げたければ、絶対にお金の入り口を考えてはダメなのです。

どうやって、お金が入るのか?
給料が上がるとか、ボーナスが上がるとか。
宝くじが当たるのか。
とか。
それを考える必要は、全くありません。
お金の入り方は考えず。
入り方は、運に任せます。

入り方を考えたら、その入り方でしか、お金は入らなくなるからなのです。
入り口を狭めては行けません。


お金は、思考や想いと連動しているモノで、思考や想いによって金運は変わるのです。

お金の入り口は考えず。
思考しなければならないのは、お金の出口なんですよね。

例えば、今月は一万円貯金をしよう。
そう思うと、一万円の出費が出てしまいます。
二万円を使わないでおこう。
そう思っても、友達の結婚式やら、誰かの葬式が重なって、使わない事にしていた二万円は、何故か出て行く事になるのです。

何故かと言うと、先程も言った様に、思考や想いと、金運は連動するからなのです。

逆に言って。この例えはわかり辛いですが。
どうしても、二万円必要だと思うと。
手元に無かったはずの二万円でも、何とか出来上がってしまうのですよね。

不思議です。

二万円がどうしても必要。
でも、入って来る見込みは無い。
でも、どうしても必要だったら、手元に無くても入って来てしまう。


使わないと思う金額分、人は損をし易く。
使おうと思った金額分、人は得をするように感じます。

これは、何故でしょうか?

この言い方は正しいかどうか、わかりませんが。
ケチった分だけ、人は損をし。
ケチれない分だけ、得をする訳ですよ。

ケチるもケチらないも無いよ。
幾ら幾ら、払わなくちゃなんねぇ。
と言って、ケチりながら金策をしますと、それは今度は、その分の借金になります。

よく考えてみますと。
金運は、そのような思考の法則に従って、上がったり下がったりしているようですよね。

ですから、コントロールしなければならないのは、出口の方の思考や想いなのですよ。

どうやって、お金を使うか?を思える事が大切です。

また違う話をしますと。
人は、損をすると、損した金額分の損を繰り返します。

一万円、パチンコで損をしたな。
そう思うと、また何処かで一万円、損をする事になります。
欲しいと思って、これを二万円で買ったけど、これは一万円の価値しか無いな。
一万円分、損をしたと思うと、また一万円分の損を何かでする事になります。


ケチった分。損をした分。
人は、同じだけの損をするのですよね。

ケチと損の、思考や思いをエネルギーで考えますと、それはマイナスエネルギーになるでしょう。

金運は、マイナスエネルギーにすると、下がるわけですね。
だったら、プラスエネルギーにしたら良いのです。

でも実際、金運を、プラスエネルギーだけにして置く事は不可能なんです。
何故なら、プラスとマイナスは、交互に来てるわけですからね。

プラスとマイナスが交互に来ますが。
人によっては、常にプラスに見える奴も中にはいます。


でも、まずは、金運をマイナスからプラスに変える方法を話しますね。

例えば、今週は金が無いから、食事は外食は止めて、家でご飯を炊こう。
節約すっぺ。と思ったとします。

この段階では、ケチってますし、外食は損をすると思っています。

損とケチですから、当然マイナスエネルギーで、金運は下がる訳です。
でもここで、一食分の得をしたと思うとどうでしょう。

ケチよりも、損よりも、思考は得を選ぶ訳ですよ。
しかも、思考の最後に、得を選んだ事に意味があるのですね。

最後に思考する事に、意味があるのです。


人間というのは、最後の言葉が印象に残る訳なのです。
誰かに例えば、メールをしたとして。

あなたは、バカだから絶縁になったけど、僕はあなたを良い人だと思ってます。

と言うのと。

僕はあなたを良い人だと思っていますけど、バカだから絶縁になりましたね。

と、二つメールしても、同じ内容ですが、片方は良い人が印象に残り、もう片方はバカが印象に残ります。

ですから、最後の思考や思いが大切なのですよ。


ぶっちゃけて言いますとですね。
損は誰でもするのですよ。
でも、その損を、得に変えて思考を止めて置くことが大切なのです。

そうしますと、得をした状態が、その後も続く訳です。
損をしたと思ったままだと、次の段階まで損を持ち越すことになる訳なのです。

ですから、金運が高い人は、思考を得で止めた人で、金運が低い人は、損で思考を止めて、損の思考が長く続いた人なのです。

人生、良い事もあるし、悪い事も、誰にでも交互にあるのですよね。
悪いで終わらせる人は、次の運が来るまで、悪い事が続きます。

そして、どんなに悪い事でも、良い所も必ずありますよ。

その良い所を見付けるのは、自分の中にある、良い心を使って見るしかありません。

人間には、様々な思考があり。様々な思いがある。
これを、選ぶのは自分自身なのですよね。

損を見付けてしまうのは、ケチな心が見付けてしまうのです。
相手の悪い所を見付けてしまうのは、自分の悪い心が見付けています。

皆、仲間という心で見たら、ずっと皆さん仲間ではないのでしょうか?


心の操作って、瞬間冷凍見たく出来ると思いますよ。

恨みとか、感謝とか、誰にでも色々な気持ちがあって。
一番、自分にしっくり来る感情があったら。
そこで、思考を瞬間冷凍してしまうのです。

嫌な気持ちで、瞬間冷凍していたら、次の運までそれは溶けません。
良い気持ちで、瞬間冷凍しても、次の運まで溶けないのです。

最後に残した心が、人生を作ります。


仲間が増えないってのは、自分の心の問題ですね。
人情で見なければ、人の人情も見えません。

お金が無いのも同じです。

本当は人間て、様々な見方が出来て、様々な思考や想いを使い分ける事が出来るのです。


今の自分を作った。最後に選んだ思考や想いは、何だったのだろうか?

自分は今は、最後に選んだ思考や想いで生きています。



霊の世界には時間が無い。
どういう事でしょうか?
青い太陽での認識では、言ってみれば現実を三次元として、心の世界を四次元とし、霊の世界を五次元と考える。
まあ、特には決まりは無いのですが。そう認識するとわかりやすいです。

未成仏霊を浄霊する場合。
未成仏霊がいる世界を、まだ五次元とは考えません。
未成仏霊は、まだ執着心などで心の世界に縛られていますので、未成仏霊は、心の世界である四次元にいる存在と考え。
彼らの心を解き放つ事で、やっと霊は五次元に移行し成仏するのだと考える。
これを、浄霊と言っている訳だね。

それでも、四次元にいる霊も時間が存在しない。
勿論、彼らも時間の概念は持っているのだが、四次元は時間が停止している世界に思う。

ちょっと、難しい話でしょうか?
時間が停止してるなんて、よくわからないですよね?
何故なら、我々の脳は三次元ですから、四次元を、三次元の脳で無理矢理理解する事は無理があるからです。

更に言えば。
時間が無いという五次元は、三次元の脳ではもっとわからない。

時間が無いという概念を、現象で説明すると、よくわかるのでは無いだろうか?

わかり易く言うと、時間が無いというのは、例えば五次元の霊界にいる、ドイツのヒットラーを降霊したとしますよ。
霊は肉体の無い世界ですから、物質を越えています。ですから、距離もありません。
ヒットラーは、瞬時に、もうここに来ています。
そして、ヒットラーはドイツ語では無く。日本語で話せます。

ドイツのヒットラーは、呼び出した相手に合わせて、日本語を覚えてから日本に降霊される訳なのです。
イギリスに呼んだら、英語を話せますし、イタリアに呼んだら、イタリア後で話します。

これは、ヒットラーは呼び出した相手の母国語を、一瞬で覚えたという事になります。

時間が無い五次元の霊界では、三次元では長時間かけて覚える事を、時間が無い世界ですから瞬時に覚えられる訳です。

瞬時と言うより、瞬時という時間も無い訳ですね。

時間が無ければ、原因と結果もありませんよね。
原因と結果は、五次元では同時です。

ですが、四次元の未成仏霊の段階では、まだ原因と結果は分かれてあります。

我々の三次元では、距離も時間もまだまだあります。

我々の三次元では、何々をやったから、こうなったとなりますが、時空を越えた五次元の世界では、原因と結果は同じです。

簡単に言えば、原因と結果が同時という事は、結果があるから原因があるとも言えるのです。

何々をやったから、こうなっただけではなく。
こうなるから、何々をやったというのも、有りの世界なのです。

という事で、序文はここまでにして、本題に入りたいと思います。


僕も最近、結婚が近付くにつれ、何となく相手との関係も深まってくる様子を感じています。
日に日に、相手を身近に感じるようになりました。

彼女とお付き合いを始めて、まだ二年ちょっとですか。
結婚を目前に控えますと、かなり関係は変わりますよ。

前回のブログでは、結婚は人類の進化のプロセスみたく書きましたが、正しくその通りだと思います。
どの神話を見ても、男女夫婦から、人類の進化は始まるじゃないですか。
ですから、人類の進化の鍵は、夫婦にあるということだと思うのです。

そして男女は、関係が近付けば近付く程、学びは大きくなって行く。

付き合い始めて、まだ関係が浅い間柄では、学びも小さい訳です。


人類の最大の間違いの一つには、関係が遠いのに近く考え。関係が近いのに、遠く考える。というのがあると僕は思う。

人は、相手との、学びの距離感をわからなくなっているという訳です。
これには、テレビや新聞の影響があるのでは無いだろうか?

僕は、この距離感の間違いにハマらない為に、もう二十年もまともにテレビも見ないし、新聞も読みません。
それでも、必要な情報だけは、きちんとした距離感で入って来ています。

距離感の間違いとは何でしょうか。

例えば、遠近法を考えてみてください。
遠いモノは小さく見えて、近いモノは大きく見えています。

遠いモノは小さく。
近いモノは大きく。
これが、この世の真理なのですが、人間の思考は、その感覚が狂っているのですよ。

対岸の火事は、遠く小さく見えるのです。
隣の火事は、大きて近い。

ところが、対岸の火事を大きく捉えて心配し。
隣の火事は他人事にしている訳です。
あなたのせいで、私は関係無い事だとね。

モノの大きさの捉え方が狂っていますので、世の中も狂っているのが、今の現状だと僕は思います。

思考は現実化しますので。小さいモノを、大きく捉えたら、大きく現実化致しますし。大きいモノを、他人事にしていたら、現実は何も変わりません。


何年か前の話なのですが、アメブロの能力者と揉めた事がありました。
能力者と言っても、ただの狐憑きだったのですが。
まあ、本人は狐に取り憑かれている事を知りませんから、自分を新しい光が降りたとか、動物霊特有の事を言ってましたが、その狐憑きは今は大丈夫なのかな?と思う時がある。

アメブロの本物の能力者は、皆さん見抜いていたと思いますよ。
能力者なら、誰も相手にしないでしょう。
集まるのは、素人だけでした。

その狐憑きは、色々な人を調整していましたが、受けた人も皆さん狐の分霊を受けて狐憑きになってましたし。狐憑き本人も、死んだら狐憑きの霊界に降りて、下僕になってしまうでしょう。

怖い世界ですよね。
以前、恐怖新聞という漫画があり。
ポルターガイストに取り憑かれた少年は、やがて死にました。
そして、死んだ後は、今度は自分が誰かに取り憑いて、あの世の新聞を配達させられていました。

悪霊の憑依は怖いですが。自分の憑依で置かれた意味がわからないのは、もっと怖いですわ。
本人は、突然能力が憑いて、新しい光だとか言ってましたが、突然というのは憑依が殆どなのですよね。
ヤバいのですよ。これ。
見た目だけは、凄いのですがね。

何で揉めたのか、何年も前の話なので、忘れましたけど。
その狐憑きと、直接メールでやり取りをしました。

狐憑きは、俺と勝負しろとか言ってましたが。
まともな霊能力者でしたら、好き好んで動物霊とは勝負しませんよね。
その狐憑きの持つ能力は、かなり気持ち悪かったのです。

所詮、相手は低級霊なんだし、僕は相手にしませんでした。

それでも正直に言うと、るせえバカとか、あっちに行ってれとか。ふざけた暴言は僕も吐きましたよ。
多少の悪戯心もあって、ちょっと小バカにした接し方をしてしまいました。

ですが、相手は礼儀正しく、とても男らしくメールして来ましたよね。
メールの内容には、如何にも動物霊憑きの暴言もありましたが、きちんとした人だったので、良い人間だから低級霊に騙されたんだな。と僕は思いました。

僕自身、相手が低級霊でも動物霊に憑かれていても、そこで相手を判断しません。
現に、青い太陽の会員にも、動物霊憑きが大勢いましたしね。
それでも、志しが高ければ、人間は低級霊の影響は受けませんよ。

その狐憑きも、それなりに意識は高くなりたいようでした。
頑張っている感はあった。
その態度に、僕と繋がる何かを感じましたので、せっかくの縁ですから、仲良くなれば色々教えてあげたいな。思いました。

僕も、師匠を持たずに、自分で研究しながらやって来たのは、それなりに大変だったし。
後に続く者がいたら、喜んで自分の技術を分けてあげたいのです。

能力者になりたい奴は、入会すれば、誰にでも教えてあげたい。

実際、霊能力者には、誰でもなれるのですよ。
霊能力は身に付けるモノでは、本当は何も無いですから。
その狐憑きみたく、動物霊に憑かれなくても、誰でも霊能力者にはなれるのです。

元々、我々の根元は霊なのですから、三次元の概念を外して、四次元や五次元に意識を行こうさせれば誰でも霊能力者なのですよね。
当たり前な事ですよ。

これはとても簡単で、青い太陽では、この十年間、多くの霊能力者を出して来たでしょう。
多くの仲間を持って、僕はとても楽しかった。

仲間意識って、楽しいですよね。

狐憑きへの、最後のメールでは、僕は相手に対して色々と書きました。
勿論、相手が傷付くような、あなたは狐に憑かれて、周りの人たちに狐を憑依させて、低級霊の宗教団体を構築してます。なんて絶対に言えません。
僕が言ったら、傷付くからです。
相手の志までも、無にしてしまう可能性があります。
ですから、ただ単に、あなたは良い人間だなと。色々言って申し訳無いなと。
お互いに、似た者同士だから、頑張ろうぜって。
そんな文章でしたね。

ですが、これも運命なのかな?
メールを送信しようとしたら、充電切れですわ。
狐憑きに対して、僕の思う最後の気持ちは、最後は伝えられませんでした。

でも、お互いに通じる事があった訳で、相手も僕も出会いに感謝をしていたから、僕はその時はそれで良いと思いました。
言葉よりも、心の繋がりが大切だと思うからです。

そして、狐憑きとの、その出会いの感動を、僕はブログに書いたんですよ。
ですが、よせば良いのに、彼のブログも見に行ってしまいました。

それを読んでみて、僕は愕然としてしまいました。
あれには、とても驚いた。
僕に対してのメールと、そのブログでの話は、全く違う内容が書いてあったのです。
内容だけでは無く。
全く別人だった。

そのブログには、僕の事を、プロの霊能力者が逃げたとか、俺はプロの霊能力者に勝ったとか。
そこには、僕に対して見せてくれた。男らしく礼儀正しい、狐憑きの姿は無く。
僕を使って、自分を宣伝する嘘つきの、ただの低級霊の姿でしか無かった。

いや、僕を悪く言ったことは良いんですよ。
僕も大した人間ではないのですから。
ですが、そういう霊能力者に対して、一瞬たりとも、僕自身が意思が通じた気がしたり、本当の技術を伝えても良いと思ってしまった。自分の人の良さに呆れ、僕自身愕然としてしまいました。

僕は、こんな低級霊に、まんまと騙されてしまったのか。

僕は直ぐに、狐憑きの守護霊を呼び出しました。
来たのは、女狐でした。

何だよ、もうそいつからは、既に守護霊は離れてしまい。
彼は動物霊の配下に落ちているではないですか。
完全に、出遅れである。

女狐は弱く、やたらと謝ってましたが、僕はどうにも気持ちがおさまりません。
そりゃそうなんです。
問題の責任は、動物霊ではなく、僕の責任なのですから。
どんなに相手を悪く思っても、問題の解決にはならないのです。

この世は、写し鏡なので、相手は自分の投影なのです。
だから、問題を相手に押し付けても、何の解決も無く、僕の現状は何も変わらない。

動物霊が憑依し、憑依された側の人間が低級霊になり。
その低級霊は、動物霊の下僕となって、更に憑依を広げるのはよくある話ですよ。
でもこれは、今までの僕にとっては、対岸の火事で遠い出来事でした。

遠い出来事は、小さなモノなので、大した影響は無い訳です。

ところが、それが身近に起きたという事は、自分そのモノに近く、写し鏡として写されたとなるでしょう。
嘘つきの狐憑きは、未来の自分の姿でもある訳です。

僕は未来を変えるしかありません。
その為に、アメブロでのブログを僕は控えました。
アメブロにも、リンクしないようにしました。


五次元では、原因と結果は同時だと言いましたよね。
ある、地方都市での話をします。

それは、自殺霊に二十年間祟られ続けた。ある男性の話です。

男性の家では、様々な問題が起きていました。
家族の病気や、遺産問題など。家に出る浮遊霊による霊障。

様々な問題を抱える家庭で、僕も色々な方法で、それらを霊的に処理しました。
ですが、それらの本当の原因となったのは、二十年前に起きた。近所の少年の自殺という事件だったのです。

自殺した少年と、その男性は当時は同級生でした。
その男性は、当時、その少年を自殺まで追い込ませるイジメをやったという事になっています。

二人は当時、小学生でした。

イジメられた少年は、死ぬまで彼にイジメられて亡くなりましたが。
イジメた少年も、その為に、死ぬまで社会からイジメられる運命なのです。

今でもイジメのサイトには、彼の本名が明かされ、就職先や自宅に悪戯電話が絶えません。


四次元という。未成仏霊の世界で見てみますと。
これは、自殺した少年の霊が、祟っている事になります。
イジメた方は、祟られている事になりますね。


では、五次元から見てみましょう。

五次元では、原因と結果が同時にあります。
五次元から見たら、二人の少年は、お互いにイジメ合っているのですよね。

五次元から見ると、時間差が無くて、同時ですから。
イジメられた少年は、将来、相手に祟って、死ぬまでイジメる運命なので、その時はイジメられて死にました。
イジメた少年は、将来、自分が死ぬまでイジメられる運命なので、相手を自殺に追い込んだ訳です。

二十年前、少年たちは、三次元に同時に生きていましたが、同時に五次元の霊意識を持っています。
誰もが、霊能力者と言いましたが、誰もが五次元ね霊的な意識を、無意識に持っている訳です。

イジメた少年は、五次元の世界で、既に自殺する少年にイジメられていたので、相手をイジメたくなったのです。
イジメられた少年も、五次元で既にイジメていたので、死ぬ為にイジメられていた訳です。

イジメられて自殺した少年は、相手を殺したい程憎んだから、五次元に投射されて、写し鏡として、自殺するまでイジメられていたのですが。

この様に、時間の無い高い五次元では、同時に物事は起きていますが。
三次元には、時間差がある訳です。

ですから、相手が先にやったから、自分もやったというのは、宇宙では通用しません。
自分がやるから、やられるのです。

でね、もっと怖い話をしますよ。
思考は現実化すると言われていますが、実は思考は五次元を変えているのです。

つまり、我々の思考は、五次元と言う、時空を越えた世界と繋がっていて、思考は五次元を変えながら、現実を変えている訳なのです。

わかり易く言いますと。
イジメた少年が、自殺した少年をイジメたのは、五次元でイジメられていたからですよね。

五次元の意識がイジメられると、無意識に降りて来ていますから、イジメようと思った訳です。

ですが、この段階では、死ぬまでイジメるという運命ではありませんでした。

イジメた少年は、ただ怖いからイジメていただけなのです。
言わば、相手は写し鏡ですから、自分の恐怖心を相手に見てイジメていたのですよ。

そして、自分の恐怖心は、自分が相手をイジメ続ける事で、どんどん大きくなる。
自分の恐怖心は、相手をイジメる事で成長するのだ。

イジメられた少年にも、同じ事が言えます。

最初は、自分の恨みの思考が、五次元で相手をイジメましたが。
イジメがエスカレートする程に、恨みの思考は、更に強くなって、相手を五次元で殺し始めます。

心の世界で、少年は相手を殺してしまいます。

片方の少年も、心の世界で殺される程憎まれるので、恐怖心がより一層強くなり、そちらの少年も、イジメをエスカレートさせて相手を殺す。

心の世界で、お互いが殺し合いました。
そして、五次元では、両方が相手を死ぬまでイジメて殺す。という設定が出来上がってしまったのです。

これが、その地方都市で起きている。怪事件の本当の真相でした。


思考を大きくする事によって、問題は大きくなるのですよね。

問題を大きくせず。解消する技術が、青い太陽の五進エネ記数法なのですが。
その為には、相手を自分の写し鏡として捉えなくてはなりません。


青い太陽の技術に当てハメれば、アメブロでの狐憑きは、未来起こり得る自分の姿だったという訳です。
僕は、嘘つきで、傲慢で汚いエセ教祖を、自分の未来の姿として受け入れなければならなかった。

三次元では、時間差はありますので、まだそうなっていなかったとしても、五次元では、既に始まっていたという訳なのですよね。
ですから、これを自分の事として捉え、五進エネ記数法で五次元を解消しました。


近い出来事は、大きいのだと先程言いました。

夫婦間が一番近い問題で、それが一番大きいのです。
夫婦は、完全なる写し鏡となるでしょう。
これが直接、進化に結び付くのです。
男女夫婦、愛が、直接の霊的進化に結び付くと、日本書紀を読めばわかると思います。


大きさで言いますと。
例えば、旦那様が浮気をしますと、自分にも同じ事が、いずれある訳です。

浮気と言っても、それぞれ定義が違いますから。
ある人は、浮気を裏切りという定義なるだろうし、ある人は浮気に対して、自分の自信の無さを感じる定義になるかも知れません。

四次元は、心の世界ですから、同じ浮気でも、自分が感じる定義がそれぞれ違います。
現象化される現実も、人それぞれ違うのです。

もしも、定義が裏切りでしたら。
自分が将来、誰かを裏切るから、旦那様に浮気をされた事になります。
決して、浮気そのものが自分に返る訳ではありません。

あくまでも、浮気から感じた定義を、自分も誰かにやる訳です。

旦那様に浮気をされました。
それに対して、裏切られたと思ったとしたら。
五次元では原因と結果が同時ですから、自分も誰かを既に裏切っている訳なのです。

自分がやるから、やられました。

ところがです。
この夫婦での写し鏡ですが、離婚してしまえば、それは全く別の写し鏡となるのですよ。

夫婦が離婚後、何年か経って、元の旦那様から気持ちが全く離れていたとします。
殆ど、他人ですね。
他人になってから、実は夫婦だった頃に、旦那様が浮気をしていた事を後々知ったとしても、あまり関係が無いのです。
これは、遠い出来事なのですよ。

確かに、同じ時代に裏切りがあった事は事実なんです。
ですが、知らない所でそれが起きていた事は、心の世界である、四次元には全く関係有りません。

過去に、知らない時に起きた出来事を、あえて裏切りだと強く感じれば、それは自分も誰かを裏切ることになるでしょう。
ですが、五次元に無いものは、感じる事が出来ないので、その時の裏切りに気付かなかった事は、関係ないのです。


人間の世界は、実はとても小さな世界なのですよね。
感じる事しか、自分の世界を持たないし。
感じる世界以外は、自分の宇宙に存在していないのです。

今、自分が見て感じられる世界は、目に見える十メートル四方でしたら。自分の世界は、十メートル四方しか無く。それらが自分の宇宙なのですよ。
目に見えず。感じる事の出来ない壁の外側は、現実には無いのです。

テレビで、海外の映像を目で見て、海外を感じたとしても。それはテレビの光を感じただけなのです。

実は、我々の宇宙は等身大なんですよ。
そして、手が届く範囲は全部自分のモノなのですね。
感じたモノを、どう受けとるか?によって宇宙は変わるのです。

これを自覚出来たら、宇宙は手の中なんですよ。
これが霊能力なんです。

霊能力は、何かを付け足すモノではなく。元々あるモノに気付くだけなのです。
これを感じられなければ、いつまでも狭い世界を広いと錯覚して、自分の広げた世界で溺れるだけなのです。


感じられる世界。

これ以外に、宇宙は無いじゃないですか。
自分が感じる事が出来ない世界に、自分の世界は無いのです。
今、目の前にあって感じる世界が、宇宙の全体像なんだ。

それと同じ様に、五次元、四次元も、遠くにはありません。
ここにあるのですよ。
この現実と、繋がっているからです。


青い太陽の研鑽方法は、無いモノに対して意味を与えて、物事を現象化させる事です。
無いモノに対しても、何かの意味付けをしたり、強く思う事で五次元は動く訳ですよね。

この世界は、遠近法で遠いモノは小さく。近いモノは大きく写る。
でもそれは、実際の大きさよりも、自分が感じる大きさによって変わる訳ですわ。

ですから、遠くにある事を大袈裟に見て、本当は小さかった物事を、大きく捉えたら大きく現象化するのです。
そうやって、実物よりも大きくも、小さくも現象化させて来たのが、良くも悪くもこの社会で。
実物大とは、別のバランスで我々の思考は、この社会は築き上げて来ました。


写し鏡という概念は、現実に見える物事に囚われて見ていますから、定義を忘れているという話をしました。
ですから、浮気に対して感じた定義を知る事も無く。浮気は私はしない、写し鏡ではないと言って、定義での裏切りを無意識に行って、写し鏡の意味には気付かない。

そして一方では、大きい小さくという、実物大の現実を見るよりも、感じる事を優先してしまい。
自分とは、あまり関係の無い物事に、エネルギーを注いでしまい、関係の無いモノを数多く現象化させてしまっています。

感じなければならない、物事の定義を見ずに、現実に囚われ。
現実を見ずに、必要以上に感情を入れて、バランスが崩れている訳です。


つまり、逆だという事ですよね。
だから、世の中はこうなっていて。
我々は、思い通りに生きられないと感じ、本来の自由自在性を忘れてしまっている訳なのですよ。

そういう僕は、結婚という一番近い写し鏡を、暫く遠ざけていました。
僕は、現実を見たく無かったのかも知れません。
進化をしたくなかったのかな?

いよいよ、秒読みに入った気がします。

ここにいるのは、楽しいけどね。
新たな修行に入りますかね。
人は、愛からでしか進化出来ません。



伝授の重みと言うのかな?
最近では、伝授無しで青い太陽に入会という会員もいます。
今更、伝授とは、あまり意味が無いモノかも知れません。

また、別の会員には、伝授は、非常に有り難いものだと思うこともあるようです。

僕に取ったらどうだろうか?
僕にしたら、これ以上の会員との絆は無いのではないかと、思う程であります。

青い太陽、入会者も多かったが、退会者も多かった。

退会者の多くは、最後にありがとうございましたも、一言も言いません。
伝授も青い太陽も、必要が無くなったから、当然と言えば当然かな。

僕も実際、彼ら感謝を言わない人たちに、ありがとうは言いません。
何故なら、彼らが感謝をしないのに、僕の方が感謝をしたら、彼らの立場が無くなるからです。

本来なら、宇宙には一方的な関係は無く。
お互いに感謝なのですがね。
言えない立場も、これ残念に思います。

僕は、会員が退会する度に思い出します。
伝授をした時のことを。
僕は、会員一人ひとりの伝授の瞬間を、忘れたことはありません。

青い太陽として、伝授は一番最初の儀式。
一番最初の義理事です。
ここで、お互いの契りが生まれ、お互いにそれを育てて来ました。

今、残っている会員を見ますと。伝授の重さを知った会員が残り。伝授を甘く見た会員が去ったと言えるかも知れません。

でもまあ、退会した会員でも、伝授を有り難く思った会員は、最後にはきちんと挨拶が出来たと思います。

挨拶しないで辞めた会員を、悪く思うことはありません。
先日、退会した大阪の会員のように、名ばかりの感謝を盾に、あのような退会ではどうしようも無いでしょう。
あれでは、逆に挨拶無しの方が、こちらも気持ち良いかも知れません。

見せかけの感謝を、僕は天ぷらの感謝と呼んでいます。

天ぷらって、要するにメッキですよね。
メッキは、時として直ぐに剥げる訳だ。
自分たちが、何かをしてもらった時だけは、涙ながらに感謝し。
青い太陽の十周年の記念すべき行事には、涙ながらに、会とは全く無関係な人に感謝の言葉をのべる。

これも天ぷらですよ。

貰った時だけの、上部のメッキは剥げるのです。
普段、慈愛さんに感謝してますと言いながら、青い太陽の記念行事で、我々に無関係な人間の名前を出して、そちらに感謝しますと言って、泣いていた会員は3人は、その後、誰からも相手にされません。

天ぷらは、そういうモノですよ。
その大阪にしてもね。

あの時は間違えてしまい、ああ言ったけど、心の中は違っています。
それで通る程、この世の中は甘く無い。

以前の話ですが、ある親戚の叔父さんが亡くなる時に、僕はその場面に立ち会ったことがある。

叔父さんが、亡くなって直ぐの事だった。
僕は、亡くなられた叔父さんの長男の所に、挨拶に行った。
これから、一旦帰ると彼に伝えなければならないからであった。

僕も長男だし、相手も長男ですよ。
僕は、親戚として当たり前の言葉を口にしました。

親の葬儀は、皆さん長男の采配を見る時だからして、辛いだろうけど、頑張って下さいと、僕は彼に言った。
そして、親戚として、一緒に居たいところだけど、申し訳ない。
これから、帰って支度し、直ぐに戻ってまいります。
戻って来た際には、こちらは一家総出になりますので、宜しくお願い致します。

まあ、当たり前の挨拶だったと思う。

ところがこの会話。
他に誰も聞いていなかった。

実際、葬儀には一家総出になり、僕は長男としての義理を、彼に果たしました。

ところが、その葬儀、どうも皆さんの様子がおかしい。
何故か、僕は皆さんに皮肉を言われたり、一々角が立つ言い方をされている。

しかし、この場は義理事だからして、思った事など口に出せる状態ではありません。
無礼に対し、至って普通に振る舞うように努めた。

その後、3ヶ月程経った頃か?変な噂を耳にした。
それは、その葬儀での、僕の行為が無礼極まりなかったという噂です。
不振に思い、何人かに電話をして問いただして見ますと、とんでもない事を、相手方の長男が言っていたと聞きました。

それは、僕が一家総出で葬儀に出席するから、ホテルやそれなりの用意をしとけと、相手方の長男に言って帰ったという事だった。

それを聞いた皆さんは、僕の事を何様だあの野郎は!と言っていたそうなのです。

その当時、僕もまだ二十代でイケイケだったものですから、直ぐにその長男に電話を入れました。

てめ、何を言ってんだこの野郎。
聞いたぞ。

相手は、いや、話は湾曲して伝わったと思います。
いや、すみません。

ごめんで済むなら、ヤクザは要らねえだろ。
今から、てめえんとこに行くから待ってろ。
逃げたら家に火をつけるからな。

結局、平謝りをされましたが。
言ってしまったことは、お互いに取り返しが付きません。
こちらは、警察ではないし。言った言わないの証拠など、全く関係無いのです。
関係あるのは、その長男が言った言葉で、他人がどう受け取ったかが肝心だと思います。

話が湾曲してようが、北極熊だろうが。言った言葉で、他人がどう判断するかが肝心ですから。
義理事には、言葉一つ間違えても、許されないのです。

例え、僕が本当に、一家総出で来るから、それなりに準備をして置けと、本当に言ったとしても。義理を受ける側は、それに対してアヤを付けては行けません。

その長男の関係者である、ある叔父さんは、緊迫した状況だったので、間違いはあるよ。と僕に言いました。
ですが、その叔父さんこそ、人生を舐めてますね。

どんな状況であろうと。
葬儀の出席者という、世話になった人が、例え間違えでも、皆さんに悪く思わせた事は、その長男の責任である事は事実で、取り返しが付かない事ですよ。

電話では謝られたが、彼から正式に詫びをいただく事は、全く無かったので、その人間とは絶縁の中となりました。

僕みたく、人一倍、蛇の様に執念深く、くどい人間に対して、後から腹には無かったと言ったとしても、出席者全員に謝罪としての、改まった書状でも出さない限り。
一生許されることは無いでしょう。
僕の目の黒いうは、この話は、永遠に言われ続けますよ。


今更、自分で言うのも何ですが、こんな僕も、いよいよ結婚することになりました。
最初から、今年は結婚することは知っていましたが、なかなか決まらず。
ケツカッチンで、やっと今年になってでございます。

お披露目の日取りや、場所などが決まりまして、あちこちから、おめでとうございますの声が聞こえてまいりますが。
何やら、不思議な気分ですよね。

今まで、求婚されたことは度々ありましたが、やっぱり僕が背負ったモノを一緒にという方は、なかなかおりませんでした。

自分が背負ったモノを、一緒にというのは結婚の条件だと僕は思います。
同じモノを背負うというのが、結婚では無いでしょうか?

背負わなければ、結婚は終わりますよ。
これは絶対に。

そして結婚は、太古の昔から、人類が成長する為の手段なのであるとも、僕は思うのです。


先日、僕は、婚約者と共に、婚約者の弟の結婚式に行ってまいりました。
僕にとっては、義理の弟の結婚式になりますね。

そこで行った所のホテルと言うのは、昔、ある親分が四代目の襲名披露をした場所であったと思います。
随分と昔の話なので、記憶も定かでは無いのだが、多分そこがそうだったと思うのです。

その親分も、その後、凶弾に倒れてしまいました。

僕は、ヤクザではないし、こんな事を言う立場では無いのだが。何故にヤクザは他人に命をかけたり、他人の為に懲役に行けるのか。
一般の方々には、理解が出来ない事だと思います。

口で言うのは容易いが、実際に、人を殺したり、人に殺されたり、私利私欲抜きに、他人の為に尽くす事は、はなかなか出来ないと事だと僕は思います。
何故、ヤクザはこれが出来るかと言うと、その秘密は、古来から伝わる盃事が由来していると思います。

ヤクザの仕来たりは、全て古来から伝わる、神道の盃事で行われて来ました。
盃事が無ければ、誰も他人を親とも兄弟とも思えず。そして命も賭けません。

例えば、お金を借りる為には、借用書が必要になるでしょう。
借用書が無ければ、誰も大金は貸しませんよね。

ヤクザの場合は、命を賭ける訳ですから、借用書なんてモノではない。それなりの、固い約束事が必要になる訳です。
それが、ヤクザの盃事なのです。

盃を受ければ、他人の為に死ぬ事も出来る。それだけ、ヤクザの盃事には重きがあるのですよね。

盃事というのは、盃に注がれた酒を飲む事により、契りを結ぶ儀式ですが、口上はこんな感じです。

既に十二分なお覚悟がお有りの事でしょうが。
任侠の世界は厳しい掟の世界です。
例え白い物でも黒いと言われても、全てを飲み込まざるを得ない世界です。
そのご覚悟が固まりましたら、その盃を、一気に飲み干し懐中深くお納め下さい。
どうぞ!

作法は、それぞれ違いますが、口上は、大体こんな感じで、盃に注がれた酒を飲み干す訳ですね。

口上には、白い物を黒と言われても、とあります。
究極の縦社会ですから、上に言われた事は、絶対な訳ですよ。
上に、白を黒と言われても黒とする。
でもね、上の者も大変なんです。
下の者が、何かをやらかしたら、その責任は、上の者が取らなくてはなりません。
特に今の時代は、共同正犯、使用者責任などと言って、下の者が犯した罪を上の者は法的にも被らなくてはなりません。

これは、本当に相手を信じなければ、繋がれない覚悟が必要になる訳です。

そういったヤクザの世界には、お互いに、相手を受け入れなければならないのが、厳しい掟であり。
それを結ぶのが、盃事となる訳です。


まあ、そんな感じで、ホテルでそんな事を、僕は一人考えておりました。

人と人の縁。

青い太陽では、簡単に縁結びなどをやっていますが、この結ばれる縁とは重いものですよ。

その結婚式ですが、驚いた事に、集まった親戚の方々は、皆さん初対面でしたが、僕への態度が異様に感じました。
何か、僕を怖がっている感じがするのです。

フィアンセに対しても、そんな感じでした。
彼女も、彼女家の親戚は、昔から知っている人たちでしたが、彼女にも恐る恐るという感じです。

義理の弟夫婦は、大学を出て直ぐに結婚という感じで、とても若い。
フィアンセも、それなりに若い。
そして、僕はそれなりにオッサンだ。
だから、何で若者の兄弟の中に、オッサンが一人いるのか?と思われているのでは無いだろうか?

何だか、居心地が悪いです。

これは、後でわかったのだが、予め親戚の皆さんは、僕が霊能力者だと知っていて。色々と霊視をして見られてると思って、焦っていたという事だったとわかりました。
実際、僕は皆さんの背後を、色々と見ていましたけどね。

そういった。義理事などの席では、僕は必ず変わった待遇を受けています。
一応、黙っているつもりですが、話しかけられたら、やっぱりダメですよね。
皆さんの態度に合わせて、どうしてもカウンセリングになってしまいます。

義理の弟に話しかけました。
合わせて皆さんも、黙って僕の言葉に耳を傾けています。
弟に言った事は、大した事では無いが。僕は彼に一言、質問をしてみました。
結婚式は楽しいか?と。

弟は、楽しいと言います。

僕は、その楽しさは二人だけの楽しさで、集まった人たちの楽しさとは違うんだ。と言いました。

その言葉に、弟も皆さんも、何?何で?という顔をしています。

実はこの言葉こそ、僕が弟に贈る、今出来る最大の愛情の言葉でした。

結婚式の嬉しさは、二人だけのモノ。
だが、結婚には辛さもあり。その辛さも二人だけのモノなのです。
そう説明すると、周りの親戚の人たちは、大きく頷いていました。

二人だけのモノ。
二人だけの責任。
これがわからなければ、結婚生活は難しくなるのですよね。

結婚生活で、旦那さまに良く働いて欲しければ、奥さまが自分で働く意欲を持つことです。
旦那さまが、奥さまに良く家事をして欲しければ、これもやっぱり、旦那さまも、自分が働く意欲を強く持つことなのです。

夫婦は、写し鏡がハッキリ出ますから。心の内側が相手にハッキリと現れるのですよ。
ですから、どんなに一生懸命に、家事をしている奥さまでも。
家事なんてやりたくないな。寝ていたいな。と思えば、旦那さまは仕事に行きたくなくなります。

本当に、一生懸命に、家事をやっていたとしても。心の中で、家事よりも遊びたいな。と思えば、旦那さまはパチンコ屋に入り浸ったり。飲みに歩いたりいたします。

夫婦のエネルギーは、そういう形で現れるのですよ。

ですから、相手の姿を受け入れなくてはなりません。


人が特定の異性に、興味を持つのは、最初は仲間意識からです。
同じ趣味だったり。同じ境遇だったりして。人は相手に共通点を見付けると、途端に親近感を持つのです。

そして、やがて、相手の意外な部分を知ることで、共通点から恋に発展いたします。
自分と違う部分を知り。相手に自分に無いモノを好きになる訳です。

そして、契約を結びます。

その契約とは、浮気をするなとか。隠し事はするなとか。
相手と、更に離れない絆を結ぼうと、お互いに致します。

やがて、今度は、相手の嫌な部分が見えて来ます。
この嫌な部分とは、自分と違う部分なのです。

あなたは私とは違う。私は、私は違う。私はそう思わないと。

違う部分を好きになりますが、また違う部分を嫌いになるのです。

そして、最後には契約だけが残ります。
浮気をするなとが。隠し
事はするなとか。残るのは契約だけなのです。

やがて、どちらかが、契約を破った時点で、愛は終わります。


繰り返しますと。
人は、自分と相手の共通点を見付けて好意を持ち。
自分に無い部分を見付けて、意識が広がり愛に発展させてしまいます。
そして、離れたく無い不安から、契約を結び。
やがて、自分に無い嫌な部分を知って、共通点を無くして嫌いになる訳ですね。

でも、実際には、最初から共通点は無く。
それぞれ、別の人間ですよ。
自分に無いモノを、相手に見付けて、人は相手を好きになりますが、それは自分が持っている一面を見ただけなのです。

自分にあるから、理解出来て、理解出来たから好きになれる訳ですから。

契約は、束縛です。
この時点で、与える事よりも、心は相手を奪う状態になりました。

そして、次に今度は、相手の悪い部分が見え始める訳ですが。
これは契約により、自分が与える状態から、奪う状態に変わった為に、写し鏡が変わった為なのです。
写し鏡が、写すモノを変えた為に、自分の悪い部分が相手に見え始めただけなのです。

愛とは、奪うのでもなく、与えるモノでもありません。
お互いに、与え合い、奪うというか。相手から得るモノなのですよ。

与えっぱなしでは上手く行かないし。
得るだけでもダメなのです。

二人の関係というのは、二人の責任なんですね。
良い時もあるし、悪い時も二人です。

そして、お互いに出して、お互いに受け入れる。良い時も、悪い時もです。

写し鏡として出して、写し鏡として受け入れる。
良いモノも受け入れるし、悪いモノも受け入れる。
良いモノも出して、悪いモノも出すのです。
夫婦は、お互いの姿で、お互いに他人事ではありません。

結婚も、古来から受け継がれた盃事ですが。それにより、人間は新しく完成し、新しいモノを生み出して来ました。
この意味は、お互いを背負うことかも知れません。

この世は、男と女です。
良い時もあるし、悪い時もある。
悪いモノを出して、良いモノも出し。
良いモノも、悪いモノも受け入れる。
2極性を通して、2極性の男女は、それを乗り越え、人は進化して来た訳ですよ。

同じ者同士に、発展はありません。

僕が背負ったモノが大きければ、彼女の背負ったモノも大きいんだろうと思います。

僕は結婚をします。

僕もこれから、背負うモノが沢山あると思う。