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掲載中のブログ内容は、フリーライターである当研究会会員が、執筆した本に関し、「岩倉市シニア大学講座カリキュラム」で取り上げられました。内容の一部を不定期で掲載をしております。テーマ名は、ルポルタージュで連載中です。宜しければ、他もご覧ください。

 

15.名古屋の運河網計画

 

 

自動車と高速道路網が整備される前、物資を一度に大量輸送する手段は舟運でした。

 

 

戦前の名古屋でも、運河網を充実させようとする計画がありました。

 

 

名古屋には江戸時代につくられた堀川があり、木曽の山で伐れた木材が木曽川を下り、伊勢湾から堀川を利用して城下へ運ばれましたが、城下で舟運に使われていたのは堀川だけでした。

 

 

明治時代になって、精進川を改修する計画がしばしば計画されましたが、回収の目的は舟運がメインでした。

 

 

新堀川が完成するまで、何度も精進川改修計画が考えられています。

 

 

明治時代の計画は、精進川を現在のJR千種駅の近くまで改修し、名古屋東部の発展を促進させようというものでした。

 

 

大正時代になり、笈瀬川下流の中川、荒子川、山崎川、大江川を改修し、これ等と堀川、新堀川を繋ぐ運河網計画が立てられました。 

 

 

その後、工事に着手しますが、計画通りに完成したのは昭和4年の中川運河だけでした。

 

 

【出典:名古屋市市政資料館所蔵】

【名古屋市全図附都市計画道路網及び運河計画(大正13年)】

 


16. 町名や道に残る池や川の名前

 

 

名古屋から池や川が消えたのは、主に大正から昭和にかけて行われた耕地整理事業下水道整備です。

 

 

この時、それまでとは異なる流路となった川、暗渠化されて姿を消した川、埋め立てられて消滅した池などが沢山ありました。

 

 

それでも、笈瀬通や江川のように、道路の名前として今も残された名前もあります。

 

 

また、意外な場所にかつての池や川の痕跡が残されていることもあります。

 

 

東山動物園の正面入り口は、「大藪池」の堰堤があった場所です。

 

 

動物園を入って少し進むと、左右に池があります。

 

 

これがかつての「大藪池」で、動物園と植物園の間にあるボート池は「源蔵池」というため池の名残です。

 

 

昭和区の向陽高校は「広見池」がありました。

 

 

向陽高校のすぐ横の町名は「池端町」です。

 

 

同じ昭和区内には「滝子」という地名があります。

 

 

これは池ではありませんが、かつて、この辺りが崖になっていて、1年を通して涸れることのない湧水が滝のように流れていました。

 

 

東区の「大幸町」は大幸川が流れていた場所で、千種区の姫ケ池通には、姫ケ池がありました。

 

 

 

長きにわたりまして、最後までお付き合い下さり、本当に有難うございました。

 

 

【参考文献】名古屋から消えた幻の川と池より

 

 

【編集後記】

 連載「名古屋から消えた幻の川と池より」如何でしたでしょうか? お楽しみ頂けましたでしょうか? 

最後までご覧下さり、本当に有難うございました。

 当ブログ掲載前、同講座カリキュラム等ご対応にあたり、岩倉シニア大学企画委員をはじめ同生涯学習センターご担当者の方々のご尽力を頂きました。この場を借りまして、再度、お礼申し上げます。本当に有難うございました。

以  上