子どもの頃に
自分が持っているモノが
とても嬉しくて喜んでいたら。


他の人はもっとずっと
良いモノを持っているからと
大人たちが教えてくれて。


あなたが持っているモノは
ハッキリ言って大したことないモノ
だから恥ずかしいから口に出さない
ようにねと付け加えた。


上には上がいるんだよと。


上を見たらそこに神様が居てくれたら
良かったのに。


いつの間にか比べることを覚えて
自分が持っているモノを粗末に感じて。


いつしか持ってないモノばかり
数える大人になった。



そしたら昔あなたが
持っているモノは大したことないと
言っていた大人たちが今度は自分が
持っているモノに自信を持ちなさい
とかいう。



バカヤローガ
イマゴロオセーヨ
メンターキドリカヨ



自分も含めて
人はその場その場でテキトーな
ことを言っては忘れる。



それはその言葉が自分の
体験から出た【宝言葉】ではなくて
ちょうど昨日読んだばかりの本の
一節かもしれないから。


どなたかの本の一節なら
その本を教えてほしい。


読んだ知識なんてほとんど
すぐに忘れる。


だからそんなこと言った覚えはない
とか言うんだよ。


それをイチイチ真に受けていた
自分が悪いのだ。

いや、悪くなんかない。

誰も悪くない。


悪くないけど
それらの事実と向き合って
あげなくてはならない。


私は私の為に。


向き合って
受け止めて
手放す。


泣いたり
笑ったり
喜んで。


向き合って
受け止め
手放す。


泣いたり
笑ったり
喜んで。


執着して
熟成させて
苦しくなって
絶叫して
解放する。



泣いたり
笑ったり
喜んで。



執着して
熟成させて
苦しくなって
絶叫して
解放する。



泣いたり
笑ったり
喜んで。


壮大な一人音頭。


自分を見て見ぬフリを決め込んでる人
からは失笑される。


あいつ1人で踊り狂ってるけど
大丈夫かよ?って。



自分が滑稽に思えて
立ち止まるが踊り出したら
止まらない。



執着して
熟成させて
苦しくなって
絶叫して
解放する。


泣いたり
笑ったり
喜んで。


向き合って
受け止めて
手放す。


泣いたり
笑ったり
喜んで。


人が持っているウラヤマシイモノを
数えるクセは消えてない。


自分が持っているモノは
大したことないといまだに思う。


でも自分が持っているモノを
数えられる様にはなった。



物事に一喜一憂しなくなり
幸せに極まることが少なくなった。


もう全て知ってしまったと
思い込みこのレベルではなにも
学ぶことがないと気がつく。


何回目か忘れたけど
停滞が一段落したサイン。



ちょこちょこと登っていた
大人の階段が少し急になって
オイショとかけ声と一緒に
登らなくてはならない段が来た。



それを登ると
さっきまで全てを知ったと
思っていたのに
何1つ知らなかったんだと震える。



何回も何回も
知っているゾーンなのに
全く自分が知らなすぎて震える。



コレが人生の醍醐味なんだとも思うし
イチイチメンドクセーナとも思う。



ふと回りを見たら
足でリズムをとり始めている人たちを
見かけるようになった。



人目を気にした足踏みなんかじゃ
究極の極上のトランスエクスタシーゾーン
には入れんぞよ。



本気で一緒に踊ってみるかい?

私は音頭をとりながら
足でリズムを開始した。