こんにちは。お元気ですか。今日も神様の守りの御手がありますよううに。
今日はブログ(17)から(19)についてまとめました。
「虚無と孤独」は死の問題と結びついています。
死に対する物語は、宗教の数だけあるでしょう。
聖書の場合、創世記3章に、アダムとイブの物語が書かれています。
そこでは、死を人間の罪の結果と位置づけています。
私は、聖書を「字義どうりに解釈する」という福音派で育ちました。
しかし、このアダムとイブの話を字義どうりに信じることは、私の脳細胞の能力では無理です。
人間の死に対する恐怖からこの物語が生まれたと考えるのが自然です。
いづれにせよ、神への反逆の結果が死です。
聖書にはすべての人は死後裁きを受けると記されています。
へブル人への手紙9章27節「そして、人間には、一度死ぬことと死後さばきをを受けることが定まっているように、」
私は、人間は「死後裁きを受ける」というよりは、死の直前に、「自分の人生についての総決算」をさせられるのではと思います。
このとき、納得して死を迎えられるか、失意のうちに死を迎えるかという問題です。
人間は、自分の人生に何らかの意味づけを求めずにはいられないのです。
古代ユダヤでは、燔祭の儀式がありました。
旧約聖書のレビ記に記されています。
雄牛や羊、小動物などの生贄の動物を神に捧げる儀式です。
定期的に燔祭を捧げることで、その都度、人は神の前に、存在肯定されていたのです。
キリストの十字架(身代わりの死という考え方)の背景にこの文化があった思われます。
今日はこの辺で。明日またお会いしましょう。お元気でいてくださいね。