バタバタしている間に、随分と間が開いてしまった…。
高校の時、タイだったか、東南アジアの方からの留学生が居た。
留学生と言っても、日本に親戚も住んでいるとの事で、日本語もそこそこ話せる子だった。
その子の名前が、『ユキノ』ちゃんと言った。
ユキノちゃんのステイ先が、私が通わせて貰っていた親戚の家に近く、登下校を一緒にする事が多かった。
いつもの様に、一緒に下校していた時にユキノちゃんから聞いた話。
ユキノちゃんが、3歳になる前位の小さい頃、何故かお腹が少し膨らみ始め、痛みも出て来た為に、お母さんと一緒に病院に行ったらしい。
色々と検査をされて、暫く様子を見るように言われたけれど、その後も度々お腹が痛くなる為、結局、入院してお腹を切らなくてはならなかったとの事。
その原因を、当時ユキノちゃんは何も教えてもらえなかったらしい。
それから何年も経って、ユキノちゃんは入学して学校に通う様になり、特に体調不良もなく元気に過ごしていた。
日本で言うところの運動会や発表会なども有り、両親は、愛娘の姿を懸命に写真に収めたそうだ。
ところが、その写真を、両親が一向に見せてくれない。
「あの時の写真は?」
と聞いても、はぐらかされて終わってしまったと言う。
そんなある日、ユキノちゃんは、両親に、
「私。ビアノが弾けるようになりたい!」
と、ピアノをおねだりしたらしい。
ユキノちゃんの家は、お父さんが外交官の様な仕事をしていて裕福な家庭だったので、直ぐに両親は、ユキノちゃんにピアノを買ってくれた。
ピアノを教えてくれる先生もつけてもらい、何時も楽しくピアノの練習をしていたと言う。
そんなある日、
ユキノちゃんは、ピアノを教えてくれる先生から、ビアノの発表会に出ないか?と言う事を言われたらしい。
「私、まだそんなに上手に弾けないから…」
と迷っていると、先生が、
「皆、初めは上手じゃないけど、皆の前で弾くうちに慣れていくのよ。」
と言ってくれたので、
「じゃあ、私も出てみたい!!」
と応えたらしい。
発表会の当日は、ビデオを撮ってもらい、家で皆でその様子を見返す事になった。
自宅で、両親や親戚、近所の人達と映像を観ていると、
所々で誰か喋っている。
撮っていた時は、演奏中など大声で話たりする人も居なくて、そんな声が入っている事が不思議だった。
その声は、ずっと同じ人の声に聞こえた。
ちょっとボリュームを上げてみよう、と両親どちらかが言って、ボリュームを上げると、
ユキノちゃんが名前を呼ばれていたり、演奏の前にお辞儀をしている時や、演奏後に拍手を受けている時などの端々で、
(ミキも…)
(ミキもやりたい…)
と言う声が入っていた。
皆がザワザワしている時に、ユキノちゃんの両親が、急に涙を流し始めたと言う。
ユキノちゃんは理由がわからず、
「パパ、ママどうしたの?」
と聞くと、
ユキノちゃんの両親は、今までユキノちゃんに黙っていた事を話し出したと言う。
その話では、
ユキノちゃんは、元々双子だったそうである。
お母さんのお腹の中にいる時に、いつの間にか、双子のうちの1人が消えて、吸収されてしまったらしく、産まれてきたのはユキノちゃん1人だった。
小さい頃に、ユキノちゃんがお腹を手術したのは、その双子の1人が、ユキノちゃんのお腹の中に残っていたからだと言われた。
「ミキノって、名前を付けていたの。」
そう両親から教えられた。
そして、徐ろに、今まで行事や旅行、何かの度に撮っていた写真を、その時見せられた。
「見せない方が良いと思って…ごめんね…」
と両親に謝られ、見た写真には…
ユキノちゃんの姿が、ダブった様に写っている写真が沢山あった。
ユキノちゃんの頭の直ぐ後ろから、ほんの少し黒髪の頭が覗いていたり、ユキノちゃんの立っている足の直ぐ後ろに、もう一本の足が立って写っていたり…
その時に、時々、ハッキリとはわからない違和感を、今まで感じる事が多々あった原因がわかって、何と無く納得した、とユキノちゃんは言っていた。
「生まれて来たかったんだね…私の事が羨ましかったんだね…」
ユキノちゃんは、最後にそう言って話し終わった。