韓国映画 ヒマラヤ、風がとどまる所 2009年 | Asian Film Foundation 聖なる館で逢いましょう

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アジア映画に詳しくなかった私がアジア映画を観てます♪
ネタバレはできるだけ避けております…(ㆆᴗㆆ)*✲゚*。⋆

 

 

皆様、10月もうちのブログを読んでくださり

本当にありがとうございます。

 

読んでもらえたと思うと、とても嬉しいです。

私は映画も当然、何ごとにも詳しい人間ではないけど

それでも映画を観ることを通して、思ったことを書き

自分の気持ちを言葉にすることが間違いなく好きです。

 

書いてて、自分の浅さゆえ、言葉にすることの難しさを

いつも感じていますが、やっぱり私は言葉の人間なんですね。

 

普段の生活ではそんなに話す方ではありませんが

何かを表現するのなら、言葉を使うのが一番みたいです。

 

でも、時々、また別の気分にもなります。

 

10月の15日、この映画を観ました。

 

 

 

 

 

ヒマラヤ、風がとどまる所

 

 

ヒマラヤ、風がとどまる所

原題:히말라야,바람이 머무는 곳
英語題:Himalaya, Where the Wind Dwells


(2009年、韓国映画、95分)


監督・脚本:チョン・スイル
撮影:キム・ソンテ
照明:イ・ジュンシク
音楽:キム・ヒョンソク
美術:チョ・ユナ


出演:チェ・ミンシク、Tsering Kipale Gurung(チリン・キパル=グルン)、Tenjing Sherpa(テンジン・シェルパ)、Namgya Gurung、Hamo Gurung、Tseptam Gurung、Angya Gurung、Ram Bahadur Sinjali、シン・ドンフン、ユン・スジ、オ・ポンファン、Asta Bahadus、Lyembahadul、Nawang Gurung、Ramesh magar、Sunil B.K、Changrabgye、Lhakpa Jedu Gurung、Sonam Tsering Gurung、Gembar Hamo、Yangchen、Kando Gurung、Changdolma Gurung、Jaybling Thakuri、Chaywang Gurung、Chene Thakuri、Khenpo Tenpa Sangpo、Tashi Tsering Lama、Pema Rigzin Lama、Penpa Lama、Trogyal Lama、Campa Thakala、Labsang Gurung A、Labsang Gurung B、Dawa Gurung、Loktay Gurung、Tsewang Wan Gurung、Sayrup Gurung、Thoyal Thakuri、Karma Gurung、Chephole Gurung ほか

 

※ 輝国山人の韓国映画様から転載させていただいてます。

 

 

43歳の中年男チェは勤めていた会社をリストラされ

米国にいる妻と子どもたちのことを思って途方に暮れる。

弟の工場に行くと

警官が自分の不法滞在を取締に来たと勘違いして逃げようとし

交通事故で死んだネパール人の青年、ドルジの葬式が

執り行われており

チェがドルジの遺骨を彼の故郷に返しに行くことになった。
彼とって未知の世界、ヒマラヤ雪山の麓の山の頂上

人里離れたジャルコットに到着したチェが目を覚ますと

少年が笛を吹いていた。ドルジの息子なのだろうか?

チェはドルジの妻、父親、そして死期の近い母親に会うが

ドルジが死んだと口にすることができず

彼の友人として立ち寄ったと嘘をつき、ドルジのお金を渡す。

 

 

あまり悪く受け取らないでほしいけど

私は絵画を見ても、あまり強い印象を受けない。

私の一族は美術館や博物館に行くことが

大好きな人々なので、私も小さい頃から

一緒に行っては、自分も絵に親しんでいる

絵を理解していると、そう思い込んできたけど

今の年齢になってみると

私自身は絵画を見ただけでは

強い感銘を受けないタイプなんじゃないかと思ってる。

 

だから、絵を描く人たちも、そんなタイプの人間を

相手にしてほしいなあ、とお願いしてしまうし

もちろん、その絵がどんな賞を受賞したとか

どれほど高い値打ちがあるとかで感心しろ、なんて

言いくるめられそうになると反発する。

 

 

それはともかく、やはり私は

「見る人」じゃなく「読む人」だと思うし

「感じる人」じゃなく「考える人」なんだと

ちょっと残念に思う。

 

でも、だからこそ、ものごとに強く意味を求める自分が

間違いを犯しやすいに違いない、と気づいたし

時には、何に関しても、考えずに感じることの方が

大切なんじゃないかと、そう思うようにしてる。

難しく思考せずに自分の感情を信じれば

勝手に体が動いてお年寄りや、体の不自由な方や

お腹の大きい女性に、バスや電車の席を譲れるものだし

社会のルールすら凌駕する思いやりを心に携えられる。

 

私は絵に関しては、上手いなあ、と思って終わりだけど

映画に関しては、上手いなあ、なんてあまり思わないし

理解できない映画に出会った時、最低限の畏怖を感じて

理解しようと努め、それでもダメなら

そうゆうものなんだと納得することになった。

 

それは、少なくとも映画については、小さい頃から

たとえ難解であっても、それをイヤだとは思わなかったし

その難しさに満足するところがあって

ある日、時を経て、そうゆうことなのか・・・!!

と気づかされる喜びも知っていた。

 

そんなふうに思うことを

映画を作った人たちの方が

どう考えるのかは、わからないけれど。

 

 

私は生まれてからずっと京都で暮らしてきて
もはや絶対に京都を離れられなくなっていた。
このまま死ぬまで、どんなことが起ころうとも
京都にしがみついて生き、京都にいるんだろう。
もしもどうしても京都を離れるのなら
就職するか、結婚するかして出て行くしかなかったと思う。

 

これは、とても郷土愛に満ちた私だとも考えられるけど
一種の「引きこもり状態」であるともいえ
本心では世界をいろいろ観て回る人を
羨ましく思ってます。

 

京都ってどんなとこか知ってます??
それはもうめっちゃ多くの人びとが
何かを求めて京都にやって来ては
次の旅の地へ向かうか、自分の家に帰っていく場所です。
私はそれを、毎日、見ている。

 

私は京都に囚われ、京都から逃げられないが
それだから、きっと、辺境の地への思いが強い。

もしも、本当ににっちもさっちも行かなくなったら
言葉も通じない、誰ひとり、私を知る人がいない場所へ行って
死んでやろうかと考えることがある。
また、最後にはいつか行ってみようと思っていた国の
そのまた奥の、観光客たちが一人も訪れない
そんな世界の端っこのような寂しい荒地でひとり、空を見上げ
息絶えたいとゆう願望があるんじゃないかと思う。

 

私は何か目的がないと旅ができないのだ。
その目的とは、死に場所探し、となると旅行ができなくなる。
もちろん、これまでの実際の人生ではそんなことはなく
人に誘われて旅行すれば、必ず楽しみ、新鮮な気分で
「また行きたいね!」と言ったりする。


でも、じゃあ、自分で何か目的を決めて旅に出れるかとゆうと
前よりももっと、今は何も思いつけない・・・。

 

 

正直に言えば、私は10代~20代の頃

それは多くのコンサート、ライブに行ったけど

いつも、必ず、ほとんど醒めていた。

大熱狂の周囲から浮いている自分を

ずっと自覚しながらステージを見ていたのだ。

これが終わったら、どうしよう、とか

さっきからなんだか体が触れてくる隣の男がキモい、とか

売店で売ってるTシャツ、まだあるかなぁ・・・とか

一番、好きな曲がプレイされてる間も考えてたりする。

 

ロックは狂熱のライブだが、私には狂熱がなかった。

だから私はいつもロックが好きで

ロックがあるから生きてきたと信じているけど

あまりの狂熱に忘我の境地に達し

涅槃・・・ニルヴァーナの境地に至る、なんてことはない。

・・・すんません、『GOGO70s』(2008年)を思い出した。

マリファナでも吸えば、そうなるかとも思うけど

警察の方々にご迷惑をかけるなど到底できないため

そんなもんに手を出したことはない。

 

死刑判決を受けて初めて生きようと思った経験はないが

結局、そないに文学的なもんではあるはずないでしょうけど

自分が異邦人だと感じる気持ちから逃れられない。

何かの集団に属した時、その居心地の良さを感じるよりも

属していることの不自然さに困り、照れてしまい

そっと抜け出したいと思ってしまうフシがある。

 

「国民」とゆうククリで国に属し、国家に忠誠を誓う、なんて

強制されればされるほど、私には無理なのだ。

(これまで誰にも強制されたことはないけど・・・)

だって、生まれてからずっと日本人であることが

イヤだったんだもの。

日本はダサいし、一緒にしないでくれるかな??・・・と。

 

まあ、それも、年齢とともに、やや、薄れてはきたけど。

 

私が属してこなかった世界で

私のことを知らない人たちの中で

私は新しい自分として生きていきたい

と考えることが、特に10代の頃はよくあった。

いや、20代もか。

 

まあ、それも

まずは京都を出ないとどうしようもないわけやけど。

 

でもね、私はそこまで深刻ではないけど

今の自分が生きる世界に息苦しさを覚え

そこから抜け出したいと考える人たちの

なんと、多いことか・・・!!

 

楽しき人生を満喫してる誰かに出会うこと

そんなに多いことでもない。

 

 

ヒマラヤ、風がとどまる所

その映画を観たけれど、何が起こるとか、どうなるとか

そんなことを書いても仕方がないと思えたので・・・

ただ、チェ・ミンシクはやはり、凄かった・・・!!

 

私はこれまでチェ・ミンシクは

凄いエネルギーで飛び出る人だと思っていたけど

映画によっては、溶け込む人なんだと知りました。

強い色を太い筆にひたして、キャンバスに盛り上げる人であり

また、淡い色をそっと紙に染み込ませる人でもあるんですね。

 

この映画のチェ・ミンシクが見れて本当に良かった・・・!!

 

10月1日から12月30日頃まで公開されている

最新の出演作品、『隻眼の虎』(2015年)

・・・何とかして観たいなあ・・・(。>0<。)!

 

そういえば韓国から京都に陶芸を学びに来ていた

チェさんとゆう男性と10年ほど前、幾度か飲みに行ったけど

どうしているのかな。

チェさんが今、陶芸家として成功していることを祈ります。

 

 

私の中で鳴る風(三部作、1997年)
鳥は閉曲線を描く(1999年)
私は私を破壊する権利がある(2004年)★
犬と狼の間の時間(2005年)
黒い土の少女(2007年)

ヒマラヤ、風がとどまる所(2009年)★
19歳の母(2009年)★

 

チョン・スイル(전수일)監督の作品で

日本で観ることができる作品は少ないので寂しいです。

★=日本でもDVDが発売された作品。

 

まあ、作風が作風なので、それも仕方がないかも。

・・・今は観れる映画を、観ましょう・・・!!

 

 

映画のラストについては

いや、映画そのものについて

観た人それぞれ解釈もあると思いますが

私は気持ちが軽くなったように感じました。

外側から自分を見れたとゆうのか・・・。

チェはやはり韓国に戻るのだと思います。

私も一緒に旅をした、そんな気分でした。

 

韓国映画にハズレなし!が私の持論ですし

あまりにも観る映画、観る映画、好きになるので

その点、信用もない私の言い分でしょうけど・・・

素晴らしい映画です。

レンタルさんで見つけたり

テレビで放送されたら是非、観てくださいね・・・!!

 

それでは

今日も読んでくださり、ありがとうです☆

 

11月もよろしくお願い致します☆⌒(*^-゜)v

 

 

※ 2020年11月28日 画像を追加しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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