マイケル・チミノ監督作品 シシリアン (1987年) | Asian Film Foundation 聖なる館で逢いましょう

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アジア映画に詳しくなかった私がアジア映画を観てます♪
ネタバレはできるだけ避けております…(ㆆᴗㆆ)*✲゚*。⋆

 


ブォナセ~ラ(^-^)ノ

いきなり批判的なことを書きますが
『ディア・ハンター』(1978年)は
大傑作だと思うけど、「倫理の調整」が
なされていない映画作品だと私は思う。
必ずしも
誰が観ても面白い映画じゃないとゆうか・・・。

ベトナムは怖いところです・・・汗
野蛮人に強いられた「ロシアン・ルーレット」のせいで汗
ナイーブで幸せだった若者たちも汗
こんなに不幸になりました汗
・・・って枯葉剤とか撒きまくって
民間人まで無差別に殺害し
ベトナムを原始時代に戻して
サーフィンしようとしてたアメリカのが
よっぽど怖いわーッ!!っちゅうかね。
アジアをあきらかに曲解しとるむかっ

アメリカ映画に耽溺する日本人はともかく
ベトナムの人たちがこの映画を観て
面白いと感じるとは思えないし
数多あるベトナム戦争系の映画の中でも
アメリカ側の視点しか描けてないのは確か。

まあ、正義とか善悪の映画じゃないにせよ・・・。

もう長いこと、観てなかったのですが
思い出してたら、そんなことを考えました。

で、いつも世話になってるママに
お礼のつもりで『ディア・ハンター』の
「ユニバーサル思い出の復刻版 ブルーレイ」を
買うて、プレゼントしようと思います。
(自分も観れるし)
うちが赤ちゃんの頃、劇場に行きそびれた、っちゅう
恨み節を鎮めるためにも~ブタネコ

そして実は、私が一番好きな
ロバート・デ・ニーロの映画は
『俺たちは天使じゃない』(1989年)です。

それはそれとして
マイケル・チミノ監督作品
まだ観ていない作品をブロともさんから
薦めていただきましたので
私たちの前から去っていく監督を
名残惜しみながら、13日、観ました天使


シシリアン

 


原題:The Sicilian

(1987年、アメリカ映画、オリジナル上映版:115分、ディレクターズ・カット版:140分)

監督:マイケル・チミノ
脚色:スティーブ・シェイガン
原作:マリオ・プーゾ
製作総指揮:シドニー・ベッカーマン
製作:マイケル・チミノ、ジョアン・カレリ
撮影:アレックス・トムソン
美術:ステファノ・マリア・オルトラーニ
音楽:デイヴィッド・マンスフィールド
編集:フランソワーズ・ボノー

出演:クリストファー・ランバート、テレンス・スタンプ、ジョス・アクランド、ジョン・タトゥーロ、リチャード・バウアー、バーバラ・スコヴァ、ジュリア・ボスキ、マイケル・ウィンコット、アンドレアス・カツーラス、レイ・マカナリー ほか



『ゴッドファーザー』の原作者、マリオ・プーゾの小説を
マイケル・チミノが映画化した伝記映画。
1940年代に実在したシチリアの英雄
サルヴァトーレ・ジュリアーノ
(Salvatore Giuliano、1922~50年)の

波乱に満ちた半生を描く。

 

オリジナルは115分だそうですが
140分のディレクターズ・カット版がレンタルできたので
そっちを観ました。
ディレクターズ・カット版の方がそりゃ監督の作品ですしね。

1940年代のイタリアだけが舞台なので
「倫理の調整」には問題がないようですが
登場人物たちをフランスやイギリスやアメリカの
俳優さんたちが演じていて
話す言葉が英語なので、観る人が観たら
異和感があるようです。
たしかに・・・そう言われてみれば・・・(^_^;)

それとは別の話かもですが、私が聴いたかぎりでは
ジョン・タトゥーロは本人の声で話してるようですが
テレンス・スタンプとマイケル・ウィンコットは
もっと高い声の別の誰かが
吹き替えてるように思えました。
気のせいかもしれないけど
全体的に「吹き替えてる感」がついてまわる映画でした。

観てる途中でベルナルド・ベルトルッチ監督の
『1900年』(1976年)を思い出したりしましたが
それはきっと第二次世界大戦とその後の時代の
イタリアの歴史に漂うにおいを嗅いだからだと
思えました。
いや、そう思いたい(;´∀`)

イタリア映画もいろいろと観ましたが、古い時代の
モノクロであればあるほど、何とゆうのか・・・ほら
プロレタリアはてなマークデモクラシーはてなマーク的なはてなマーク
そんな映画が多かったように思えます。
貧乏は辛い・・・経済格差は悲しい・・・
世の中は残酷だ・・・といった感じの。

1949年に公開された『にがい米』っちゅう映画も
観ましたけど、基本、女の胸や太ももを見せたいビックリマーク
みたいな見せ場でお客さんを呼びつつ
庶民の暗い悲劇だったような。

そういった昔の白黒映画、BSとかで放送されるたびに
勉強と思って観てましたけど
スウェーデンはまだしも
イタリアとフランスは今、ちょっとゴチャ混ぜに
なってるような気がします・・・(^_^;)
「昔のヨーロッパ映画」ってククリでね・・・。
でも『シシリアン』はアメリカ映画なんですね。
アメリカ人の監督だし。

それはともかく、こうして久しぶりに
イタリアの風景、しかも、ちょっとなかなか行けなそうな
農業のエリアとか、山岳地帯のロケーションを
眺めてて、ほんっと、美しいなあ、風景が、と
それだけでも値打ちがありました。

 

 

主人公、サルヴァトーレ・ジュリアーノは
どこにも属さない新しいタイプの山賊として
庶民の味方であろうとしたのですが・・・
結局、犯罪者として孤立していくことになります。

実際の
サルヴァトーレ・ジュリアーノは
もうちょっと違う人物で
もっと凶悪なことをやったようなんですがね
映画の中では愛すべき反逆者のイメージで
だから、足元に火がつき、破滅していく様は
悲劇的です。

前半はカッコよく犯罪を犯していく展開で
人々の共感を得て英雄視されていったり
かなり心躍るのですが・・・私思うにこれは
もっと政治的な映画だったのかなあ、と感じました。
「庶民はそれを望んでいない」とゆう結論が
(つまり土地を得ることを、なんですが)
私には実態はわかりませんが
ひどく虚しくってね・・・いったい何だったんだはてなマーク
と、気が滅入るんですが、それはまた

サルヴァトーレ・ジュリアーノにかかわった人たち
みんなも同じ気持ちのようですね・・・(´・_・`)




結論としては
私にはちょっと難し過ぎたかなー(^o^;)

誰が敵で誰が味方、みたいな話でもないし
同じマリオ・プーゾの原作を映画化した
『ゴッドファーザー』のシリーズ(1972~90年)よりも
まだ難しいもんなー。

ドン・マジーノ・クローチェ、ボルサ公爵
アドニス教授、カミッラ公爵夫人
そして、古参の山賊たちといったキャラには
それぞれ見せ場があって、それはちょっとわかって
面白かったです。
ほんと、敵・味方の対立の話じゃなくって。

あと、映画の撮影とかのことは
私にはわからないことですが、やっぱり
見事なものだったんじゃないかと・・・。

正直、1987年の映画だからもあるかもですが
今からしたら緊迫感や興奮よりも
倦怠や脱力を感じるかなー。
映画に集中できないって意味ではなく
物語に悲観する、とゆうのか。

まあ、映画を観て完璧にわかりすぎること
いきなり感動に打ち震えることも
そっちの方が少ないほどだし
わからへんことはわからへんと素直に認めて
私は、きっとこうなんだろう、と思って観ました。

しかし、特に
『ディア・ハンター』でも前半の披露宴のシーンや
鹿狩りのシーンに散見された「予感」が印象的なように
『シシリアン』でも、撃ったら鉄砲が故障とか
同じセリフが繰り返されるとか、そういったシンクロが
一瞬、心にグサッときたりして、ゾクゾクきました。

マイケル・チミノ監督は何を考えて
そんなふうなシーンを撮影してたんでしょうね・・・。

 

 

チミノ監督が亡くなったことで
監督の映画について、調べてみると
圧倒的に『ディア・ハンター』が好きな人が多くて
多くの方々に愛された映画なんだなぁ・・・と実感。

日本人が好きな海外の映画のランキングでも
かなり上位に来ることは間違いないでしょう。

劇場公開時に観た方は50歳以上の方々ってことに
なるんでしょうけど
それ以後もずっと観続けられてきたんでしょうね。

そして私は『天国の門』(1980年)を観ることを
楽しみにしています。

『シシリアン』は大人の映画ですね。
渋みが効いていたとゆうか。

まだ観ておられない方々はまた
観てはいかがでしょう。

それでは、今日も読んでくださりグラッツィエキスマーク

またです、ブォナノッテ~(^.^/)))