🐾 皆様、新年おめでとうございます。

昨日の元日は、いかがお過ごしでしたか。

近年は、三が日といえども、だんだんお正月らしさが薄れてきているように感じます。

飼い主、まずは今年のお正月への雑感を。



真顔 ♫年々なくなる正月らしさ

1月の最初の日 いつも変わらない便利さが

時代を変えたのありがたい~♫



🐾 朝ドラ【ばけばけ】風に歌うんですね。

飼い主には、お正月らしさへのノスタルジーは、ないのですか。



真顔 ないね。ぼけー

今年ちょっと驚いたのは、届いた年賀状が10枚足らず。

私らは、年賀状は2024年向けからヤメにしたんだが、その前にわざわざ年賀状仕舞いの挨拶は出さなかった。

伝えられる人に数人、話しただけ。

それでも、こんなに自然に減るっていうのは、お仕舞いにした人が多いということかもね。

これはお互い様だから、虚礼廃止で終了。


郵便局には、申し訳ないけどね。

年賀ハガキは、昔は夫や私の仕事関係、親戚友人などで、70枚くらいは用意していた。

パソコンに入れた年賀状ソフトで印刷して。



🐾 そういえば、毎年ボク宛にきていた動物病院やペットショップからの年賀状、今年はありません。

LINE配信に変わりました。



真顔 子どもたちが小さい頃が、年賀状のピークだったかな。

フジカラーにはお世話になった。

テレビでは連日、振り袖を着た女性が、『お正月を、写そう❕ポン❕』なんてCMもあったわ。

今では、年賀状や写真印刷のCM、見ないよねえ。



🐾 年賀状文化が廃れてくるなんて、飼い主が若い頃には、考えられなかったでしょうね。



真顔 あとは、昨日早くも反省事項があって。

おせちのこと。

我が家は昔から、おせちは簡単だったけど、来年からは、もっと少なくしようと思う。

蒲鉾も伊達巻も、10cmくらいの小さいので。

元日に1回食べれば十分なんだよね。

私は、錦玉子だけは好きだから2本買ったけど、もう飽きた。

やっぱりおせちは甘いものが多いからね。

自分で作った大根の柚子なますが、一番さっぱりしていて美味しかったわ。



🐾 食に関しても、けっこう様変わりですね。

では今年の対談は、飼い主の、昭和のお正月を振り返りつつ、話をしていきましょうか。



真顔 そうね。

今では、新年だなあお正月だなあと思うのは、つまりいつもと違うのは、元日に広告チラシで分厚い新聞が、配達されることくらいね。

さっきおせちのことを言ったけど、今年も我が家では、お正月だからといって奮発してカニを買ったりすき焼きをすることもないし。

お正月でないときに、ホテルのブッフェにお金を使う方がいい。


昔は、【正月はご馳走】ということで、おせちをはじめとして、確かに特別感のある食事をしたんだろうね、普通の家でも。

でも私の実家は、そういうことがなかった。

別に、貧乏だったわけじゃない。

商店だったから、元日には売れ残った伊達巻とか食べていたのかなあ。

実家のお雑煮ってどんなのだったか、あまり記憶にない…母は、ホウレン草の入った澄まし汁や茶碗蒸しを作ることが多かったけど、それはもっと後のお正月のこと。

食生活に関しては、これといったご馳走の思い出は、ないのよ。

大晦日の遅い時間まで、母は店が忙しくて、正月の食卓を整える余裕はなかったと思うよ。

あ、母の名誉のために言っておくけど、母は、料理が好きな人だった。

何でも手作りして、けっこうハイカラなものを作ってくれたね。



🐾 それでは小学生くらいの頃…子ども心に、食卓以外にも、お正月が寂しいと思ったのでは?



真顔 それは、あったね。

なんか、よその家と違うなというのは毎年感じてた。

いわゆる来客はないが、こちらから出掛けて行くところもない。

旅行もしたことない。

たまに、父の短歌仲間の人がお年始に来て、お年玉をはずんでくれてね、それが一番嬉しかったことかな。


それでも、世の中のお正月自体の雰囲気は、昭和の時代は濃厚だったからね、そのおこぼれぐらいにはあずかっていた。

周りの大人たちが、暮れともなると、正月がくる新年を迎えると言って、物質的にも精神的にも、支度をしていたと思うんだ。

今みたいに、イベント感じゃなくて、暮らしの継承としてね。

正月、商店は閉まり、近所の人通りは少なく、どこも静かで落ち着いていた。

よく店で顔をあわすおばさんにさえ、新年初めて出会うと、挨拶するのが気恥ずかしくてね。

去年との線引きというか、きちんとした区切りがあるのだと、子どもにも実感できたよ。

昭和のお正月を、一言で表すなら、そういうことに尽きると思う。



🐾 まさに、新しい年、というリセットされるスタートを感じたのですね。



真顔 まあ、そんな環境でも子どもの頃は、お正月は楽しみだった。

ただ楽しみにしていれば、よかった。

前にも言ったけど、私の子ども時代の冬休みは、ろくな暖房もない時代であっても、心暖かかった。

お正月という特別な日が巡ってくることに、少なからず興奮していられたんだ。

まだ何十回もお正月を迎えたことがない、子どもだもの。



🐾 今の時代の子どもたちは、どのくらいお正月に特別感を感じているのかな。

新幹線や飛行機での帰省や海外旅行は、また違った特別感ですよね。

平成や令和のお正月は、やはり昭和の時代に子どもだった人のものとは、異質なんでしょうね。



真顔 昭和30.40年代、特に田舎では大したエンターテイメントもない時代。

私らは、姉妹で羽根つきをしたりカルタとりをしたり。

典型的な、昔のお正月の遊びだね。

あとは、【冬休みの友】みたいな宿題をやったり、書き初めをしたり。

三が日を過ぎると、冬休みはもう終わってもいいなんて思った。

楽しみに待ったはずなのに、お正月を持て余していたからね。



🐾 中学生くらいになると、高度成長期の後です、世の中が変わってきていましたよね。飼い主には、相変わらずのお正月でしたか?



真顔 あまり代わり映えしなかったね。

家族で鍋を囲むとかどこかへお出かけするとかは、一切なかった。

両親は、暮れは変わらずに忙しかったけど、お正月は多少は時間ができたんじゃないか…と思いたいよ、子どもだから大事な姿を見逃してた気がするわ。


あの頃、バスで御殿場に行けば、駅前通りに本屋やレコード屋、おもちゃ屋があったから、少し世界が広がった。

高校生ともなると、もっと自由が広がって、友達と電車で出かけることができた。

だからかなあ、実家のお正月の食文化には関心がなかった。

とにかく、家族みんなでなにかを、という環境じゃなかったから、お正月とは、と思い出を語れるような育ちをしていないんだ。

それに、私らにお年玉をくれる人は、父母しかいなかった。

お正月の範囲が、ホントに狭かったんだ。



私の子どもたちが、大勢の親戚のお客からたくさんお年玉をもらっていたのは、すでに平成の時代。

フジカラーのCMみたいに、カラーの華やかで賑やかな世界。

私の、昭和のお正月は、現像しなくても白黒だよ。



🐾 ふうん。

飼い主は、なかなか不遇なお正月を重ねてきたんですね。



真顔 ハタから見たら、一家の共通の思い出に乏しいという点で、そうなんだろうね。

それは、商家に生まれたからには仕方のないこと。

平成の時代には、実家では商売をやめていたから、元日には、母が色々用意してくれた。

ようやく娘や孫に囲まれてね、父母には遅すぎる団らんだったね。

ただ私は、1年に1食だけ、元日の昼に実家でご飯を食べるだけ、それはとてもお正月らしいなんて言えない。

実家に行く前に、うちのお客の昼の支度をして。

夕方早く帰って、またうちのお客がいれば夕飯を出すんだから。

その、平成の時代、特に前半はずうーっと。

私の人生で最も辛いお正月は、【嫁っ子】だった時代、それが長かった。

世の中は、楽に便利になり人々の意識も大きく変わり行くというのに、私は年号が平成でも、ずーっと【昭和の嫁】。

子どもの頃の昭和のお正月は、たとえ白黒でも、子どもだったからどこがキツくて惨めかなんて、わからなかった。

でも、カラー化したまばゆい時代になって、自分は大人になって、それなのに。

昭和のままのお務めをしている自分には、お正月らしいお正月どころか、ゆっくりくつろげる時間すらなかった。

三が日は、カレンダーから削り取りたかった。

よく、たくさんのご馳走とか品物を前に、盆と正月がいっぺんにきた❕なんて喜ぶ表現をするけど、私には、まさに今が【この世の正月❗】。

長い長い昭和から、いきなり令和の現代的正月を謳歌できてるよ、おかげさまで。



🐾 それでは、せっかく手に入れたこの世の正月、来年も同じように楽しめるよう、元気でいるようにつとめましょう。





食卓に
集まることが
正月と
知った昭和の
商家の子ども


 
カニじゃない
昭和の嫁が
正月に
望んだものは
一人の自由



(ボクは、元気になりました。)