5年前、飼い主は実家に【通っている】ということを実感し始めた。



母は入退院を繰り返していて、時々の通院のほか、高齢の親ができない家事を引き受け、暮れ正月の支度をし、母の入浴などの介助をするため、実家を訪れていた。



4年前、飼い主は実家に通っていた。

コロナ禍突入と同時に仕事を辞めたが、じきに母が亡くなった。



実家には父が一人となった。

それで飼い主がやることが減ったわけでも楽になったわけでもない。

かえって、通う日数が増えたといえる。

1週間のうち5日は、食事を作って運んだり、買い物を届けたりして、飼い主の職業は、【親の世話】と言ってよかった。



3年前、飼い主は実家に通っていた。

そういうわけで。



2年前、飼い主は実家に通っていた。

そういうわけで。



1年前、飼い主の実家通いに一区切りついた。

5月に父が亡くなった。

御殿場地方のお盆が7月24日なので、父の初盆の支度に来たのが、これで一旦終わりということになった。




※昨年のお盆関連の記事















しかしそれ以降も、相変わらず実家通いをしていた。

この1年間。

1週間のうち半分以上。

いわゆる断捨離と仏壇の水替えが主で、防犯上も、しょっちゅう見回らないといけなかった。



飼い主は、空き家となった実家の中に入っても、常に淡々としていた。

この数年間、本当に通いづめで、全てが飼い主の日常そのものであったから、いつ行っても家が暗いことや何の気配もなくなったことは、いずれこうなるとわかっていた単なる事実で、ことさら感慨深くなることもなかった。



しかし、ここで仮住まいを始めてから。



息子の一言に、飼い主はハッとした。



「この食卓で、○さん(父の名)一人でご飯食べてたんだよな。」



飼い主の目に、父の姿が一気によみがえった。



「そうだ。

父は毎朝、一人で起きてきちんと着替え、パン食を用意して食べ、忘れずに薬を飲んだ。

新聞を読み、少しのタオルだけでも二層式洗濯機で洗い。

干す動作をすると胸が苦しいと言っていた。

すぐに疲れるから、また横になった。

やがて私がお昼や夕飯を作って持って来る。

寝てるか、何か書き物に没頭してるか。

朝飯が遅いから、昼はもっと後でいいと言われ、最初の頃は一緒に食べていたお昼は、置いておくだけになった。

父は、昼飯を食うかと腰をあげると、ちゃんとレンジで温めて食べていた。

私が書きおいた食べる順番やメニューを無視して、私はよく怒ったよ。

そんなこと、今にして思えば、大したことじゃない。

当時は、私が【当事者】だったから、真面目に怒ったんだわ。

親の食事の世話をやったことない人には、最初から大したことじゃないんだろうけどね。」






昼。

飼い主は、父が座っていた席で、一人でご飯を食べる。



すると、急に涙がこぼれた。



「父の、毎日の食卓の風景が、今ごろになって見えるんだよ。」



4脚ある椅子のうち、父の1脚だけが背中の部分が色褪せて剥けている。

飼い主が買ってあげたクッションも、一番ぺしゃんこだ。



「父は、この角度で、この目線で食卓を眺めていたんだ。

あの時の父は、90手前。

私があと20年以上たって父と同じくらい年老いて、一人でこの食卓に向かうの、想像もできないな。」



    




飼い主が、もっと悲しくなったのは、昨夜初めて浴槽に浸かったときだ。

それまでは、皆シャワーだけで済ませていた。



「私は、この浴室を使ったのは、できたばかりの頃の数年間だけ。

またこんな形で使わせてもらうとはね。」



40年以上たった設備は古く、お湯をためるにも時間がかかる。

見慣れていない人にはゾッとするような、カビや亀裂やタイルの剥げ。

ホコリ、蜘蛛の糸、虫の死骸。

ボクんちのヘチマ型の大型浴槽と違い、深いステンレス製の浴槽。

狭くはないが、いかにも昭和のまま。

父はここに、痩躯を折って入っていた。

唯一真新しい、真っ白なものは、介護保険で設置して、そのまま買い取った手すり。

それを見て飼い主は、浴槽の中でもう一度顔を洗った。


 

「父は、最後の入院の前、ほんの数回だが入浴の見守りサービスを受けていた。

私には、父の介助はできなかった。

母とは違う。

第三者が来てくれるなら、決まった日時にお風呂に入れるし、私は良かれと思って手配したけど、父は表向きとは裏腹に、苦痛だったらしいとあとからケアマネさんに聞いた。



父にとっては、浴室が古いことや、痩せた体をみられることが恥ずかしいのではなかった。

尊厳……ではない、なんと表現したらいいか。

一人で食卓に向かうのと、一人でこの浴槽にしずむことは、同じだったのかも。

テレビの音なんかを好まなかった父は、静かなご飯もお風呂も、そんなに苦痛ではなかったのかな。



そう、深く考えてもうまく言えないけど、神様はいろんなもの、生きる場面を与えてくれるんだなと。



今さらながら。

父は人生の最終章を一人で綴り続けていたんだなあと思うよ。

無意識に。

神様が意識的にくれた、無意識で。」

  




老親が

いつを最後に

使ったか

浴室の手すり

介護保険の




棺には

手すりは要らず

介助者の

花にはのばし

てくれたか手を





親なき後

一人で入る

古い風呂

沈んで流す

親といた日々




今ごろに

なって座った

父の席

孤食の札が

テーブルにあり 




面倒を

みた涙より

父は待つ

だろう二度目の

盆の食卓




(実家の前から)