一昨日から昨日にかけて、飼い主の娘が帰省していた。

5か月ぶりだ。



帰省の目的は、部屋の片付け。

飼い主が家中の断捨離をしているので、自分の部屋の分をやるように、娘は言われていたのだ。



娘の部屋は、8年前に引っ越したときのまま。

いや、子ども時代から変わっていない。

「必要なもの、大事なものは持って行ったのだから、今残っているものはほとんど、それまでずっとあったもの、つまり【断捨離好適品】に該当するものばかりだろう。ぼけー



飼い主は、実家に取っておきたいものは部屋の一角に集め、それ以外は、きちんと仕分けするように娘に伝え、各種ごみ袋を渡した。



かくして1泊2日の間に、娘の部屋の前には、氾濫した川の泥流を防ぐ土嚢の如く、燃えるごみの袋が20袋ばかり積まれた。



袋から透けて見えるものは。

高校のジャージ。

昔の推しだったグッズ類。

就活用の白いブラウス、スーツ、カバン。

プレゼントらしい物が入っていた小箱。

MDやCD。

古いポーチ。

‥‥はじめ、ありとあらゆる服や小物がぎっしり。



金属類として分けられたものも大量だ。

MDプレイヤー、アロマデフューザー、ヘアアイロン、ハンガーラック、お菓子の箱、キーホルダー、アクセサリー。

プラスチックごみには、引き出しに敷いてあったシート、クリアファイル、ビニール袋、緩衝材、何かのキャップ。

そして分別できない、鏡や文房具や小さな器具。

エトセトラ、エトセトラ。



残すものは、帰省時に着る部屋着、アルバム、学生時代の記念品、卒業証書、成人式の振り袖などのようだが、それだけでも大きめの段ボールに3つある。





押し入れや箪笥、チェスト、机の中まで、全てをカラにして、娘は帰って行った。

飼い主は、やれやれ、私の負担が減ってよかったと喜んだ。







そして今日。

飼い主は、かなり【軽く】なった娘の部屋で、カーテンを取り外していた。

ミッキーマウスの柄だ。



学習机もミッキー。



「ディズニーが大好きだった娘のために、私は色々な物を揃えてあげた。

ミッキー仕様の学習机は、普通のより高かった。

ランドセルはもうないが、30年前には珍しい、ミッキーの型押しがあって、それはちょうど娘が入学前に発売して、取り扱い店を調べたら、富士市のカバン屋さんにあるとわかって、買いに行ったんだ。

こうして見ると、襖紙も‥‥色褪せてミッキーの柄もわからないけど、夫が張り替えてくれたんだ。

あとカーペットも、ミッキーね。

あの当時は、洋間がなく床の間付きの和室しか与えられなかった娘のために、せめて部屋の雰囲気を夢のディズニーにしてあげたかったんだよ。」






「なんか、ちょっぴり、悲しいなあ。


自分のものを片付けるのは、大して思い入れもなく、どんどん袋詰めできるのに。
娘のディズニーグッズを見ると、胸がつまるわ。
思い出すよ。
私らが、子育てに忙しかった時代。
子どものために、頑張っていた時代。


娘は、手のかからない、楽な子どもだった。
ミッキーマウスやセーラームーンや、Jリーグ、ジャビットくん、そのときどきのものに夢中になっていて、一番はやっぱりディズニーだったかな。
中学生になる頃まで、家族旅行と言えば、ディズニーランドばかりだった。
ディズニー関係には、かなりお金使ったわぼけー


でも、私も、時代は違えど、そうやって親に育ててもらった。
親は、働いてお金を得て、子どもにかけてくれた。


母が私を育ててくれたのは、母が若かった時代。
そして私が子どもを育ててきたのも、私が若かった時代。
もう、同じように一世代経ってしまった。
母はすでになく、私も老いの一途。」




飼い主が、娘が取り置きしたアルバムを見て言う。

「ディズニーキャラクターの中で、ミニーとデイジーを見ると、思い出してしまうんだ。

ほら、このミニー。

靴がブカブカだろう?

カパカパしてる。



むかーし。

娘が幼い頃。

婦人会で、市の子育てセミナーに参加してくれと頼まれて。



で、セミナーで、講師の人の話が終わって、聴講者がグループごとに子育ての悩みを出し合うことになった。

そのグループでは、私が一番若いみたいで。

他の人たちは、お子さんが小学校高学年から中学生以上という自己紹介を聞いた。

だから、出される悩みが全然違う。

思春期特有のわがまま、冷淡、粗暴、反抗っていう、深刻な悩み。



私は最初聞いているだけだったが、小さいお子さんでも何かあるでしょうと言われて。

すみません、思いつきません、今困っているのは、娘が私の靴を履いて庭に出てしまうことぐらいで。ぼけー

大笑いされた後で、いつかは本物の悩みに突き当たることもあるでしょうと、先輩方から言われたよ。

でも、振り返ると、娘はその後もあまり私を困らせない子どもだった。



まあ、そういうわけで、小さかった娘。

私の靴が大きすぎてカパカパするのが面白くて、庭の真ん中でドヤ顔ミニーちゃんみたいだった。

今じゃ、娘の足の方が大きいわ。」



飼い主は、先ほどの思いに行きつ戻りつ、滞在中娘が飼い主に言っていたことを考える。

『私は、子どもを持たなくてもいい。

これからの世の中は、子ども自身が年取るまで大丈夫な社会じゃないし。

今の私でさえキツいし将来が心配。』




飼い主は、思う。

「親でいるのと子どもでいるのとでは、どちらが哀れだろうか。



娘は、一生子どもという立場だけで終わっても、それはそれで一つの人生の選択肢。

都知事選挙で少子化対策だなんだと声高に言われているが、どれくらい響いているか。

まだ見ぬ子どもにさえ不幸は願わないのは、当たり前だし、親としての正当かつわがままな‥‥悲しい気持ちかね。

親であることは、子どもの人生をながめる幸せも哀れさもある。



珍しく娘が来たからか、珍しく飼い主はしんみりしていた。 

  


だがその時間はあっけなく短く、すぐにいつもの飼い主に戻る。

「伊太郎の世話もあるから、忙しいんだ私は。」






悪かったですね。

でもボクは、断捨離するほど物がありませんよーだ、飼い主。






ミッキーの

机が残る

(こ)の部屋に

若き日のわれ

おとぎの時代