昨夜、飼い主は【お悔やみ】に出掛けていた。
この辺りの田舎では、近しい人の訃報を聞いたら、故人の枕元に駆けつけ家族にお悔やみの挨拶をする。
亡くなったのは、同じ村に住んでいる夫の伯母にあたる人で、ここで100歳になるという。
7年前に他界した爺様の長姉だ。
爺様は12人兄弟で、そのいちばん上の人であり、伯母さんはよく自分のことを「オレは大姉(おおあんねぇ)だ」と言っていた。
飼い主の息子を、実家の跡取りだからと、ことさら可愛がってくれた。
息子にはその認識も責任感も皆無なのだけれども。
病院で息を引き取ったのが夕方ということで、自宅に戻って来るまで時間があったので、飼い主はまずボクのトイレと夕御飯の世話。
続いて夫の帰りを待ちながら早めに夕食を済ませた。
黒めの服にエプロンをし、いざというときのために用意しておいた、手土産代わりのペットボトルのお茶1ケースを確認する。
遠くの親戚にも、日程がわかったら知らせると連絡。
一段落して、ふと家の中心に残る太い柱に目が行く。
飼い主は、あらためてこの古民家の柱や天井を眺めながら思う。
「伯母さんは、100年前にこの家で生まれた。
当時は、農家はみんな貧しく、そして子だくさんで、苦労するのが当たり前だった。
伯母さんは、18歳で嫁に行ったと聞く。
その後に生まれた自分の妹たちと自分の子どもが、同い年だとも。
そんな時代だったんだなあ。
伯母さんは、この実家に来ることは、ほとんどなかった。
80年以上、嫁入り先の△△家で生きてきたんだ。」
飼い主らが伯母さんの家に行くと、まだほとんど人がいなかった。
田舎ならではの二間続きの和室の奧に、布団が北枕にして敷かれ、伯母さんを待っていた。
「こうして最後の準備をしてくれる家族がいるというのは、ありがたく幸せなことだ。」
飼い主は、50年以上伯母さんと同居している嫁さん、そして若い孫嫁さんを労う。
飼い主も、ボクんちにいた別の伯母さんと爺様の二人のお年寄りを自宅から見送った。
あちこちの掃除に始まり、故人の最後の寝床の支度、客人の接待、裏方での様々な段取りをしたのは飼い主だ。
自身の両親は、二人ともコロナ禍以降世の中の変化に従い、また家族葬に近いささやかなものだったので、こうした下働きはほとんどなかった。
だが、これまで四人のお年寄りのお葬式をきちんと出したのは間違いない。
帰って来た伯母さんは、生前の丸顔ではなく小さくしぼんで、閉じ切らない口から少し歯がのぞいていて、おしゃべりが好きな伯母さんらしくまだ喋り足りない感じで、それが穏やかな表情を作っていて、飼い主は、ああよかったなあと思った。
「○○の顔だねえ、伯母さんは。」
と飼い主が言うと、みんなが、そうだよホントにねえ、などと答えた。
○○というのは、ボクんちの姓だ。
ずっと続いている○○の家系の顔だというのを、打ち消すことができない寝顔。
爺様に似ている。
伯母さんは、何十年その家で暮らしても、やはり最後は、
「100年たっても、生まれは○○なんだ。」
飼い主は、そう思って手を合わせた。
お通夜は明日。
神式の葬儀だから、祭詞の中で伯母さんの生涯が語られるかもしれない。
一人の人間の100年の歴史が終わるんだ。
「人生100年時代というけれど、実際に1世紀生きるのは、大変なことだなあ。
特に、終わりに近付けば近付くほど。
伯母さんは、大往生といえるだろう。
100年生きていることは、よくわかっていた。
口では軽く自分の長寿を喜ばなくても、100年たつと迎える孤独やどうしようもない哀しみは相当にあっただろう。
伯母さん、最後に大きく2回、息をしたそうだ。
自分が、動物、生き物として終わっていくことを、その瞬間に人は理解するのだろうか。
その理解は、何と言い換えるものなんだろう。
感謝だろうか。
100年か。
色々な人の口から語られるであろう100年。
たとえ100年でなくても、その人生を知り語る人がいればいい。
自分を見送り後始末をしてくれ、時にお墓の前に立ってくれる人がいる、そのつながりが、まだ切れていないのは、幸せなことなんだなあ。」