飼い主は、近々ピアノを手放すことにした。





飼い主のピアノではない。

小学生の頃ピアノを習っていた娘のものだ。

飼い主には、ピアノを弾く才能はない。

両手を同時に違う動きをさせる、という脳の命令系統がチョン切れている。



もう、かなり前からピアノはいらないなと思っていた飼い主は、先月、ピアノの処分について、業者とやり取りをし、引き取り価格を計算してもらっていた。

そして、年明けに正式にお願いするかどうか決めます、と返事をしていた。



「娘が幼い頃は、あちこちの女の子がピアノを習っていた。

ピアノの音がご近所からよく聞こえたものだ。

しかし気がつけば、ピアノを続けている子はいない。

しかも知らないうちにピアノを手放したりしているんだ。」



聞けばご近所で、何年か前に処分した家があり、「80万で買ったピアノが、結局5万にしかならなかった。○○まで運ぶだけで、運送費が4万もかかるんだって」などと言う。

そして、毎年ピアノの調律に来てくれる人に尋ねたときも、業者の引き取り代はあまり期待しない方がいい、できれば親戚知人でピアノを譲り受けてくれる人に売るのが一番いいという話をされていた。



しかし、ピアノという代物は、そう簡単には貰い手が見つからない。

日常的に弾く人がいないまま年月がたち、その間毎年調律代だけがかかり、飼い主からすれば、ピアノは不良債権であった。



いや、飼い主も、ただ黒い巨体をながめていたのではない。

娘が使わなくなり、もったいないと思った飼い主は、2.3年【大人のピアノ教室】に通ったのだ。

仕事帰り、月2回。

職場の近くだったから通えていたが、勤務先が変わると余裕がなくなった。

家の中から、たまにたどたどしくハ長調の曲ばかりが聞こえてきていたのが、ピアノから音が出ることは、さらにまれになってしまっていた。



さて、ピアノの調律は、毎年1月にお願いしている。

今回は調律代をかけるのはやめようと思い、今度こそ、とピアノとさようならすることを決心した‥‥それを後押ししたのは、思ったよりは高かった査定金額ではなく。

皮肉にも。




能登半島地震。



「家がつぶれたら、ピアノはまさに傷物。

もしピアノが倒れなかったとしても。

片付けようにも、あの重さでは。



それよりピアノがかわいそうだ。

こんなところに放置されて災害にでもあったら、ピアノに申し訳ない。

きれいな状態で、第二の道へ送り出してやる方がいい。」



というわけで、飼い主は保留にしていた返事を、業者に伝えたのだ。





今日は日曜日。

夕方のテレビBS朝日で、【ビフォーアフター】がある。

あの番組で流れる曲。



ドレミ ミファソソ

ソレドシ シドミソ


と、簡単にアレンジされたメロディーを、飼い主が最後に弾いた。

ボクは、ピアノって、なんていい音がするんだろうと、あらためて思った。