これは、飼い主の父の形見。





ただのザルだ。
直径12.3c m ほどのミニサイズ。
100円ショップで売っていそうな、どうということのないもの。


普通、【形見】といえば、時計や眼鏡など身につけるものや、その人が作ったもの‥‥父でいうなら、短歌集など‥‥が一般的だ。


何でも思い切り良く捨てられる性格の飼い主が、父のものに関して、これだけは残そうと思ったものが、この小さなザルなのだ。


飼い主は、ザルが欲しいわけではない。
飼い主にとって、父、と聞いて思い出すのが、父がこのザルを愛用していた日常風景なのだ。


「父は、とにかくトマトが好きだった。
毎日、トマトがなければいられない。
トマトは、野菜の中でもけっこう高くて、私は父に、トマト代をかけすぎだと叱ったことが度々あった。
だって、我が家なんてトマト3個入りで4、500円するパックは、せいぜい月に2回買うくらい。
それを父は、週に2パック買うほど食べるから、トマト代が、月に何千円だと思うの❕と怒ったよ。
でも父は、『好きなものくらい食わせろ、他に金を使う訳じゃないだから❕』と言い返してばかりで、いくら父のお金で買ってくるにしても、しょっちゅうトマトの補充に追われるのは、ちょっとしたストレスだった。


父は、『トマトは、汁物代わりに食べるだから』と、トマトのことは自分でやっていた。
必ず、湯剥きするんだ。
そんな面倒なこと、私だってしないのに、トマトを買って持って行くと、その日のうちに湯剥きする。
ちゃんとそれ用の小鍋を用意してあって。
何秒だか、お湯に入れる時間にこだわりがあった。
お湯からあげたトマトを、この小さなザルにとって冷まし、四つ割りにして小鉢に分け入れて、ラップをして冷蔵庫にしまう。


そして一日に2回は、そのトマトを食べるんだ。
冷蔵庫から出したままだと冷たいから、ちょっとレンジで温めて。
ときにはレッシングなんかかけて。
正直私には、そんな水っぽいトマトが、おいしいのかと思えた。
でも父は、ずうっと気に入っていて、食べ続けたんだよね。


もう、トマトの成分だの塩分取りすぎだの、そういうことは諦めた。
そんなに食べたいのなら。
自分で、下ごしらえするのが苦にならないのなら。


今日は、私は煮物に入れるひとくち結びこんにゃくを下洗いして、このザルに入れた。
確かに、少量のものに使うには、ちょうどいい。


父は。
どのくらい、このザルを使ったんだろう。
生きている日、今日もトマトを食べるのだと思いながら。
90歳を過ぎた独り暮らしの父が、台所仕事なんて大してできそうもないのに、いわゆる末期という体であっても、このザルにトマトを入れた。
それだけは、几帳面にやってたんだ。
どんな季節でも。


特に去年の今頃は、今年みたいに暖冬じゃなかったから、トマトの支度も、ときに冷たいと思いながらやってたんだろうね。
そんな姿を思うと、捨てられないザルなんだよ。」


しみじみと振り返りながらザルを洗っていた飼い主が、
「痛ッ❕」と手を引っ込めた。




ザルの一部、穴の上段が、少し破れていた。


「そうだった。
引っ掛かるんだわ。
いつからだろうか。
父は、もちろん知っていて使っていたんだろうな。


この、ザルの小さく壊れたところが、痛みを感じるところだ。


なかなか心に突き刺さる形見だよ。」




老いひとり
明日の分まで
トマト剥いた
形見のザルに
生のトゲあり