今夜から新しい大河ドラマ「どうする家康」が始まるということで、年末年始はそれに関連する番組が多かった。
わが静岡県では特に、家康公にゆかりが深いこともあり、地方版でも連日何かしら取り上げられていた。
先日の誕生日に静岡に行ったときも、駅に告知ポスターなどがたくさんあるのを目にした。
昨年度の「鎌倉殿の13人」は、一度も観ることなく終わった飼い主。
「あの時代よりは、正直、戦国時代の方が好きだし、関心がなかったわけではない。
だが、大河ドラマの時間は、伊太郎が部屋の中で遊ぶ時間だから、どうしてもじっくり観ていられない。
観ないなら観ないで、まあいいか、と。
どんな番組も、録画してまでは、観ないから。」
飼い主、ボクのせいにして。
BSなら早い時間だし、土曜日の再放送や、見逃し配信、ネットなど、いくらでもあるでしょうに。
それで?
今度の「家康」は、観るつもりなのですか?
テレビを観るから、ボクは別室に放置とか?
「その話ではない。
今朝のNHKで。
【人生100年時代】という番組を観た。
考えてしまったなあ。」
ああ、なるほど。
家康公の時代は、「人生50年」といったそうですね。
「日本人の寿命が長くなったのは、戦後になってからではないか。
つい最近といっていい。
だから、短期間に2倍。
驚くより、恐れるべきことだ。」
確かに、そうです。
飼い主は65歳、昔ならとっくにこの世にいません。
もしくは老衰、隠居などといった言葉に縁のあるおババ様です。
「婦人雑誌でも、100歳まで生きることを見越した健康管理記事をたくさん見るようになった。
やれ自分の歯で食べるために。
自分の脚で歩くために。
いつまでも美しくあるために。
確かに医療も美容も進化したが、それはありがたくもあり、内心困惑するものでもある。
だって、それは簡単に言えば、【頑張り続ける努力期間や到達目標が先延ばしになる】ことに他ならない。
生きていくことは、人生の後半から終盤に向かっては、何もしなくても大変なのに。
自分を養い自分のメンテナンスをして生き続ける。
家康の時代の2倍、苦労が長引くということだなあ。
私は、あと35年分の体調管理に気を配らなければならない。
お金の心配もしなければならない。
気が遠くなるわ!」
そうですね。
憎まれっ子世にはばかるですから、飼い主は十分長生きしそうです。
第二婆様、ポスト婆様間違いなしです。
それで、現実問題として。
その番組でも、人生100年に対してどう思うかというアンケートの結果は、どちらかというと不安派が多かったですよね。
やはり、健康とお金の二本立てがないと、安心できないのは否めません。
「100年この世に存在するなんて、かの時代、誰が考えたであろうか。
戦国武将たちがみんな100歳まで生きていたら、日本の歴史は、さぞかし哀しいものになり、躍動感あふれる大河ドラマは生まれないであろう。
息子がやっていた、戦国武将のゲームなんかも、
桶狭間の戦いから先の方が、長くなってしまう。」
飼い主は、いつも思考が極端です。
「しかし、65歳の私が、91歳の父の世話をする。
この現実はまさに、人生100年の象徴。
すでに珍しくもない。」
飼い主は、いつも思考がダークトーンです。
「まあ、時代背景は、違う。
あの時代のまま100年生きたら退屈だが、今はどんなことも便利に時短になっている。
スピード感のある時代の100年の実感は、昔の2倍どころではないだろう。」
飼い主はいつも、思考が飛躍します。
「伊太郎。
犬も昔は長生きではなかっただろうな。
家康公の時代と現代、どちらが良いか?」
そりゃあ、今の方が快適ですよ。
少なくとも、犬以下の扱いとか、犬コロとか、我らを侮蔑する表現は、ボクは生まれてから聞いたことがありません。
それどころか、犬はペットという新しい地位を与えられ、家族の一員であります。
「そうだ。
人間は、寿命が長くなったぶん、生きづらさが増えるが、伊太郎らは、昔とは比べ物にならないくらい、いい時代なんだ。」
そうです。
もしかしたら家康公に仕えていたかもしれないボクから言わせてもらえば、飼い主、【2倍】がキーワードです。
嘆くことで残りの人生を終えるなんて。
健康とお金はさておき。
今を2倍、楽しもうとすること!
あの時代になかった時間を
2倍楽しむことを考えて、ポジティブになってください。
」