「オマエのものはオレのもの、オレのものはオレのもの、って言う人いるだろう?」
飼い主がいきなり聞く。
ええ。
欲張りな、強欲な人のことですよね。
「やはり、普通はそういう人を思い浮かべる。
だが、それは自分にプラスになるものを、自分のものにすることに限られるのを忘れてはいけない。
マイナスのものだったら、どうよ?
神様は、犬に、業突く張りとかそこまでの評価をもらうような役割は、お与えにならなかった。」
エエ?
意味が分かりません。
「つまり、最初のものを苦難に置き換えれば分かる。
汝の苦難は吾のもの、吾の苦難は吾のもの、と考えられる、立派な人格者ということになろう。
だから、そういう場合は、欲張りとは言わない。」
ええ…。
「昨日、鍼師の女性が言ってたじゃないか。
私が、あれこれ忙しい中で伊太郎を病院に連れて行かなくてはならないと嘆いたら、【それは、伊太郎君が身代わりになってくれたということですよ】って。
私がもっとひどい体調になったりする代わりに、伊太郎がそういう不運を引き受けるのだそうだ。
家にいる動物は、(婆様を除く)家族と一心同体、だから犬が身代わりになってくれたと考えてくださいと。」
ええ、そうですとも!
それを言ってくれれば分かります!
鍼師の方の言うとおりですよ!
欲張りどころかその正反対。
ボクは、(婆様を除く)家族の苦難を、一身に引き受ける、犠牲の精神、ボランティア精神に富む、崇高な生き物なんです。
謙虚なボクは、自分からは申しませんでしたが。
飼い主、やっと気づいてくれましたか!
「そういえば、息子が何回も言ってたわ。
なんかオレが行き詰まっている時とか、心身がヤバくなりそうな時とか、必ず伊太郎が具合が悪くなって、でもオレはなぜか助かるとかなんとか。」
ええ。
ボクは、息子の負のエネルギーを引き受けました。
息子は嫌いじゃありませんし。
ボクが入院したとき、息子はとても大変な時期でしたよね。
でもそれを境に、息子は身も心も上向きになったと、感謝してくれました。
世の中に、こんなことがあるんだなあと言ってましたが、あるんですよ。
ボクは、神様から与えられた、動物としての使命を、陰で全うするのです。
「しかし、ちょっと腑に落ちない。
伊太郎を病院に連れて行くのは、私だ。
私に、その苦難が降りかかるではないか。
しかも私だって、婆様からのストレスでちょこちょこ発症するではないか。
まあ、それが軽症で済むのも動物のおかげ…。
鍼師の人の言うことには、一理ある…事実そう感じることが多い。
先日、お葬式のお経を聞いていたときに、この世は感謝に満ちていると思った。
動物に対して、感謝と慈愛の気持ちを持てる考え方も、素晴らしい。
純粋にそう考えたい。
私は…純粋に考えられないダメ人間だからか?
私に関しては?
伊太郎は、大飼い主である私を、守りきれていないのか。
滅私奉公の気持ちを捨てているのか。」
ええーと。
それはですね。
飼い主の場合は、婆様が発祥の地のストレスが、飼い主を通ってくるので…濾過しきれていないのです。
飼い主というワンクッションがありますが、ボクが受けたものは飼い主に還るのかもしれません。
ボクの不調は飼い主の不調。
一心同体とは、そういうことです。