飼い主は、ふと目にした記事に、我が身を振り返っていた。(ヤフーニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2adf4d6f04ad96847b0bd33e21fa4dfaa73431ca
「50代までにやめておけばよかったこと」
という、言わば後悔の声を集めたものだ。
その筆頭が、
「安い服を大量に買い、着ない物がある」
ということだった。
続いて、食べ続けたお菓子、飲み続けたビールなどがあげられていた。
「服に関しては」
飼い主は言う。
「女性だったら、多かれ少なかれ、心当たりはあるのではないか。ちょっと出掛けたときに、まあこのくらいの値段ならと、自分に買い物を許す。気分が上がるのはその日だけだと学ばずに」
ストレス解消や気分転換に一番スカッとする手段として、買い物は上位、たぶん1位にあげられるだろう。
それは、現在普通の生活ができているからこそ。
その服を買っても、とりあえず明日の生活には困らないからだ。
買い物依存症は別として、これを買っても、何とかなるという計算、楽観、そしてほんの少しの理性を添えて。
「だが、安い服は始末が悪い。どうしても欲しくて努力して買ったものではないからだ。最初から、家着とか散歩用とか、目的がある服はともかく、ただのプラスアルファで買ったものは、絶対着る!と決意して買うことは少ない。ただ欲しいだけ。買って、満足して、しばらくはクローゼットから出してながめたりして、余韻を楽しむことはある。気持ちが冷めたら、そこで終了」
飼い主は、こうも多くの女性が大量の服を所有することを悔いているのに共感しつつ、もうそういうことを通り過ぎた「先輩」として、一つ、そこから脱却するヒントを示そうという。
ちょっと待った、飼い主!
飼い主は、通り過ぎたの?
もう卒業したわけ?
ボクには、まだトンネルから出ていないように見受けられるけどね。
「それは、後で言おう」
飼い主は、達観したふうを装って続ける。
「自分のダンナが、例えばネクタイを30本持っているのに、安いからと次々に買い足しているとしたら?
息子が、パンツを既に何十本も持っているのに、出掛けたついでにまた買ってきたら?
ネコが、もうネズミを捕らえて満足したはずなのに、次々に何か獲物をため込んでいたら?」
飼い主、ネコの例えは、適切とは思えません。
「いや、特に必要でないものを増やすということでは、同じだ。その、アホなネコと同じだと気づいたらいい。ネコがネズミを捕まえるのは、本能。女性が服を買うのは、半分本能、半分習性。半分、青いではなく、半分、修正すればよい」
「おおかたの女性は、年を取ってきてから、服であれビールであれ、無駄だった消費に気づいて悔いる。
結局、生涯学習なんだ。言い換えれば、
しょうがない学習」
「今日のように、中途半端な雨の日に考えることとして、なかなかふさわしいことだな」
先日飼い主は、久しぶりにヨーカ堂に行き、婦人服店をのぞいた。
「私のような中高年の女性が、お買い得コーナーで品定めしていた。買う人もいるし、買わない人もいた。私は、買わない人。その類いの服は、とっくにゲップが出る状態」
そうですか。
一瞬でも、欲しいと思わなかった?
冷めた気持ちでいられたの?
「服を買うことは犯罪ではないが、繰り返して後悔するなら、自分への犯罪と思えばよい。そうしたら、手を出すことも減るだろう」
「それに、かつて持っていた服に、申し訳ない気持ちがあるはず。私も、そりゃあ今でも、たまには、ネット通販で、タイムセールにポチることは、まだある。完全に卒業したとは言えないが、昔のショッピングとは違うと思いたい。
かつての無駄な買い物は、
懺悔。
モノを整理して、減らしたりながめ直すようになってからは、懺悔すること自体が、自分のエネルギーの無駄遣いと分かったし」
そういう自然環境が整っているのも、罪なことだ。