ゆっくリズムで行こう
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平和への願い

戦争反対

とか


平和を祈る


といったフレーズが飛び交うんだが
もう戦後79年たった今、そろそろ
そういった言葉について

で?具体的にどうするの?

というツッコミを入れて建設的な方法論の議論をすべきではないのだろうか
戦争にリアリティがない現代の子供たちにどんどん説明をしていかなければならない

戦争反対!



戦争のない状態を維持するためには具体的にどうするの?
という話をどんどんすべきではないだろうか。

戦争の悲惨さを伝える話はとても重要で否定するつもりはない。
ただ、79年経っていつまでもその話だけで終わりじゃ何も進歩はないだろう。



具体的にどうするの?


これと合わせて残念ながら起きかねない有事の際の心構え
を今の子供たちと一緒にしていかなければならないのではないだろうか。


今日で広島に原爆が落ちて79年が経ちました。

暑い夏、改めて平和を願う時節となりました。

そんな中、パリオリンピックも開催されています。
この間あげたトルコの射撃の選手について

無課金おじさん

と評されていました。

ごく普通の男性で、風貌が軽装だったためでしょう。

こういうのでキャッキャッ騒いでいるのを見て
もうこの国では戦争はできない(総力戦をするモチベーションがない)な
と感じました。

そこらへんのおじさんが有事の際に武装して出動するなんて
頭の片隅にもないのでしょう。
ありえない世界線だと思っているからこその、「無課金おじさん」という
論評だったと思います。

もし戦争が起こって招集されたら
もちろん参加したいが、自分自身、体にそうとうガタがきています。
実際問題、そんなに役に立てず散っていくと思います。

自分自身の身体の弱さと同時に、
人間が弱くなっていくことを許容する素晴らしさが
冷戦以降日本にあったのではないでしょうか。

そこにどっぷり入って皆で一緒に弱くなれた。

例えて言うと
トルコや中東の戦い慣れた国は
筋骨隆々の若い男性
平和な日本は力の弱い女性、または高齢者

腕力のない人が腕力のある人に対抗するには
飛び道具のような武器を持たなければならない。

それこそが核武装ではないでしょうか。
平和を願うからこその核武装、再度考えます。


パラダイム・シフト



司法試験に受かったとか東大理◯だとかって、

よく虚勢を張ってる人を見かけるけど。


大切なのは、その知識や資格をどう活かすかって話だよね。



ただ、最近はそれもちょっと微妙なムードになってきてる気がする。


AIが進化して、個人の頭の良さや知識の量、頭の回転の速さで優位に立てる時代じゃなくなってきた。


これは凡人の僻みじゃなくて、客観的な事実として避けられないトレンドなんだ。





これから求められるのは、行動力と結果から得た経験。

そして、その経験をパターン化して、突然出てきた問題にどう対処していくかっていう力。


あとは、健康と道具をうまく使いこなす力も重要だよね。

既存の道具をどんな状況で使えるか、応用力が問われる。



従来の「とにかく暗記すればいい」っていう考え方は、そろそろ改めなきゃいけないのかも。



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