今、ここにいること。

今、ここにいること。

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甥っ子K君、最近「自分は得意なことが何もない」など自己肯定感が下がっているらしい。

小3で英検合格したのだけど(すごいと思う!)学校で先生や友達に言ってもそこまでリアクションは無かったらしく(まぁ、小3だからなぁ…)帰ってきてから泣いたらしい…。

母親である妹は、ふだんあまり私にメールしないけどそういったことがあり「今度会ったとき沢山ほめてあげてほしい」ととても心配しているみたいだった。

K君は明るくてお調子者だけど、繊細なところがすごくあるから。

 

 

そんなことを言われ、私は胸がギュッとしたし、心配だし、次会うとき沢山ほめる気満々である。

でも、なんだろうなぁ…。

学校で皆に大きくほめてもらいたかった、リアクションもらいたかったってとこが、一番胸がギュッとした。

なぜそんなに承認されたいのかな…。

 

 

私が小3のころは、勉強も運動もできなかった。

友達も一人ぐらいしかいなくて(その子も二年後には転校していった)放課後はいつも一人だった。

一人は好きだったけど。

お友達の家に遊びに行くことも、うちに来てもらうこともほとんどなかった。

家は、機能不全家族だった。

裕福でもなかった。

だから、どこかに旅行とか外食とか買い物とかもほとんどなかった。

ほしいものとか、こうだったらよかったのにな、などは全て自分の空想の世界で補っていた。

自己肯定感なんか0だし、劣等感の塊で、自分はダメだから「人から褒められる」という概念すらなかった。

だから、褒められたいとも認めてもらいとも思ったことはなかった。

 

 

それに比べたら、K君はちいさいころから色々習ってて、勉強もできるし、色んな体験をしており、家族で楽しそうに旅行したりしてる。

お友達も沢山いるらしく仲良く遊んでいるみたいだし、明るい。

うちに帰ってきたときも、妹夫婦はとても仲良くて、K君入れて3人でも仲良さそうに楽しそうにしてる。

私からしたら、恵まれててすごくいいなぁって思う。

私の小3そんなだったら、劣等感抱かなくていいからそれだけで十分幸せだなぁ。

その上で、自己肯定感が下がる、人に認めてもらいたい、となるってのは、どういうことだろう?

人が違うからK君が今そうなっているということは、私とは違う自己肯定感が下がる何かがあり、今の私にはそれが何か…わからない。

 

ちょっと思うのは…。

K君のお父さんは、頭がいいし勉強にも力入れてる。

勉強にしても他のことにしても、K君の思いとか気持ちにしても、K君を認める基準が高いのかな…?とか。

ちらっと思ったことはある。

 

K君、ドリル一問間違うだけでも自分を許せずくやし泣きしてたから、一問しか合ってなかった私からすると、なんでそんなに自分に厳しいのかよくわからなかった。

私のその思うことじゃなく、他の理由があるのかもしれないけど。

まぁ、やっぱりわからんな。

 

 

私なんてほんとハイスペックとは真逆の底辺だからさ、何ができてもできなくても、何があってもなくても「自分そのもの」「あなたそのもの」に、何があるのか、何を持っているのか、何の素晴らしさがあるのか、で見るしかできなくなった。

K君が勉強ができること、英検合格したこと、計算が早いこと、〇〇ができること、K君が認めてもらいたいこと沢山あると思うけど、それはそれは純粋にすごいと思うしほめたい。

 

 

でも、K君が素晴らしいのは、K君が持っているものは、K君そのものにある。

それは、K君にとって認めてもらいたいものじゃないかもしれないけど…。

「本当はこういう人だって知ってるよ。だから、大切なんだよ。」ってとこ、一番肯定しないとぐらぐらになっちゃうんじゃないかって思う。

〇〇ができるから。

いい子だから。

〇〇を持ってるから。

条件の何か、それができなければ、そうじゃなければ、肯定されないってなると。

 

 

私は今まで「私のいいとこって何?」って聞いたことがあったけど誰も答えられなかった。

答えてくれたとしても「やさしい」とか「真面目」とかずいぶん薄い表面的なことでしかなく、やさしい人も真面目な人も他にいくらでもいるからそれが私のいい所と言われても、薄すぎていまひとつ自己肯定感にはつながらない。

 

 

K君が夏休みに来た時に、妹から頼まれたようにほめるのはできるが、そういうふうに薄い表面的なことを沢山ほめられても気分はいいだろうけど、K君は見抜くんじゃないかな…。

だから、ほめられてもほめられても消えてしまって承認され続けないとリアクションが大きくないと自己肯定感が下がっちゃうのかな。

K君は、繊細だから。

逆に、家では妹たちはそうやって表面的なことはほめてるのかな?

 

 

こどもと対峙するとき、「ほんとうはそう思ってないでしょ」と言われても「思ってるよ。バカ正直なおと呼ばれているなおちゃんを見くびってもらっちゃ困るな。思ってることしか言わないから生きづらいんだから。」堂々と立ち向かえるくらい「私はほんとに思ってることを言ってる」と、誠実に本気で正直にぶつからないと。

こどもは、特に繊細な子は、大人が本当は何を思って言ってるかわかるもんな。

 

 

知ってるから。

K君がなんでやさしいか。

いい子か。

どんな子か。

K君にあるものを知ってる。

なにができてもなにができなくても、K君がいい子じゃなくても、K君が大好き。

K君といるとうれしい。

 

 

そういう思いがどれだけ大切か。

伝えてもらうことがどれだけ大切か。

知ってる。

私は、そう思われたことも、言われたことも、無いから。

そう思われたかった。言われたかった。

だから、その悲しみも、つらさも、痛みも、無力感も、劣等感も、知ってる。

 

 

その人の本質的な素晴らしいものは何があっても無くならない、それを感じ取るのは大切だなと思う。

 

 

というわけで、夏休みまで時間があるし心配なので一応、キキララのレターセットでK君をほめちぎりまくる手紙を送った。