今、ここにいること。

今、ここにいること。

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前回、癒すこともよくわからんし、執着や感情も手放せないしお手上げだと書いた。

そのまま鬱屈した状態で悶々と過ごしていた。

 

 

インスタをぼーっと見ていたら、突然「shinrijutsu(心理術)」という方の投稿が出てきた。

その内容が、私が「自分を癒すってどういうこと?全然変わらないよ…。」と問うていたことの答えがまっすぐ返ってきたかと思うほど(おおお…)と衝撃を受けた。

 

 

ちょっと、書いてみる。

 

 

感じないために近道ばかりを選んでいるならそれは癒しではなく、覆い隠しているだけ。

痛みはその下で、ずっと待っている。

 

多くの人は癒しを「もっと何かすること」だと思っている。

方法を増やし、気晴らしを増やし、対策を増やす。

役立つことはある。

でも、核心には届かない。

 

気晴らしで心の空白から逃げるたび、その空白は危険だという思い込みが強くなる。

そして、神経系に誤ったことを教えてしまう。

「自分の内側は安全ではない」

 

 

では、本当の問題は何なのか?

 

 

本当の問題は感情から逃げること。

不快を感じまいとするほど、かえってその感情に力を与えてしまう。

 

 

癒しとは、すぐに楽になることではない。

自分の感情を、以前よりも受け止められるようになることだ。

 

 

問うべきなのは、「この痛みをどう消せばいい?」ではない。

「今感じていることから逃げずに、ここにいるにはどうすればいい?」だ。

 

 

癒しは、自分から逃げるのをやめたときに始まる。

腰を下ろし、感じ、その場にとどまる。

すると、心の中が少しずつ整い始める。

 

 

癒しは、安全を外側にばかり求めるのをやめたときに始まる。

他人、支配、結果に頼るのではなく。

本当の安心は、自分の内側に育つ力だ。

 

 

本当の安心は、完璧な世界からは生まれない。

今この瞬間の不快ささえも、自分には耐えられると知ったときに生まれる。

 

 

言い換えれば、安心とは、今この瞬間にとどまり、身体を通り抜けていくものにそのまま流れさせること。

 

 

身体を通り抜けるものは脅威ではない。

それは動いて消えていこうとするエネルギーだ。

逃げるのをやめよう。

通り過ぎさせていい。

安全だから。

 

 

本当の安心とは、今ここで自分の身体にとどまること。

最初は、むしろ苦しく感じるかもしれない。

でも、逃げるのをやめると、問題だったのは痛みそのものではなく、痛みに抵抗していたことだとわかる。

 

 

逃げるたびに、重さは増える。

とどまるたびに、それは軽くなる。

 

 

うわぁ…。

私、そのまんま。

「この苦しみ、痛み、怒り、を手放すにはどうすればいい?(どう消せばいい?)」と、

色んな事やった。

方法を探した。

もっと何かをすれば変わるんじゃないか。

行動すれば変わるんじゃないか。

 

 

気晴らしを探し、ポジティブなものを探し、意識を変えようとした。

外側に居場所や安心を求めたかったし、安全な世界が心からほしかった。

 

 

そして、自分の感情から本当に本当に逃げたかった。

痛みも、苦しみも、悲しみも、恨みも、憎しみも、怒りも、悔しさも、情けなさも、みじめさも、本当に本当に感じたくなかった。

あまりないけど、ひどいときは壁に頭をぶつけたり、ひどい言葉を自分に浴びせたり、パニックになるほど嫌だった。

全力で痛みに抵抗しまくってきた年月。

逃げたかった。

でも、逃げられなかった。

 

だから、本当に重かった。

そういうことかぁ…。

 

 

少しわかった。

我慢をするのではなく、身体を通り抜けさせる、のか。

ちょっとやってみようと思う。