今日はいい日、楽しい日 | のん気に暮らします。

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消渇婦人の気まぐれ残日録。

やっと読書する気力も湧いてきた也

ということで

 

主にエッセイに取り掛かっております(読むほうに)。

 

ある著名人が「自分が挨拶できないのは自分の大事な人の死に関係している」と

言うてる。人生の最初の記憶が、その大事な身内の葬式だったからなんだそうで

私も最初の記憶は3歳の時、祖母の亡くなった日だけど

挨拶は出来ます、親に「知らん人でも向こうは(私を)知ってるから挨拶せえ」と

言われて育ちましたからねぇ・・

 

そりゃ只の恥ずかしがり屋とか、なんでこんなヤツに挨拶せにゃならんのだ

とかとは違うのでしょうかね。人それぞれなんでしょうけども。

 

私の最初の記憶は

もう御棺に入って運ばれていったおばあちゃんのことで

私が死を理解してないだろうと

勝手に思ったらしき近所のおばあに

しつこくあんたのおばあちゃんは死んだと言われて

うるさいな、そんなに言わなくてもわかってるわバカにしてるのか!

と内心憤慨していたことです。

 

最近は毒親なんつう言葉も

普通に市民権を得た感じですが

そこから先へ進むためには、そこでとどまっても居られないムズムズ感がたまらん言葉ですね。

 

最近よく読むのは阿川佐和子なんですが

この方のお父様は、阿川弘之さんという文豪なんですが

今はもう若い方はご存じないかも・・

「あがわ」で検索かけると、娘さんの名前が上に並びますからね。

お父様の弘之氏もアチラで憤慨されてるか、笑っておられるか

 

面白くてつい笑いながら読んでしまうのが

 

 

上の本は、家族と食にまつわるお話

下の本は、ここ最近のコロナ禍での出来事をまとめたもの

 

阿川さんの優しい目線で面白おかしくとっても!たのしいエッセイです。

 

でもね、なんかそれだけじゃないっていう感じがしてね。

お父様のなかなかの暴君ぶりが

まあ理屈はあるにしても多分相当にひどいっていうところが

世に言う毒親っていうワードとともに

私の心の定置網に

ひっかかってくるというかね・・・ゲロー

 

弘之氏は文豪ゆえの苦悩というかそういうのを

表に出来ずに家族に当たり散らした(知らんけど!)んだろうか・・・

 

ていうか

この無差別八つ当たりには

覚えがあるぞ!

ウチのオカンや!!!(人によってはオトン、または両親)

というなんつうか

トラウマどストライク!!

が心に響く2冊です(そして笑える)。

 

もう1冊は

 

 

 

 

 

これもまた親についての2人のこそこそ話というか

内容はド迫力ですけど

手紙の往復書簡ということで

やはり趣もあり時たまの猫話が

それある!それはちゃうよ!と言いたくなる・・・

 

本のなかで

ちょっと私は動揺する内容があり

性的暴行の話なんですが

そういう事件を最後まで戦っていたお母さまが

ノートに

今日はいい日、楽しい日

と書いておられたと。

TVかラジオか何かで、そういうといいよ!って

いってたのかもしれないけどという話があって

 

私の家も

変な人が家に上がり込んで

叔母にいたずらをしようとして

結局警察呼んだらしいですけど

その犯人が後々

お詫びに果物を持ってきたらしいです。

私はその頃まだ小さかったからか

その件は全く覚えてない。

けど

その持ってきた果物はなぜか大嫌いです。

 

今では考えられない暢気で狂気じみたお話。

 

やっぱ人それぞれなんですね。

 

しかし親のことであれこれ

思い煩いするのは自分だけじゃないと思うだけで

ちょっと楽になりますよ

 

今日はいい日です。