YouTubeに、ネットケイバ 公式チャンネルの福永祐一(ふくながゆういち)調教師へのインタビューが現れる。
 Wikipediaによれば、福永祐一調教師は2023年2月まで日本中央競馬会(JRA)の騎手で、2023年3月1日付で調教師免許が交付され、厩舎(きゅうしゃ)開業までの1年間は技術調教師として活動する。
 インタビューは、JRAでは年間約3,500ものレースが行われる中の頂点であるG1・24レース(2023年)中の「神騎乗」を3つ選び、解説すると言うものだったが、福永祐一調教師の話は、解説者になれば良いと思うほど上手だった。

福永祐一
・無意識レベルのカルマ
 1976年12月9日(0歳)ー9(神的レベル)
・騎手の才能ー9(人間レベル)
・調教師の才能ー3(人間レベル)
・読解力ー-3(神的レベル)
・独り善がりー8(動物レベル)
・向上心ー9(人間レベル)
・意識の進化段階ー16.4(第4システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満47歳)ー43歳 →IQ91(平均)

 話の上手さは、読解力に現れると思い調べると、神的レベル-3。現在日本人の平均が人間レベル3だから、やはり優れている。解説の指摘点にも騎手ならではのものがあり、それに気づくくらい騎手の才能も優れているし、それも満ち溢れる向上心の高さの為せる業(わざ)で、緒(しょ)に就いたばかりの調教師のその才能も大幅な上昇が期待できるであろう。
 福永祐一調教師の父洋一(よういち)氏も、元JRA騎手で、「天才」の呼び声が高かった。
 Wikipediaによれば、1979年3月4日、阪神競馬場メインレース毎日杯において、洋一騎手は最後の直線コースで落馬した騎手に接触した騎乗馬が前方にのめって自身も落馬。頭を強打し、舌の3分の2以上を噛み切る重傷。再騎乗を目指してリハビリに努めたが叶わず、1981年に騎手引退。

福永洋一
・無意識レベルのカルマ
 1948年12月18日(0歳)ー9(神的レベル)
 2012年6月12日(63歳)ー
 2023年6月12日(74歳)ー8(人間レベル)
ーゴータマ崇拝
・騎手の才能
 1948年12月18日(0歳)ー9(神的レベル)
・騎手の実力
 1979年3月4日(30歳)ー6(神的レベル)
・読解力ー2(人間レベル)
・独り善がりー9(神的レベル)
・向上心ー0(人間レベル)
・意識の進化段階ー6.9(第2システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー鉱物システム
・精神年齢(満75歳)ー76歳 →IQ101(平均)

 才能は、前世で高くなっても、今生でやり直さなければ実力は相応しない。
 洋一騎手は、生まれながらに最高の才能だったから、1964年から1966年まで馬事公苑騎手養成長期講習を経てJRAの騎手となった「花の15期」の同期生、岡部幸雄が、
「こと競馬に関して言えば、私などが十回やってようやく身に付けられるようなことを、一回やって習得できるような部分は確かにあったのだろう。それが天性の素質というものだ」
 と語っているようなことが起きる。
 落馬事故が無かったなら、実力も最高に届いていたろうに・・・・・・。
 30歳で事故に遭い、騎手人生も終わりを遂げる。余生と言うには長すぎるが、それでも63歳まではカルマを積むことなく過ごしたのに、63歳で選りに選って闇に堕す。

 競馬実況で名を馳せた杉本清(すぎもときよし)氏は、
「洋一が落ちて、競馬は変わった。たったひとりいなくなったぐらいで競馬は変わらないと言った人もいたが、やはり洋一が落ちて競馬は変わった。洋一中心にレースが動いていたのが、その中心が突然いなくなったのだから」
 と著述しているが、1人の天才騎手がいなくなったからと言って、それで終わる競馬ではなかった。
 洋一騎手の落馬から8年後の1987年、武豊(たけゆたか)騎手がデビューして、新人最多勝記録を更新する。
 私などは、初めて武豊騎手の名前を見たとき、知多半島中央部にある武豊町に馴染みがあるから、「たけとよ」と読んでいた。

武豊
・無意識レベルのカルマ
 1969年3月15日(0歳)ー9(神的レベル)
・騎手の才能(実力)ー7(神的レベル)
・読解力ー8(人間レベル)
・独り善がりー3(動物レベル)
・向上心ー9(人間レベル)
・意識の進化段階ー682.6(第4システム星団系神愛の創造神第1レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満55歳)ー83歳 →IQ151(非常に高い)

 武豊騎手の優れたところは一杯あるけれど、私なりに1997年に気づいたことは、ゴールするとき、計ったように、武豊騎手の両手は真っ直ぐに伸びている、と言うことだった。
 競馬は、ゴール板の中央にある鏡が決勝線の位置になっており、そこを通過する馬を1万分の1から1万分の2秒毎にスキャンする決勝写真撮影カメラで撮影され、それを参考に決勝審判委員が順位を判定する。順位によって勝ち負けも賞金も決まる。際どい着差は馬の首の上げ下げで決まることもあるから、武豊騎手は決勝線で決まって腕を伸ばし、馬の首を押し下げているのである。曲がった腕も見かける中、やはりトップジョッキーは違うと思ったものである。
 騎手の実力は神的レベル7で、洋一騎手よりも1ランク高い。

 田原成貴(たばらせいき)元騎手は次のように語っている。
「空を飛べるような人がいたら、そういうのを天才っていうんだよ。でも、福永さんの騎乗には空を飛んでいる瞬間があった」
 2005年、ディープインパクトで皐月賞を勝った武豊騎手の言葉。
「走っているというより飛んでいる感じ」
 いみじくも武豊騎手は、ディープインパクトの速さと共に、自分の騎乗をも語っている。

 馬事公苑騎手養成長期課程を引き継いだのが日本中央競馬会競馬学校。武豊騎手は3期生、祐一騎手は12期生である。
 2期生に横山典弘(よこやまのりひろ)騎手がいる。

横山典弘
・無意識レベルのカルマ
 1968年2月23日ー9(神的レベル)
・騎手の才能(実力)ー7(神的レベル)
・読解力ー3(人間レベル)
・独り善がりー-2(人間レベル)
・向上心ー7(人間レベル)
・意識の進化段階ー20.1(第4システム国津神第1レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満56歳)ー65歳 →IQ116(平均の上)

 騎手の才能(実力)は武豊騎手と同等だが、中央の勝率は13.85%、武豊騎手18.35%と差が開く。同等の才能でも騎手によって騎乗馬が違うのだから、差が出るのは無理からぬことである。
 2人ともフリーの騎手だが、若いうちは厩舎に所属して、その管理馬に騎乗して実績を積む。他の厩舎の調教師や馬主(うまぬし)の眼鏡に適えば騎乗依頼されるし、2006年4月からは騎乗依頼仲介者(エージェント)制度が導入されている。
 要するに、騎手は競馬の才能だけでは強い馬に乗れない。関係者との良好な人間関係やファンからの人気など、総合的な性質が求められる。
 思い起こせば、独り善がり=復讐心(63%)+寛容(19%)+貞操(18%)は品格であり、向上心=冷静(35%)+積極性(26%)+おおらかさ(21%)+明るさ(18%)は性格である。人の内面のうち、カルマ、品格、性格、才能、意識の進化段階、モナドの存在位置、精神年齢、と人間性の一端をやぶの中ではいつも見ているわけである。愛と徳目は思い遣り=隣人愛+夫婦愛+神への愛や非暴力による狼男の確認で必要に際して見ている。
 騎手は才能と人間性が求められる。が、これは騎手に限ったことではなく、ありとある職業についても言えることで、これからは人間性のほうが一層求められてくることになるだろう。
 そのとき鍵になるのが、才能の上昇に欠かせなかった、浄化の祈りであるのは言うまでもない。
 悪を為す者は邪気に塗(まみ)れている。悪を為さないためにも、浄化の祈りが大切である。