テロリスト永田洋子(ながたひろこ)の名を知ったのは、1972年永田が逮捕された2日後に起こる、平均視聴率50%超えの大ニュースとなったあさま山荘事件が発端で、Wikipediaによれば、共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(「日本共産党」を冠してはいるが日本共産党とは無関係)との合同した、極左テロ組織、連合赤軍中央委員会の副委員長としてだった。永田は、リンチ殺人事件を主導したとして委員長の森恒夫(もりつねお)と書記長で内縁の夫の坂口弘(さかぐちひろし)と共に死刑判決を受けている。
<1973年元日の午後2時頃、森は東京拘置所の独房で、のぞき窓の鉄格子に巻いたタオルに首を吊った状態(足首はシャツで縛っていた)で発見され、午後3時15分に死亡が確認される>
<2006年永田は脳腫瘍で倒れ、手術。2011年2月5日に東京拘置所で脳萎縮、誤嚥性肺炎のため65歳で獄死>
永田洋子
・無意識レベルのカルマ
1945年2月8日(0歳)ー9(神的レベル)
1992年6月12日(47歳)ー2(動物レベル)
2001年6月12日(56歳)ー-1(鉱物レベル)
2010年6月12日(65歳)ー1(第3エレメンタルレベル)
ーマリア崇拝
・独り善がりー8(神的レベル)
・向上心ー-1(人間レベル)
・意識の進化段階ー6.3(第2システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー消滅
・精神年齢(満65歳)ー58歳 →IQ89(平均の下)
闇の崇拝者の向上心は人間レベル0か1が普通であるが、永田の死亡時のそれは見たこともない人間レベル-1である。その下落振りを見ておく。
永田洋子
・向上心
1992年6月12日ー5(人間レベル)
2001年6月12日ー3
2010年6月12日ー0
永田は、誰よりも自国民を殺した毛沢東の思想に毒されていた。
『日は昇る-380』(2020年8月15日)
<毛沢東・無意識レベルのカルマ
1893年12月26日(0歳)ー9(神的レベル)
1956年6月12日(62歳)ー8(動物レベル)
1976年6月12日(82歳)ー4(植物レベル)
毛沢東ーマリア崇拝(悪魔崇拝)>
チャクラは、人の進化段階に合わせて下位から上位へと順番に開いてゆくものであり、またヤマ・ニヤマに対応しており、最下位の体表のムーラダーラに対応するのが非暴力で、非暴力が守れないならムーラダーラは開かないし、上位の他の一切も開くことはない。
つまりこれは、暴力革命を是認する社会主義(共産主義)は、否、暴力を是認する如何なる思想も、暴力の底無し沼に溺死すると言うことである。これから逃れるためには、暴力を否定し、非暴力を遵守すれば良い。明白なことだが、全く気づいていないか、故意に巧妙に伏せられている。
ヤマ(禁戒)ー非暴力→正直→不盗→禁欲→不貪
ヤマの五つを並列に表示すると、チャクラに対応しない五戒のように、非暴力を守れなくても正直や不盗やは守れる、と言う誤解が生じるので、矢印を置いてみた。非暴力が守れて初めて正直に移り修行し、正直が守れて初めて不盗に移り修行し、不盗が守れて初めて禁欲に移り修行し、禁欲が守れて初めて不貪に移り修行する。非暴力が守れないなら他の一切は守れない。
残念ながら、カール・マルクスは、暴力の是認が全てを破壊することになるとは思い至らなかったし、資本主義社会が崩壊して社会主義・共産主義社会が到来すると言う展望は、共産主義をして資本主義を破壊する目論見(もくろみ)に利用されただけである。
永田がマリア崇拝に堕すのは、逮捕されて20年後のことである。勿論、永田は現実に東京拘置所でマリア崇拝の儀式を執り行ったのではない。永田がマリア崇拝儀式を執り行ったのは幽界のことである。永田は、信奉する毛沢東がマリア崇拝をしていたのを知っていたのである。
連合赤軍の元活動家、植垣康博(うえがきやすひろ)によると、
<(4人の男性メンバーの名前を挙げて)永田は自我というものを持っておらず、常に自分を支えてくれる男性を必要とし、且つその男性の思想に容易に染まりあたかもそれを自分自身の思想のように述べていたという>
サーンキャ哲学の自己(プルシャ)は、専ら対象に光を当てて見るものだったが、自我は自己を対象とした認識であるから、自己に光を当てて見なければならない。波動の検知は、まさに自己に光を当てて見て表してさえいるのだが、植垣の言う自我を持つことはそこまでの深長さはなく、単に自分なりの意見を持つことに留まっている。
植垣の永田評において、思想を霊に換えると、永田は降霊を行う口寄せ巫女が思い当たる。霊媒体質の永田が、憑依させて毛沢東に成り代わったとしても、違和感はない。が、難解なのは、憑依中にしたことを永田が実感しないことである。
<永田は同志殺害の原因を革命運動の抱える問題によるものとしており、革命運動とは無関係な永田の個人的資質・個人的欲望が原因だとする判決の主張には強く反発している>
永田の認識は、事件は憑依中の、夢うつつの人ごとでしかないのである。
暴力革命は、何も社会主義(共産主義)に限ったことではない。
そもそも社会主義(共産主義)は反資本主義の立場なのだから、社会主義(共産主義)国家が誕生するのは20世紀を待たなければならない。
世界史では、古代・中世・近代の3時代区分法が用いられるが、日本史になると、古代・中世・近世・近代と、江戸時代を1時代特別に数えている。
16世紀の宗教改革によって「カトリック(旧教)から分離したプロテスタント(新教)が登場」する。イングランドでもイングランド国教会が成立するが、プロテスタントと呼ばれるものの、その教義はカトリックに近いもので、教義がより純化した改革を求めて行動する者たちが現れ、これをピューリタンと呼ぶようになる。その後、プロテスタント内でピューリタンという言葉は明確な定義づけがなかったから、18世紀以降用いられることもなくなったと言う。
1642年、清教徒革命が起こる。
ここで1つ整理しておくと、通称のイギリスは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つのカントリー(国)が連合したもので、革命は1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きたのである。
宗教は、信者に幸福を齎すものだと考えたいけれど、歴史を振り返ると、1096年の十字軍の派遣はキリスト教とイスラム教の戦闘だったし、1209年の十字軍はキリスト教異端カタリ派の征伐だったように、返って不幸を呼び寄せている。
どの宗教も、非暴力を第一に戒めとしなければならない。
1789年から1795年にかけて、フランス王国で起きたブルジョア革命の結果、旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊し、封建的諸特権は撤廃され、自由・平等・友愛が進展する。良いことずくめのように感じるが、産みの苦しみはつき物である。
「フランス革命期で最も有力な政治家であり、代表的な革命家」であるロベスピエールを見てみる。
ロベスピエール
・無意識レベルのカルマ
1758年5月6日(0歳)ー9(動物レベル)
1770年10月12日(12歳)ー9(植物レベル)
1779年10月12日(21歳)ー9(鉱物レベル)
1784年10月12日(26歳)ー9(第3エレメンタルレベル)
1788年10月12日(30歳)ー9(第2エレメンタルレベル)
1790年10月12日(32歳)ー9(第1エレメンタルレベル)
ーアポロン崇拝
・独り善がりー4(神的レベル)
・向上心ー1(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.1(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満36歳)ー35歳 →IQ97(平均)
ロベスピエールは無間地獄の出身者である。
12歳にして少年愛の毒牙に掛かり、初めは被害者であったものの、アポロン崇拝にどっぷりと漬かってゆく。
Wikipediaによれば、「ロベスピエールは国民議会や国民公会で代議士として頭角をあらわし」1792年「8月10日事件から権勢を強め、1793年7月27日に公安委員会に入ってからの約一年間はフランスの事実上の首班として活躍」する。
ロベスピエールを中心とするジャコバン派(山岳派)は、恐怖政治(テルール:テロの語源)によって統治する。1792年、受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用されたギロチンは、その後の革命期に、非常に効率的・効果的に斬首を熟(こな)したと言え、ブッディによれば、約1万7千人を処刑する。
ロベスピエールもまたギロチンで処刑され、無間地獄に舞い戻る。現在モナドは消滅している。
どんな崇高な標語を掲げようが、第一に非暴力を守れなければ、絵に描いた餅である。本物の餅を食べたいものである。