聖なる母-438』(2021年07月05日)
<男の子(○○保育園で2021年5月13日10:40~11:10頃泣いていた、普段からよく泣き叫ぶ園児)・無意識レベルのカルマー9(動物レベル)>
<それを今回母親が事前告知して、子供が起きている間にジャパと光柱イメージの祈りを行って、カルマを無くしたのである。これは1つのミラクルである>

 438段で、泣き方が異常に聞こえる園児が存在し、そのカルマを検知したら動物レベル9と重く、周囲の園児や保母の4分の1くらいを巻き込んでいることと、祈りによって子供のカルマを無くした愛深き“聖なる母”の存在とを記述したが、今段はその後日譚となる。
 聖なる母の祈り方ではなくても、愛のマントラ289回でカルマ軽減の代行ができることは、後で分かってくるが、聖なる母のただ子供のためを思って一心に実践する姿に心奪われたものである。

・無意識レベルのカルマ(2021年5月13日)
 男の子ー9(動物レベル)
 母ー6
 父ー3

・無意識レベルのカルマ(2024年2月13日)
 男の子ー9(動物レベル)
 母ー6
 父ー3

 一方の男の子とその両親は、あと3ヶ月で3年となるけれども、家族で障りが生じない範囲のカルマに変化はなく、泣き方の異常さは無くなったもののまだ男の子の泣き声はよく聞こえてくる。3年近く保育園に通ってもこんなことが続くのは、普通のことなのだろうか。保母も母親もおかしなことだとは思わないのだろうか。
 カルマの価(あたい)が愛の価の頭打ちになるから、男の子もその父母も愛は薄い。その愛薄き父母と言えども、幼児教育費は惜しまぬものらしく窺えるが、実態は男の子の面倒を見切れず厄介払いで通園させているものと思われる。
 男の子を毎日送迎する母親が、男の子を祈ってカルマを無くすことができないはずはないのだが、自分や夫のカルマを無くすことも含め、祈りの境涯になる契機さえ摑めないのだと思われる。

・向上心(2024年2月14日)
 母ー3(人間レベル)
 父ー2
 男の子ー2

 向上心が人間レベル3の母親なら、契機さえ摑めば祈るだろうに、日本人のうち祈りによってカルマを無くした人の割合は、ブッディで調べてみると僅か0.07%であってみれば、契機を摑むことすら僥倖なのかも知れない。

・向上心(2024年2月14日)
 聖なる母ー9(人間レベル)
 父ー9
 長男ー9
 次男ー8

 もう一方の、聖なる母の向上心は人間レベル9と満点。夫と長男も同様だし、次男は年齢を加味すれば同様と言っても良い。
 およそカルマが無いのと1ランクでも重くなるのとでは、人の進歩・発達・進化に飛躍の有無が見られ、雲泥の差が生まれる。そればかりか、カルマが無ければ自然と祝福される。
 聖なる母の家族は父の転勤により日本各地を訪れ、2023年12月からは遂にアメリカのフィラデルフィアへ赴いている。海外赴任の話を聞かされたとき、私は「子供を留学させたくても容易(たやす)くできないことを考えれば、とんだお年玉」だと喜び、「全力で前進なさい」と奨励した。祝福されているからこそ、こんないい話が舞い込んで来るし、実現する。
 アメリカでは内戦が勃発するのではないかとか、地域によっては腐敗堕落が予想外に進んでいるとか、心配事もなくはないが、母の一心の祈りによって家族は間違いなく護られる。
 1人の懸命な祈りによって、地域の波動がムーラダーラからスワディシュターナに引き上げられれば、自然災害は起こらなくなると竹下雅敏氏の講演で聴いたことがある。2024年元日の地震は人工地震が弾き金になっているけれど、地域の波動がムーラダーラからスワディシュターナに上がれば、弾き金さえ弾けなくなることを認識しなければならない。そして、祈りの偉大な力は、人を幸福にしてくれることを忘れてはならない。
 契機さえ摑めない母より聖なる母のほうが良いのは瞭然としている。誰しも聖なる母になれないことはないのに、気づかずに過ごしているばかり。
 種々生まれた人類の中で、ホモサピエンスだけが生き残っている理由は、これと言った決定的なものはなく、一言にて蔽えば僥倖と言うことに尽きるようである。この段の言わんとすることもまた同じように僥倖と言うことになり、幸福に導く祈りに出逢うこと自体が僥倖に尽きることなのだろう。
 私は、小学生の頃、人の頭より大きなだるまさんの貯金箱を使っており、中学生の頃、人の顔より大きな円いだるまさんの壁掛け鏡が自室に掛けてあったり、大学生の頃、達磨大師が嵩山(すうざん)少林寺にインドの那羅之捔(ならのかく)を伝えたと言う伝のある少林寺拳法を習ったりして、達磨大師は馴染み深いのだが、達磨大師が嵩山少林寺において面壁九年の座禅を続けたと言われるのは、足の腐るのが気にならないほど瞑想が殊の外気持ちの良いことの象徴である。
 『竹下雅敏東洋医学セミナー』の初級に習う、ムドラー(手印)を使ってチャクラを活性化するとき、私は微睡むような心地良さを感じて、しばしば時の経つのを忘れ幸福だったことを思い出す。
 祈ったり、座禅やムドラーを組んだり、ブッディで確認したり、実際にやってみないと分からないことが必ずと言って良いほどあるものである。

 霊的な時間は日本時間に拠っている。祈りの文言で24時間というのは、日本時間の0:00から24:00までを指す。
 正午(12:00)は兵庫県明石市を通る東経135度の標準となる子午線上に、通過する太陽が位置する時刻となっている。地球は西から東へ24時間で1回自転するので、
 360/24=15
 1時間に経度15度分移動する、換言すれば経度15度で1時間の時差が生まれる。
 フィラデルフィアは西経75度なので
 135+75=210
 210/15=14
 日本とは14時間の時差がある。東経(西経)180度の辺りに日付変更線があり、西から東へ跨ぐと1日遅くなり、東から西へ跨ぐと1日早くなる。つまり日本の2月16日0:00は、フィラデルフィアでは2月15日10:00となる。

 『やぶの中』の読者は日本国内にいるものとばかり思っていたが、時差のある地で活躍する人が現れ、孫のような子らが成長していることを思うと、感慨も一入(ひとしお)深い。