2023年11月9日、YouTubeむすび大学チャンネル『宮沢賢治が「雨ニモマケズ」に秘めた本当の意味とは?|こがみのり』が公開されたのを視る。
 1週間ほど経ってNHK『[こころの時代] 宮沢賢治「雨ニモマケズ」に現れる「デクノボー」の正体とは?(朗読:加瀬亮/水墨画:CHiNPAN) | NHK』のサムネイルが現れ視る。
 そして、その日のすぐ後にLIBERARY『【文学】ソコロワ 山下 聖美「現代に問いかける宮沢賢治の”本当”の意味」by リベラルアーツプログラム for Business』が現れて視る。
 何故今なのか詳細には分からないが、2023年が没後90年を考えれば、宮沢賢治の話題は自然なことと言えるだろう。

 宮沢賢治の実家は、東北岩手の現在の花巻市で祖父「喜助が開いた質・古着商を家業としていた」(Wikipedia『宮沢賢治』)
 父政次郎(まさじろう)は「浄土真宗の篤信家」であり、賢治「3歳の頃、婚家から出戻っていた父の姉であるヤギが『正信偈』『白骨の御文章』を唱えるのを聞き覚え、一緒に仏前で暗唱していたという」(Wikipedia『宮沢賢治』)

 門前の小僧習わぬ経を読むと言うけれど、賢治の実家は、門前と似た環境下にあったと言え、更に古墳時代より先進文化たる仏教の位置づけがまだ存続していることも考え合わせると、仏教の信仰を可能にするほど裕福だったことが窺われる。

 「政次郎は盛岡高等農林学校への進学を認める」「賢治は今までと打って変わって、受験のため猛勉強に励んだ。同時期に、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その中の『如来寿量品』に体が震えるほどの感銘を受ける」
 「1915年(大正4年)4月、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で入学」「翌年、特待生に選ばれ授業料を免除される」「この頃、毎朝法華経の読経をしていた」
 「1920年(大正9年)5月、農林学校研究生を卒業」「田中智学著『本化妙宗式目講義録』全5巻を読破、国柱会に入信。法華信仰を強め、寒修行として花巻町内を太鼓を叩き題目を唱えながら歩く」「また浄土真宗の門徒である父を折伏しようと激しい口論を繰り返した」(Wikipedia『宮沢賢治』)

 「大乗仏教は、出家による自力救済を説く初期仏教(阿含経に色濃く反映)の世界観・救済観を乗り越える形で形成・発展されてきたという経過がある」「出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済を掲げる仏教宗派の総称」「日本の仏教の主な宗派は、いずれも大乗仏教に分類される」(Wikipedia『大乗仏教』)

 賢治は早くから仏教はもちろんキリスト教にも興味を抱き、最後は法華経に感銘を受けて人生の拠り所とする。

 『青森挽歌』(1923年8月1日)より抜粋1
「あいつがなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかったとおもいます」

 東京立正短期大学北川前肇(ぜんちょう)名誉教授も上のインタビューで答えているが、浄土真宗の宗祖親鸞滅後に直弟子河和田(かわわだ)の唯円(すいえん)によって書かれた『歎異抄』「第五条では、『親鸞は一度も父母のために念仏したことがない』として、追善供養を否定している」(Wikipedia『歎異抄』)のと同じように、賢治も「とし子」のことだけを祈らなかったと詩の中で言っている。

 ガヤトリー・マントラの祈りを始めるに当たって、人のことを祈るには、その人の承諾を必要とすることに注意を要した。黙って勝手に祈ると、幸福であれ健康であれ、呪いとなる。

 『青森挽歌』(1923年8月1日)より抜粋2
「あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったとりでさびしくあるいて行ったらうか」

 賢治は最愛の妹の死後の行き先を心配しているけれども、モナドの存在位置がそれを明かしてくれることを私たちは知っているから、ぜひとも教えたくなる。死後の行き先は存命中に決まっていることを。

 一切衆生は、出家者・在家者に限らず草木・黴菌・ウイルスまで生きとし生けるものを言うが、法華経では一切衆生の成仏を説く。これが一乗の教え。
 前肇教授は、賢治が手帳に「不軽菩薩」のことを記していることもあって、「デクノボー」は『法華経』常不軽菩薩品第20に登場する常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のことだと言う。
 「彼は人をみると『私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから』と言い、人々にはずかしめられ打たれると、その場を逃げ、離れた場所から再び同じ言葉を繰返したという。そこでこの名がある」(Wikipedia『常不軽菩薩』)

詩人を見る-149』(2017年1月26日)
<宮沢賢治1933年
 文筆の才能ー8(神的レベル)
 愛ー9ー9ー9ー9ー9(神的レベル)
 野心ー3ー3ー3ー3ー3(植物レベル)
宮沢賢治・無意識レベルのカルマ
 1896年8月27日ー9(神的レベル)
 1933年9月21日ー9  >

 149段で、詩人賢治の豊かな愛や、『雨ニモマケズ』において「欲はなく」と願うとおりの野心などは既に見ているが、更に他の諸波動を、気に掛ける妹とともに見てみる。

宮沢賢治
・無意識レベルのカルマ
 1896年8月27日(0歳)ー9(神的レベル)
・文筆の才能ー8(神的レベル)

・向上心ー9(人間レベル)
・意識の進化段階ー999.8(第8システム大宇宙2第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満37歳)ー47歳 →IQ127(高い)
・五行類型論の体型:4▽ー2△型
・愛
 1933年9月21日ー隣人愛9(神的レベル)・自己愛9・夫婦愛9・全生命への愛9・神への愛9
・野心
 1933年9月21日ー所有欲3(植物レベル)・名誉欲3・性暴力3・権力欲3・支配欲3

宮沢トシ
・無意識レベルのカルマ
 1898年11月5日(0歳)ー9(神的レベル)
・文筆の才能
 1898年11月5日(0歳)ー4(動物レベル)
 1922年11月27日(24歳)ー8
・向上心ー9(人間レベル)
・意識の進化段階ー999.8(第8システム大宇宙2第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満24歳)ー34歳 →IQ142(非常に高い)
・五行類型論の体型:1△ー6▽型
・愛
 1922年11月27日ー隣人愛9(神的レベル)・自己愛9・夫婦愛9・全生命への愛9・神への愛9
・野心
 1922年11月27日ー所有欲3(植物レベル)・名誉欲3・性暴力3・権力欲3・支配欲3

 この兄妹は2人ともアバターだった。
 妹トシは、兄賢治の文筆の才能を信じ敬愛したが、言うまでもなく、信じられるだけの文筆の才能を自身も持ち合わせている。

 『永訣の朝』(1922年11月27日)より抜粋
「(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる)」

 才媛のトシは、単に自身の病躯を嘆いているのではない。自身の病躯に係りきって、周囲にまで目を配り対処できないことを嘆いている。
 他者の苦しみを共有し、苦しみを取り除く気持を持って、他者を受け容れる豊かな或いは大きな仏や菩薩の心を持つように願う。この飛躍こそ信仰ではないか。

 気に掛かる諸々の人の波動を見てくると、自分の目指すべきことが分かってくる。悪を為さず、自身を浄化し、ブッディを活用して意識を拡大すること、である。

 

 悪を為さず、善を為すよりかは容易(たやす)いと思うが、善悪の判断がつかない人が予想外に多いから困る。善悪の判断がつかない人は、潜在的な悪人である。が、時代は悪が存在できない、つまり悪人が潜在できなくなっている。あの人が犯罪を犯すとは、と言う嘆声が頻りに聞こえることになろう。