(2019年4月6日)
『歌い手その43・レベル5が既にいた-269』2019/04/01 11:35
前段269段で萩原健一の訃報に接する経緯を述べたが、今段では萩原健一をもう少し詳しく見てゆく。
最初に、カルマと健康を見てみる。
萩原健一・無意識レベルのカルマ
1950年07月26日(0歳)ー6(動物レベル)
1980年12月26日(30歳)ー4
1983年12月26日(33歳)ー3
1992年12月26日(42歳)ー2
2002年12月26日(52歳)ー0
2004年12月26日(54歳)ー-1
2011年12月26日(61歳)ー-2
2015年12月26日(65歳)ー-3
2017年12月26日(67歳)ー-4
萩原健一・健康
1950年07月26日(0歳)ー4(人間レベル)
1983年03月26日(32歳)ー3
1987年01月26日(36歳)ー2
1999年12月26日(49歳)ー1
2003年08月26日(53歳)ー0
2005年12月26日(55歳)ー-1
2013年08月26日(63歳)ー-2
2017年02月26日(66歳)ー-3
2018年09月26日(68歳)ー-4
カルマも健康も、26日の統一が見られる。
萩原健一は、生まれながらに動物レベルの重いカルマで、30歳からカルマを積み始め、8度10ランクに及ぶ下落が見られる。
Wikipedia『萩原健一』より摘要
4回の結婚のうち、1980年{いしだあゆみ:無意識レベルのカルマ3(動物レベル)}と2011年{冨田リカ:無意識レベルのカルマ-2(動物レベル)}の2回の結婚の年にカルマを積んでいる。夫婦のカルマはほぼ同じになるようである。
1983年大麻不法所持で逮捕・・・
2004年10月、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕・・・
同年11月に、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため途中降板となった主演映画『透光の樹』の、製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年の2月に再び逮捕される。
『外面の1つ健康について-260』2019/02/14 13:38
「悪を為せば健康を害す。誰か今まで、こんな箴言を聞いたことがあるだろうか」
「一番の健康法は、悪を為さないことに尽きる」
260段で言ったことを証するように、カルマの下落に続いて健康が8度8ランク下落している。
萩原健一は、1967年ザ・テンプターズのボーカルとしてデビューする。
歌の才能を見てみると、
萩原健一・歌の才能
1950年07月26日(0歳)ー3(動物レベル)
1967年11月26日(17歳)ー4
1997年11月26日(47歳)ー5
2008年11月26日(58歳)ー6
デビューした年にレベル4になっている。
同1967年ザ・タイガースでデビューして、1970年萩原健一と共にPYG(ピッグ)を結成する沢田研二の歌の才能を見てみる。
沢田研二・歌の才能
1948年06月25日(0歳)ー4(動物レベル)
2003年02月26日(54歳)ー5
2012年03月26日(63歳)ー6
2015年07月26日(67歳)ー7
2018年10月26日(70歳)ー8
沢田研二は生まれながらにレベル4だった。沢田研二も26日の統一を見る。
レベル5、6と萩原健一の方が先だったが、萩原健一の上昇はここでストップし、沢田研二はレベル8まで到達する。
『歌い手その37・♂-211』2018/04/14 10:50
「年配からつんく♂までの、弥生艶葉樹の知るJ-POPの主な歌い手のうち、歌の才能は完成(8)がほとんど上限で、超越(9)に達した者は松山千春くらいしか知らないが、つんく♂もめでたい20周年を迎えて上限の域に達したようである」
211段に既述したように、J-POPの歌手の、歌の才能はレベル8がほとんど上限と言う認識がある。
それに引き換え、演歌歌手の場合、レベル9が数多く存在する。
1968年オックスのボーカルとしてデビューし、その後1975年演歌歌手として再デビューした真木ひでとの歌の才能を見てみる。
真木ひでと・歌の才能
1950年11月27日(0歳)ー4(動物レベル)
1979年06月21日(28歳)ー5
1989年06月21日(38歳)ー6
1999年06月21日(48歳)ー7
2009年06月21日(58歳)ー8
2017年06月21日(66歳)ー9
生まれながらにレベル4だった歌の才能は、ポップスから演歌に転向して間もなく上昇しだす。その原因は分かっていて、
『歌い手その31・涙-184.89』2017/10/17 19:59
「演歌歌手に歌の才能が高いのが多いのは、小節(こぶし)を使うからである。小節を駆使することによって、三味線の“さわり”のような役目を果たす」
演歌の小節が、ハイパーソニック・エフェクトを歌手自身にも及ぼすからである。
萩原健一は、1972年助監督で参加していた松竹映画『約束』で、主演の代役に抜擢され、高評価を得、俳優へと転身し、12月をもって音楽活動を停止する。
1974年テレビドラマ『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』に主演する。
『傷だらけの天使』で共演した水谷豊に「喰われちゃった」と萩原健一が述懐する通り、2人の演技の才能を比べれば、
萩原健一・演技の才能
1950年7月26日(0歳)ー3(動物レベル)
1969年1月26日(18歳)ー4
1989年1月26日(38歳)ー7
1999年1月26日(48歳)ー8
2009年1月26日(58歳)ー9
水谷豊・演技の才能
1952年7月14日(0歳)ー4(動物レベル)
1956年8月16日(4歳)ー5
1962年8月16日(10歳)ー6
1974年8月16日(22歳)ー7
1978年8月16日(26歳)ー8
2005年8月16日(53歳)ー9
1974年当時萩原健一は1ランク上昇してレベル4、生まれたときレベル4で更に3ランク上昇した早熟の俳優水谷豊はレベル7で、比べものにならない。が、これは薬になったようで、この後萩原健一の演技の才能はレベル7へと一足飛びする。そして、その後も10年ごとに上昇して、超越(9)まで達する。
早熟の俳優水谷豊も26歳完成(8)までで、円熟するにはそれまでの歳月にプラス1年の27年を要する。
才能が超越(9)に達するのは、当時としてはゴールだったので、萩原健一も到達点に達し、合格と言えそうだが、全くそうではない。才能の1つがゴールしたところで、他の何もゴールしていない。まずカルマを積むことがそもそも失格である。カルマが動物レベルの無(-4)では、愛はそこより上になることはなく、人間レベルの3が合格点だからこれも失格。性格は、品格は、徳目は、野心は、とゴールは多い。
萩原健一自身、
「晩年は芸能活動の傍ら四国八十八箇所を遍路する等仏教研究に取り組んだ」
ように足りない何かを模索したようである。
模索して宗教に向かうことは有りがちなことだが、宗教が支配者の道具であることを忘れてはならない。「信じれば救われる」のような確認できないことを言うものは、避けるに限る。
愛のような上げるべき波動は上げ、野心のような下げるべき波動は下げる。本物の宗教は、単純明快であろう。