(2018年2月1日)

 シュメールはイナンナ崇拝の国だった。
 イナンナは、愛の女神などと言われるが、竹下雅敏氏の
『教育プログラム(13):闇の者たち(イナンナ)』2010/10/12 公開
 によれば、愛など微塵もない、闇の組織の頂上に君臨する13人のうちの1人である。竹下氏の言う闇は、悪より非道いものである。
 講義は
『古代メソポタミアの神々』岡田明子・小林登志子共著 集英社
 を引用しながら進められる。
 イナンナ崇拝の行き着く先は、1人の巫女(神殿娼婦)と20~30人の男性との乱交であり、それまでに巫女は段階を経ながら、異性の衣服を着たがる趣味、同性愛、獣姦、肛門性交、・・・、ありとある変態性交を学び、体得してゆく。
 イナンナ崇拝は巫女ばかりではなく、民衆の娘らにもイニシエーションとして、「愛の奉仕」と言われる売春を勧める。
 シュメールのおよそ半数を占めると言うイナンナ神殿並びに闇の神殿が、イナンナ崇拝並びに闇の崇拝の巣窟であり、よく知られる王と巫女との聖婚儀礼(ヒエロス・ガモス)が闇への入り口であるのに、国を挙げての崇拝となっていた。
 イナンナ崇拝に限らず悪魔崇拝が齎(もたら)すものは、肉体的・精神的な暴力の受容であり、受容した者はやがて、決まって暴力を振るうようになる。
 乱交して楽しむと言うことは、輪姦や強姦、つまり暴力を受け容れることであり、1人の趣味や嗜好には留まらず、やがて決まって人の幸福が許容できなくなり、邪悪な心となって、幸せそうな人を見ると集団で襲い、暴力を振るい、不幸にして喜ぶようになる。
 悪魔崇拝は人類の1/3に及ぶと言うから、あだや疎かにはできない。知らないうちに妬(ねた)み嫉(そね)みの対象となって、いつ何時攻撃されるか知れたものではない。

夜明けは近い-191』2017/12/17 11:02
「夫婦の愛を育む本来のセックス、夫婦の生気の循環をこととするセックスを封印するために、悪魔崇拝に繋がる動物的セックス、性器への刺激に帰一する娯楽セックスを世に広める手立ての一つ、アダルト・ビデオ・・・」

 上の191段においても、正しいセックスの封印、そこからの乖離を狙い、動物的・悪魔的セックス、ピストン運動に表徴される暴力の浸透を図ったものとして、アダルト・ビデオを指摘したが、AVを制作する邪悪な心は、幸せそうな人を探しては闇に引き摺り込むのに余念がない。
 インターネットでAV動画が無料で視られるが、中には素人が騙されて出演しているものがある。その中で、2人目の乳飲み子を連れた、結婚5年目の幸せそうな夫婦の奥様(28歳)が、標的となったものがあった。この奥様、仮にH婦女とする、が目に留まるほどの美しさで、容貌を調べると衆に秀でた4である。
 容貌4は、竹下雅敏氏によれば、ここまでなら魔女が化けられるレベルと言うことである。魔女が化けて誘惑できなければ仕事にならないから、それ相応に高いレベルではある。因みに容貌5になると、目を奪われる美しさとなり、光り輝いて見える。度々使って恐縮するが、聖女の容貌がまさに当て嵌まる。
 初めは夫婦でインタビューを受けているが、男性の悩みの相談を受けるという体で、H婦女だけが残り、夫は子を連れ部屋の外で待つことになる。
 ここからH婦女は、制作者の思う壺に嵌まってゆく。
 まずは悩みのある男性と言うAV男優の自慢の逸物を見せられ、触れさせられ、扱(しご)かされる。手にすれば口にする、と言うことが当たり前のように行われ、初対面でも平気で口にする。頭では奇異なことと思っても、目の前に出され、手にしてしまえば、口にだって入れてしまうのである。H婦女が殊の外好色なのではない。ほとんどの婦女がそうである。動物的・悪魔的セックスの蔓延は、高校生・中学生まで至っているようである。
 次は、丸裸のAV男優の上に跨がり、騎乗位素股をさせられる。素股などアーバン博士が主張する、捨て去るべきクリトリス・オーガズムを煽る行為の一つである。初めは下着を着用したまま、陰部を押し当て摩擦する。次に正常位素股をして、今度は下着を脱いで騎乗位素股、正常位素股と繰り返し、折を見て挿入に至りピストン運動。様々な体位を取らされ、着衣も次第に剥ぎ取られ、赤裸になってゆく。
 H婦女は、まるでひたすら変態性交の腕を磨くイナンナ神殿の巫女さながら、軽い暴力に麻痺させ、次の激しい暴力に順応させるために、執拗に未熟な快感の坂を登らされる。果物の皮を剥き、実を捨てて皮だけ喰らうような快感の味わい方を強いられ、皮相な快感こそ捨て去るべきであるのに、返ってそれのみを執拗に追い求めさせられる。激しい暴力的ピストン運動は、奥にある本当の快感、バギナ・オーガズムに至らないようにするためでもある。
 事が終わって、夫が呼ばれ部屋に戻ってくる。何も知らない夫は、悩みが解決されたと聞いて素直に喜び、AV男優のお礼にも気持ちよく応えている。インタビューのとき、夫が「自慢の・・・」と言ったH婦女の口はさすがに重い。夫に促され、そそくさと帰って行った。

 H婦女は騙されてはいるが、何度も気づいて拒絶する機会があるにも拘わらず、悉(ことごと)く要求を受け容れてしまう。日常生活において動物的・悪魔的セックスしか知らないで、暴力の淡泊なものに勤(いそ)しんでいるところに、急に濃厚なものを見舞われては対処のしようもないのが実情だろう。
 H婦女の不倫に対応する項目を調べた。
 2017年12月2日は、動画の更新日から遡って突き止めた撮影日である。

H婦女(結婚5年目・28歳)

 2017年12月2日ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 2017年12月3日ー0ー0ー-2ー0ー0
 2018年1月16日ー-1ー-1ー-3ー-1ー-1
野心
 2017年12月2日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1(人間レベル)
 2017年12月3日ー0ー0ー0ー0ー0
 2018年1月16日ー1ー1ー1ー1ー1
品格
ー嫉妬ー復讐心ー頑迷ー忍耐ー貞操ー寛容
 2017年12月2日ー5ー5ー5ー3ー3ー3
 2017年12月3日ー6ー6ー6ー2ー2ー2
カルマ
 2017年12月2日ー1ー1ー1ー1ー1ー1
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
 2018年1月16日ー-2ー-2--2--2ー-2ー-2
 AV男優
 2017年12月2日ー8ー8ー8ー8ー8ー8(動物レベル)
 2017年12月3日ー6ー6ー6ー6ー6ー6
 2018年1月16日ー5ー5ー5ー5ー5ー5
徳目
非暴力
 2017年12月2日ー0ー0ー2ー0ー2ー2(人間レベル)
 2017年12月3日ー-1ー-1ー1ー-1ー1ー1
正直
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-2ー-1ー-1ー-1
禁欲
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
不貪
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
無執着
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
清浄
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
離欲
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
全託
 2017年12月2日ー0ー0ー0ー0ー0ー0
 2017年12月3日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1

罪の痕跡は隠せやしない-189』2017/12/03 13:23
 で見たように、準強姦の場合、カルマは対応していなかったが、不倫になると対応している。同意の有無で変わるというわけである。
 確認は、去年の7月、不倫したと言われる3回の日付が分かっている宮迫博之で試みる。

宮迫博之・無意識レベルのカルマ
 2017年7月14日ー8(動物レベル)
 2017年7月15日ー8
 2017年7月22日ー7
 2017年7月26日ー6

 1回目は不倫相手のモデルも釈明しているように「ちゃんと着ていた」ようであるが、1週間後の2回目はちゃんと脱いだようである。3回目は相手は代わるものの、同じようにちゃんと不倫をしている。
 8回とか12回とか、やった回数が面白おかしく取り沙汰されていたが、回数は裁きには無関係で、セックスに及んだ日数が下落の幅を決める。
 これまでカルマは多く見てきたが、不倫という観点がなかった。カルマ積みは頻繁に悪をなすが、どのような悪か分からなかったから理解に苦しむところがあった。不倫は、今後の観点の重要なものになるだろう。

 初めての不倫と題したように、H婦女は28年前から2017年12月2日までカルマを積んだことがなかったのだが、邪悪な心の蜘蛛の巣に捕捉されて、生き血を吸われてしまったお蔭で初めてのカルマを積む。2段階の下落、初めて堰を切ったその激しさが分かると言うものである。
 初めての不倫と題したのは、もう一つ理由があって、著者が手がけるのも初めてだからである。他の初めてのことでもそれなりに熟(こな)しているつもりだが、H婦女のデータの気になるところを、別の婦女のデータと比べてみなければ分からないこともあると思う。
 別の婦女は、これも2人目の7ヶ月の乳児を連れた結婚4年目の幸せそうな夫婦の奥様(27歳)T婦女である。
 T婦女も27年前からカルマの変動はなく、騙されてことに及ぶが・・・。撮影日は2017年9月27日である。

T婦女(結婚4年目・27歳)
容貌4
カルマ
 2017年9月27日ー1ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 2017年9月28日ー0ー0ー0ー0ー0ー0

 2017年9月27日ー0ー0ー0ー0ー0(人間レベル)
 2017年9月28日ー-1ー-1ー-1ー-1ー-1
野心
 2017年9月27日ー6ー6ー6ー6ー6(動物レベル)
 2017年9月28日ー7ー7ー7ー7ー7

 T婦女は初めての不倫であり、AV男優が射精した後にもう1回求めてやってはいるが、カルマの下落は1段階である。子を産んでからセックスはしていないと洩らしているから、欲求が募っているのは当たり前のことで、これは夫の責任でもある。
 H婦女もT婦女も、カルマはやや重い1で同じなのにも拘わらず、H婦女だけ2段階下落する理由は何だろう。考えられる一因としては、野心が、T婦女は動物レベルなのに対して、H婦女は人間レベルの高さにあるからではないだろうか。欲深いリスクはこんなところにも出てくると思う。
 さて、最も注目すべきは、H婦女の夫婦愛が、他の愛は1段階なのに、3段階も下落していることである。
 そもそも人間レベルでも低い愛のことを、竹下氏は恋と呼んでいるが、夫への恋が急に冷めてしまったのである。まるで夢見る乙女の恋心が、現実に突き当たって儚く砕けるように・・・。
 不倫をしたのは自分であるのにも拘わらず、勝手に夫への見切りをつける。現にこのH婦女は、2018年1月15日に既に2度目の不倫をAV男優としている。
 狂おしく物欲しげに漁っても、元々暴力の中に求めるものなどありはしない。ヤマ(禁戒)の最初に非暴力が来るのも、物事の根本にこれが座るほど大切なものである証のような気がする。特に、邪悪な心を生む誤ったセックスが、何の疑心もなく受け容れられている現在では・・・。
 とにかく、セックスする場合、性器への刺激とピストン運動はなくさなければならない。イナンナ崇拝の巫女ならいざ知らず、関係ない人がこういう暴力に慣れる必要はさらさらないではないか。