出会い、きっかけ、事件、同棲 | 元旦那の不倫で鬱病。それでも私は母として生きる。

元旦那の不倫で鬱病。それでも私は母として生きる。

出会い、妊娠、結婚、不倫、鬱病、離婚、慰謝料‥全て事実です。

忘れない為に、同じ過ちを犯さぬ為に、自分の成長の為に‥沢山の理由でここに全て吐き出します。

現在進行形の為、リアルに追いつき次第更新不定期の予定です。

私と元旦那が出会ったのは職場でした。

初めの印象は常に皆の輪の中心に居る、誰にでも平等に優しく、素直で眩しい‥まさに『好青年』と言う言葉がピッタリの方でした。(パートの方々が自分の娘をひたすらアピールする位でした)聞くと大学院生で公務員になる為に勉強をしているとの事。

元々は彼女が居ると聞いていた為の安心感と、男性の立場からの意見と、法律等も勉強しているとの事で、当時の彼氏の事で相談した事がきっかけでした。

最初は職場で話す程度だったのですが、DV等の話は出来なかった為、世間的に話せない様な内容を話す時は電話か、別の場所で話す事に。(元彼は夜の仕事をしていた為、基本的には夜中でした。電話は30分程度を週に1、2回。月に1、2回居酒屋で1時間~2時間程度でした。)

別れると決意が固まるまでに相談を始めてから2ヶ月近く経って居ました。流石に彼女さんの事が気になり、相談と言っても流石に誤解を招いてしまっているかもしれない。もう電話とかも辞めよう。最後に決めるのは自分なんだ!もう大丈夫!と決意を固め、思った矢先、彼女とは既に私が相談する前に別れていた事が判明。『聞かれなかったから答えなかった』これが後に元旦那の口癖何だとは思いもしませんでしたが‥。

それから私は元彼と別れ、元旦那とはあっという間に仲良くなりました。元々2人ともお酒が大好きだったので2人でくだらない仕事の愚痴等を呑みながら朝まで語ったり、ワインの試飲が出来る工場に行ったり、本当昔からの知り合いの様な気楽さで楽しい時間を過ごさせて頂きました。そしてそのまま親公認でお付き合いさせて頂く事となりました。

そんなある日、ある事件が起きました。

当時一人暮らしをしていた私の家の物が無くなっていったのです。

最初はお気に入りのスカートが一枚だけ消え、その時は元彼が荷物を取りに来た際に腹いせに捨てたのかと思ってました。(元彼は車の免許が無く、友達に頼んでいた為、友達と元彼の予定が合わず全て運ぶ迄にかなりの時間がかかってました。)

ですがその後も衣類、下着、小型ゲーム機、元彼が溜めていた小銭等々が無くなりました。(元々、元彼は荷物を取りに行く日は連絡して来てました。その時に元彼から小銭が無いと言う連絡が来ました)

元彼に詰め寄った所『流石に捨てたりそこまではしない、それに持ってくものは前もって伝えてたじゃん』と言われ腑に落ちないまま一応親に伝え、知り合いの警察の方に見廻り等をしてもらいながら、不安な日々を過ごしていました。

そんなある日、元旦那が『俺の次の仕事休みの日に帰ってくる迄、家に居ようか?』と言ってくれました。少し悩んだ後このままの生活を続ける訳にも行かないし、警察の方も何の報告や進展も無く、余り当てにはして無かった為、お願いする事にしました。

そして当日、16時近く職場に(職場はある程度事情を話してありました。)一本の電話が‥『‥落ち着いて聞いてくれる?‥家にね、男が鍵を開けて入ってきた。鍵を開ける音がしたからてっきり親御さんかと思って玄関の方見たら男が居た。(当初ワンルームだったので曇りガラスの引き戸を開けておくと玄関丸見え)立ち上がろうとした瞬間逃げた。慌てて追いかけたけど見失った。力になれなくてごめん』と言う感じの内容でした。余りにかけ離れた背格好や容姿等から(元旦那には元彼のプリクラや写真を見せてた)元彼では絶対に無い。との事。

私はショック状態でした。突然の出来事。衝撃の事実。見知らぬ他人が侵入していた事の恐怖。何が何だかわからなくなり、只々涙が溢れ、足がすくみ、立っていられずしゃがみ込み、両肩を抱え、震え、声を出す事すら出来ませんでした。職場の方々はそのまま上がって良いからゆっくりしていて良いと言い、落ち着くまで側に居てくれました。

暫くして少し落ち着いた私は親に全て話し早急に引越しをしました。引っ越す迄の間元旦那がずっと一緒に居てくれました。その引っ越し作業中にも無いものが色々判明しましたが結局恐怖が勝ってこれ以上関わりたく無い一心で警察等も行かずに終わりました。

職場の事もありそんなに遠くには引っ越せなかったのですが気持ち的には大分楽になりました。

そして引っ越しを機に『また何かあったら怖いし、不安』と言うお互い同じ理由で同棲が始まりました。(元旦那はそれまで実家暮らしでした)

それからは幸せな毎日でした。お互い同じ職場なので休みを合わせて出掛ける事は出来ませんでした(飲食店だった事と人が少なかった為、同時に休みは取れなかった)が早く上がった方、もしくは休みの方が料理したり、職場の話も気兼ねなく出来ましたし、今迄喧嘩は当たり前だった私には信じられないくらい喧嘩の一つも無く、本当に毎日が幸せでした。事件の恐怖も徐々に薄れていきました。