だが朱里が1歳半をすぎ、色々な事を覚え、そのうち遊び相手を意識するようになった頃から、遊び相手の為に弟妹をつくってあげたくなった。

公園に出掛けてもアタシは友達ができなかった。
アタシにママ友達が出来なければ、子供同士も遊ぶはずがない。

まだまだ朱里はアタシの側から離れないのだから。公園に出掛けても、いつも朱里と二人で遊んだ。 苦痛であった…
1時間が長く感じ、余計孤独を感じた。
そのうち人のいない公園を行くようになる…

友達が出来ないのなら、せめて弟妹を…
そしたら二人で遊ぶだろう。

お産の痛みを忘れ、弟妹をつくらなければ…
旦那様も弟を望んでいた。

だが、心と裏腹に体が拒否反応を始めた。
痛いのである。やりたくないのである。
毎日朱里を抱きしめていれば、寂しくないのである。人の温もりは足りているのである。

人間、痛い事はしたくない。

弟妹をつくりたいのに、やる事を避けていた。
こんなに性欲が無くなった自分が信じられない程だった。

子供を生むとこうも変わるのか…

変わりたくなかったのに、弟妹ほしいのに、夜になると寝たふりを続ける。
こんなはずじゃない…

精神的にショックを受けた。
それが自分が子供を育て始めたら、こんなにも我が子は可愛いものなのか…自分でも大発見であった。

仕事もはやく辞めたかった。毎日苦痛であった。
結婚と同時に寿退社を願ったが、旦那様が許してくれなかった。

子供が出来れば仕事を辞められる…

だが、結納前から避妊せずにいたが、全く赤ちゃんができない。

若い頃からよく不正出血をしていた。
昔婦人科で調べてもらった時、不妊症の気があるから基礎体温をつけるように指示された事があったが、結婚相手もいないアタシにとっては、馬鹿らしい事であった。

本当に欲しい時になかなか出来ない。

結婚一年目で早くも婦人科に通い始めたのである。
とてもラッキーな事に、タイミング治療で二ヶ月で妊娠した。
仕事が辞められる!!
その喜びが大きかった。

妊婦中はつわりもあまりひどくなく、まして不安など何もない。
洗剤等の臭いが辛く、お風呂の時間が苦しかった。それだけだったと思う。
仕事を辞め、早く赤ちゃんに会いたいよりも、このまま家でゆっくり穏やかに妊婦生活を送りたいという気持ちであった。

そして陣痛…
これ程の痛みは有り得ない。痛すぎて意識が薄れる。みんなこんなに痛いのに、よく産めるものだ。気が狂ったように唸り声をあげ、もうお腹を切ってくれと願いながらの出産であった。

産後、痙攣が止まらず高熱をだした。
ベットに戻っても、痛みの恐怖に震えたのを覚えている。

もう二度とお産は無理!
半年はその気持ちのままでいた。
子供は以外と残酷で、自分勝手でうるさくて…
大事な話をしたくても、ママを独占しようと会話を中断させる…

20代の頃、アタシは一人ぼっちの寂しさから、ろくでもない男と付き合っていた。
アタシの友達は皆、約束したかのように20代前半で子供が出来き結婚していった。一人、二人、三人、四人と…次々に。
社会に出てから友達は全く出来なかった。
だから、学生時代の友達しかいなかったが、みんなやはり子供ができると少しづつ変わっていく。
当たり前な事なのだが、子供のいないアタシには解らなかった。

辛い恋愛をして、どーしていいのか解らず友達に話を聞いてもらいたい。
けど、「後で電話かけ直すね」と言いながら待っても待ってもかかってこない。 話せたとしても、会話の途中に子供に話をしていたり、聞いているのかわからない。
毎回寂しさを感じていた。次々に出産していく友達を友情終わりかな…と溜息をついていた。
こうしてアタシは他人の幸福を横目で眺める人生なのだろうか…
先の見えない馬鹿げた恋愛中、友達がいなくなれば余計に男にのめり込む。
寂しさから離れられず、本当にどうしようもない恋愛を7年も続けた。
今考えると自分自身本当に情けない。
自分は駄目人間とハッキリ確認。

おまけに仕事場は小児科だった。 具合の悪いはずの子供達がうるさいのである。騒ぐのである。
理解不可能であった。

そんなこんな自分勝手な都合でアタシは子供が大嫌いであった。

今思えば自分勝手な都合ばかりだからこそ、不幸になるのは当たり前である。