自尊心とは、本質的に充たされる事で、人間として自信を得て生きゆく事が出来るのだと思うが。



例えば、そこを異性に認められ受け容れてもらえる事で、それは可能に成る、等とはしない事も大事にすべきでないか。



本質的な自信へと繋がりゆく自尊心を何故異性だけに求め委ねなければそれが為らないのかなって、思うのですねぇ。



理想の相手とそうしてお付き合い出来て承認欲求をどこまでか上手い具合に永久に満たし合わずに居られぬ〜とすると、


自尊心とは構築し得ないと言う考え方そのものを見直す事を大事にしたい。



異性側の言動や姿勢、在り方等がどうのこうのであろうが、基本的には自尊心は何ら影響を受けずにいられる自分の事を大事に考えて行きたい。



相手に対する強力な承認欲求を抱き、そこに過度なる依存性を見出して生きて行く姿勢だとするならば、


相手に依らねば自己保存が適わずによって自尊心も充足することを可能に出来なく為ってしまうからだ。



そもそも、相手によってそれは本質的に充たされるのかどうであろうか。




自尊の感情それは根本的に、

何時いつの時にも自分側にこそ委託され有りしものであると


それを他者がどうにかこうにか

出来る問題でも無いと考える。



相手にその権限が有る訳ではない。もっと言うとその権限は譲り渡さない。それこそ自分の中での大切な一大領域だからであると。


それは理想の相手でなければと

受容れられねば到底適わぬ問題でもないと言えまいか。



自尊心とは自分で充たす事を覚え、強く尚快活に生きて行けると言う逞しさへと置換えてゆくべきだとも思うんです。




心の支えや相手の存在は必要です。それは否定はしない。有るに越したことはない。


だが、そこに自尊の感情や

自信の由来を委ね過ぎると、


自己保存的作用が働き辛くも

為ってしまうんだと言える。



相手無しには居られない自分でも却ってとても生き辛く為るのだとも言えるから。




自尊心の根源的な部分を

相手に委ねない事。


自信へと繋がる源を

そういう所に置き過ぎないで



自尊心や自信の真骨頂に付いて

何時も真摯に向き合うべきだろう。