住んでいる所とは同系的にと言うか保護色的な作用を自身に及ぼすようで、


環境ってどこか為人を思わせもします。



普段からの慣れ親しんだ身の回りの環境こそは、どことなげに人物のそれを言い表しますね。



環境と自分とは先ず不可分で

自分と近似的な部分で相寄るのだと言えます。




例えば緑の木々草花の有る自然的な場所によく自我意識が向かい行くのが多くて、だからなのか緑が幼少期から好きなのかな、とも自分の場合感じられる。


普段身近な回りの要素と近いものが自分自身に内在し有ると言う事の査証にも繋がると思う。




これは物心共に語れる事です。



人を判断するとすれば、

先ずその人の友人を見ろ。と

言うのとも似ていますねぇ。


例えば、付き合う人間が良いのは同じ良い所を人間として性格に持っているからですね。



同類相求むとか、

類は友を呼ぶの類です。




自身の内側に有る要素で、潜在的要因に至るまでの、それ等に付いて外界の事象にシンクロし己心意識に現れ立ち上ってきている〜のだとも考えられる。




よく自己変革的な手段とし、人間形成を有益化させるべく、環境から変える事を始めると言う事も盛んに号ばれるが、これも確かな事ではないかとも思う。



先ず形から入り〜身を正すともされる訳だが、環境的な側面を以て自我統制を図る事は案外人間的には大切だと言えます。



環境力を上手く利用駆使し

成長力へと還元出来るとも考えられるからです。