よく相手を責問い質す際に
正論を持ち出そうとするが
その正しさに忠実に生きる事は出来ないのが元来人間と言うものの性分在り方であるに違いない。
正論で言う時は、相手に対する現実理解を欠いた所から物を押し当てている。正しさの型嵌めに人間を晒している。
相手の現実を無視し
一段と高い位置からの善悪を
問説き伏せている。
如何にも正しい正論とは
誰にも当て嵌まる普遍性を帯びた画一化一般的論理に近い。
この正論を問われ
逆らえずに仕方無いのは
それがまた常識的王道とも掲げ目されるからだ。
思えば個性の違う人間同士を
その様なもので一律に納得し伏する事自体、土台無理な話でないか。
正論を喝破し突付けられ
心害さと不愉快とに感じぬ人等
先ず居られまい。
そもそもが
特殊な事情を有する個々人に対してのこうした一般化正統とは通用するにも忍びない。
発想の論拠に付いて正論で以て臨み至る時に、幾らか聞こえは良いが余りに短絡的な人間解釈である事を厭わずにはおれない。