以津真天 
【 いつまで 】



『太平記』巻第十二
広有射怪鳥事に


建武元年〜その年の秋に
紫宸殿の屋根に
夜になると怪鳥が現れ

いつまでもいつまでもと鳴く
ので皆不吉に思い、公卿たちが評議して誰かに退治させようとした。






源義家が鳴弦したり、
頼政が鵼を退治した例に倣い

弓の名人に
これを射落とさせることにする。


その名も
隠岐次郎左衛門広有。






ある月明の夜に
例の如く大内山の方から
黒雲が湧いて紫宸殿の上にかかったかと思うと〜怪鳥が現れて「いつまでも、いつまでも」と鳴いた。



鳴くときにその鳥は
口から火焰を吐き、
稲光がする凄さであった。





広有は胸の前で人差し指を立て、その指を握り締めて大地に「降魔印」を結ぶと

鏑矢を弓に番え狙い定め
明王真言を天高らかに唱え射る。


大音響して怪鳥は落ちて来た
ので、居並ぶ文武百官は感嘆した。


この鳥を松明のあかりでよく
見ると、嘴には生揃う尖る牙、
人の首と大蛇の様に長く生えた尻尾と脚には刃の如き鋭い蹴爪が有り、両の翅を広げると五メートル以上もあった。




当時の京都では疫病が流行り
多くの遺体が放置され

「いつまで放おっておくのか」

と言う意味があったのかも知れない。





広有はその武勲を天皇より
大層褒められ

名だたる位に任じられ
栄誉を賜ったという。







昨夜は20時にはお休み。
深夜の1時にはお目覚め。


良く眠れた感じ有り。
大体5時間かな。

ちょっと少な目😜。


その頃から描き始めて
先程完成させたもの。



文章は専ら本を参考に
少し自分の考えなりを取り入れたり文体引用する。


それにしても鳥の翅を描くのには、割と時間と労力が嵩みますね。生物学的な構造を特に学んでもいないので〜大体想像力に任せ書いています。



これから〜同行者と
ウォーキングして行きます。

疲れはそれ程でも。
今日頑張れるかどうかなー😉。


でも無理はしない様に
してこう!