趣味を仕事にすると


自分の才能の良さが削がれる

可能性も出て来る。



自分の趣味で好きな事を

実行し続けている分には

それが問題にもなりませんが、


趣味や好きを仕事にして終うと

仕事とは殊に効率性、利便性、経済性に準守する為に、自分の個人的な才能の良さを阻害されかねません。



そういった本人固有の能力の良し悪し云々よりも仕事上で先ず重んじられる事の内容とは、


如何に決められたマニュアル等に沿って正確無比なる結果へと結び付けられるのか。と言う機械化を要するかの技術能力だったりする。



今はAIが発達し続けているが

人も昔よりこの方皆一律機械的化が進行している様に見受けられる。


本人の才能才覚を重んじる

それ以前に既にその場所では

対効率主義に基づく決定的規律に則した経営方針策略にて確固たる運営が為されている。



個人の才能の発露に対し

抑制的な作用を促すのには


仕事そのものが

先ずこうしたハードな部分での

効率主義規定に比重を重んじる

が為なのだ。



なので好きな事を仕事化すると

本人には解決されない幾つかの難儀を背負い込む事になり


そうならざるを得ない情況の中では自ずから個人的才能は後に影を潜めて行く。



自分の好きを極めるとか

趣味やその為の才能を生かすとか言う事は、個人的な範囲で深化すれば良い訳で


そのテリトリーの中で行うからこそ才覚も成長進歩を遂げられるのだろうと正直思えますね。



仕事ではまた全く別の才能技術が求められる。本人自身の伸ばしたい能力とは初めから終まで違っているんです。



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