ぼくが、はじめ、泣きたい気持ちになったのは、テレビのニュースを見たときだった。
被害者や行方不明になった人のことを報道していると、ぼくは、目じりに涙がたまってくる。
ぼくには何もできないのか。
助けてやりたい。ぼくは、こうして、じっとしているしかできないのか。
そこで、ぼくは、発明品をあみだした。
見た目は、リクライニングの椅子そっくりなのだが、テレビに付属品を接続して使用すると、別の機能が作動するのだ。
ニュースの時、次のように画面下に表示される。
《助けに行くか》
テレビに向かってうなずくと、あらゆる交通機能を無視して、瞬間移動。気がつくと、事故や事件の現場に到着しているのだ。
だが、これはまだ試作状態。念には念を入れて、企業に売り込まなくては。
そのため、ぼくは人助けをしても名前を名乗らない。
顔を覚えられないように覆面をして、本当は、たかがケガ防止のあたかもヒーローのような衣装を身に付けておく。相手が何と呼ぼうと気にしない。
そうすることで、存在感を強くするのだ。
そして、企業にアピールできるのだ。
ところが、数ヶ月たって、ぼくはへとへとになった。
「量産しないと、意味ないな」
ぼくは、疲れた体にむち打って、新しい機能を取り付けた。
《助けに行くか》の横に《知らんぷりするか》の選択肢の追加。
再びぼくは、知らんぷりを選択して、泣きたい気持ちになることが多くなった。
(日本文学館編集部編「泣きたい気持ち」より)
(解説)
これは、2006年3月1日第一刷発行。
おそらく、昔、自費出版で商業出版した「あめ玉」を書いた縁で「泣きたい気持ち」をテーマにショートショートを創作し掲載されたものだと思われます。
ヒーロー好きがバレますね。
部屋の掃除をしていて、みつけた一冊です(汗)。