そんな呼び掛けに、今は誰も耳を貸さないだろう。
「過去を消せるマッチは、いりませんか?」
少し言葉を足すことで、立ち止まる人はいるものだ。
「お嬢ちゃん、面白いことを言うね。
気に入った、一箱いくらだい?」
マッチを売っていた若い女は、人指し指を立てた。
「100円ってことはないだろうな」
「お客さんの気持ち次第です」
「過去を消せるんだから、1000円でもいいだろう。
もしも多すぎたら、君のおこずかいにすればいい」
そう言って、男はポケットにマッチ箱を放り込んだのだ。
(こんなはずじゃなかった人生。
何に火をつければいい?
家でも燃やそうか?
それで過去が消えるなら、いいではないか。)
男は、マッチに火をつけた。
そのとたん、男の姿も消えてしまった。
残されたのは、マッチ箱が一つ。
さっきの若い女が、後を付けていたらしい。
「過去が消えるというのは、自分の存在が消えるということなのよ」
そう独り言を言いながら、その場を後にしました。(終わり)