(承前)なぜこのようなことが私にふりかかるのか。我が身に突きつけられる冷酷な「事実」は実に様々にある。しかし「真実」は、突きつけられるものでも冷酷なものでもない。自ら掴んだ真実は、冷酷な事実を乗り越える力を与えてくれる。もちろん真実を掴むには、他者(ひと)の助けが必要だけれども。

 「止むに止まれぬ思い」は、確かに止むに止まれぬものとして有る。しかしそれが止むに止まれぬ思いなら、どのような手段によってでも実現が図られるべきだとは、やはり言えない。止むに止まれぬ思いに駆られる人を、明るく温かいほうへと促せるものは何か。それが真心から発する知恵だとして、今日のこの状況で、知恵が生きて働くことは非常に難しくなっていると思う。

 科学的知識なら、伝承は比較的容易だ。科学的知識を利用した利便の享受は、その仕組を理解する必要なく誰でもできる。「人は頭のみにて生くるにあらず」と言いたいけれども、「頭」の膨大な成果に囲まれ、日々その利便に慣れて生活する今の私達には、知恵を真に働かせることは難しくならざるをえないだろう。胸や腹に結びついた、つまり確かに頭の作用だけれども、頭だけではない全き人間の顕現としての知恵を働かせることは。(続く)