マリアはその時、ただ黙ってイエスの言葉に耳を傾けていたのではないと、私は思っています。話を聞いて、判らないことや疑問に思うことを尋ねていたのだろうと。

 マルタが客人たちをもてなすため忙しく働いているのに、マリアはイエスと話し込んでいるので、「私を手伝うようマリアに言ってください」とマルタがイエスに声をかける。するとイエスが、「マリアは良いものを選んでいるのであって、その選択が奪われることはない」と答えた場面です。聖書には、マリアがイエスの言葉に黙って耳を傾けていたように記されているし、イエスの生涯をドラマ仕立てにしたTV番組でもたいていそのように描かれるのですが、私は引っかかりを感じています。ただただマリアが黙って聞いていただけなら、イエスがそのように答えたかしら、と。「話し込んでいる」と先に書いたのも敢えてです。

 ローマ帝国の国教なら、「女は黙ってただ忙しく手を動かしていろ、しかし食事の支度のようなつまらないことより、神の言葉に耳を傾けるほうが重要だ」となるかもしれませんが、イエスは客人のもてなしのための諸々の仕事を決して軽んじていない。マルタのしていたことも当然重要な仕事には違いないのだから、イエスはマルタを厳しく叱ったりしないのです。でもマリアがイエスの言葉について自分であれこれ考えて質問したりすることが、マリアから奪われてはならないとは明確に答えている。

 これについては、どこかでもう少し詳しく書くかもしれません。