朝から車をだして実家へ向かう。
めちゃ寒い。霜が降りてる。道端の草が霜で白い。
父の検査入院も無事終わり、今日は退院の日。
荷物も多いし、車に乗せて帰る。
父は帰りによったスーパーでおかしやおつまみをたくさん買っていた。
病院の食事に飽きてきたと言っていたから、お菓子が食べたくなったのだろう。
子どもみたいだ。
母と車の中でエアコンの掃除が全部終わらなかった部屋はつけていない、と言っていて、寒いのに我慢はよくないよと話していた。
エアコンは高いところに設置しているから、脚立に乗って二人で協力してそうじしているらしい。
高齢になったきた父母が脚立に乗るのはやはり心配だが、今のところ大丈夫と言っていた。業者さんに頼もうかと思ったけど、今は前より高くなっているそうだ。
こうやってエアコン掃除に困っている高齢の方は、どうしているのだろうとふと思った。少ない年金から払っているのか。だれか家族に頼んでいるのか。
私も実家へ行って手伝えばいいことなのだが、自分の家のエアコンですら面倒でなかなか取り掛からないのに、人の家のエアコン掃除を手伝うのはとてもハードルが高い・・。
まだ高齢でない私ですら面倒なら、自分が高齢になったときどうしたらいいんだろうか。エアコン自体に掃除機能は付いてるとはいえ。それだけでは心もとない。
ちゃんと全部きれいになったのか、それ以外のところはやはり自分たちの手で掃除しないと、きれいになった感じがしない。
将来、こういったサービスが始まらないかな。
家のあらゆる気になるところを掃除してくれるサービス。3か所でいくら。5か所でいくら、と何個か選べてパックでまとめていくらという感じでエアコンだけよりお得になっているような掃除のサービス始まらないだろうか。
高齢者のかたなら、もっとお安くなるとか。
今よりロボットも普及していて、だいたいのところはロボットがしてくれるから、掃除を人に頼んでなんか悪いな~という負い目もない。
今より気楽に頼めるようになると家事ももっと楽になるのに、と思う。
でも、こうやって掃除の大半をロボットに頼むようになると、便利な反面、生活を人間の手で行う機会が減る。それって、はたしていいのかな?
という疑問も生まれる。
自分の手を使って自分の生活を行うことを手を抜いて、どんどん楽なほうへいって、生活の実感がないまま生きていくのって、生き物として大丈夫なんだろうか?
何か、人間としての感性がぐっと衰えそうな気もする。
掃除は面倒くさい、できるだけやりたくない。
それはだれしも思うことだし、決して悪いことではないと思う。
やりたくないけど、やらないと汚くなるし、居心地悪いし、仕方ないからやるか~という感じで、手を動かしてとりあえずきれいにしていく。そういう積み重ねでなんとかかんとか、私の生活はまわっている。他の人たちもそうだろう。
そういう毎日の繰り返しが生活だ。
地味で面倒くさくて、誰か代わりにやってほしい。
そういうものを全部取っ払った先はいったいどういう世界なんだろう。
生活臭さという地に足がついている状態がない世界。
わたしはまだ体力はあるし、エアコン掃除を外に頼むお金があるなら、本を買い込みたいから、まだまだ自分の手でやっていく。面倒くさくていやになっても。