30年戦争
17世紀前半ドイツを中心に起こった30年戦争。
最後で最大の宗教戦争であり、新たな国家間の勢力争いという戦争の形が出来上がった。
旧教派のベーメン新王フェルディナント2世は、イエスズ会に染まった愚かな奴と言われるくらいのガチガチのカトリックでした。
新教派抑圧を進めるフェルディナント2世に対し、新教派が反乱を起こします。
この反乱を、ベーメン反乱といいます。
このベーメン反乱をきっかけに、30年戦争が始まりました。
フェルディナント2世は、ベーメン反乱の翌年に神聖ローマ皇帝に即位しました。
最初は、このような宗教対立から戦いが始まりましたが、新教国のスウェーデンやデンマークが新教側援助を名目に参戦し、国際戦争に拡大していきました。
連戦連勝を続けたスウェーデン王グスタフ=アドルフが、リュッツェンの戦いで戦死します。
グスタフ=アドルフの死後、スウェーデンは、ネルトリンゲン合戦に敗れ、プラハ条約を結んだことにより、窮地にたったスウェーデンは、フランスを30年戦争に本格的に引きずり込もうとしました。
ブルボン朝フランス王ルイ13世の宰相リシュリューは、ハプスブルク家打倒のために、30年戦争に参戦することを決めます。
これにより、30年戦争最終幕は、旧教側のブルボン朝フランスが、神聖ローマ皇帝ハプスブルク家打倒のために新教側にたったために、戦争の宗教的性格が薄れ、国家間の勢力争いとなっていくことになります。
そしてついに、1684年30年戦争の講和条約であるウェストファリア条約が結ばれます。
内容は、アウクスブルク宗教会議の確認とカルウ゛ァン派の承認。
スイス・オランダの独立の国際的公認。
フランスがアルザス・ロレーヌ地方を獲得する。
スウェーデンの西ポンメルン獲得。
ドイツ連邦の主権の確立。
帝国議会へのフランス・スウェーデン代表の出席・議決権の承認などなど。
また、このウェストファリア条約は、神聖ローマ帝国が300以上の領邦の事実上解体により、神聖ローマ帝国の死亡証明書とも呼ばれます。
この条約により、フランス=ブルボン家がハプスブルク家に対する全面的優位が決定的となりました。
この会議では、参加各国が、主権国家としての立場を貫き、ドイツの緒邦も完全な主権が認められ、そして、17~18世紀の国際関係が定められたことによりヨーロッパにおける主権国家体制の確立が実現され、そして僕はこの中の意味として近代の始まりであると考えたい。
宗教戦争から、国家間の勢力争いの戦争という戦争の形を変えた戦争。
この戦争は、まさに歴史を動かした世界史上最も重要な戦争だと言えよう。